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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第2章第1節

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第14話:顔面偏差値で殴るのはやめて

四日目、駅前の時計は、待ち合わせたときと同じ場所で針を動かしていた。

当たり前だ。

俺たちが三本先の道まで歩いて戻ってきても、時計が別の場所へ逃げていくわけではない。

逃げている相手の方は、そうではなかった。


「いませんね」


「見てないな」


桐生さんが言い直した。

俺は返事を飲み込み、ノートへ書いた。

午後五時過ぎ。駅の南側。確認できず。

いないと決めるには、俺が見ていない場所が多すぎる。


夕方の駅前は、見なくてもいいほど人がいた。

自動ドアから出た人が、鞄を持ち直して左右へ分かれる。信号が変わるたび、通りを渡る人の列が増える。

スーツも制服も、似たような色だった。

灰色の上着は、珍しくない。


使節が言った髪の色と、背丈と、耳の形。

俺はそれを何度も思い出す。

思い出すたび、見える人が少しずつ似てくる。


「あの人、少し」


桐生さんが俺の視線の先を見る。

小さなケースを抱えた男性が、バス停で立ち止まっていた。

髪は薄い色で、背も高い。

上着は灰色ではなかった。


「何が似てる」


「髪と、背の感じが」


「耳」


よく見ようとした瞬間、男性が帽子をかぶった。

耳は隠れた。

伝力の薄い感じがあるかと思ったが、バスのライトが目へ入って、見え方が崩れた。


「まだ、分かりません」


桐生さんは男性へ歩いていった。

俺も少し遅れて続く。

いきなり押さえるのではなく、道を尋ねるように話しかけた。


男性は、困った顔で小さな地図を見せた。

宿へ戻りたいらしい。

桐生さんが駅の北側を指すと、何度も礼を言って去っていった。

帽子を持ち上げたとき、耳の先が見えた。

普通の形だった。


「違いましたね」


「確認したからな」


桐生さんは、追いかけるような目をしなかった。

俺は、男性が駅の中へ消えるまで見ていた。

疑われたことを知らずに済んだのなら、その方がいい。


戻ってきた桐生さんが、俺のノートへ目を落とした。


「そこ、書いとけ。何が違ったか」


俺は、確認した特徴を書き足した。

名前も知らない人を、名前のある犯人の候補にした。

似ていると思うことは、思っていたより簡単だった。


***


その日の最後に、俺たちは、駅の裏にある荷物の預かり所へ寄った。

狭い入口へ、台車が一つ収まっている。

神代さんが先に話を通していたので、店の人は俺たちを奥へ招いた。

カウンターの中には、持ち主を待つ鞄が並んでいた。

大きい鞄と、小さい鞄。

どれにも番号の札がある。


「背の高い、髪の明るい人なら来たね」


店の人が言った。

俺の手が、ノートへ動く。


「何時ごろですか」


「それは、見れば分かる。ただ、荷物を預けただけで、その人が何かしたって話ではないよね」


桐生さんがうなずいた。

俺も、慌ててうなずく。

こちらが探している事情を、店の人が全部知っているわけではない。

相手は客の荷物を預かる仕事をしている。

見知らぬ人へ、何でも話していいわけではない。


桐生さんが神代さんへ連絡した。

店の人と、確認できる範囲を合わせる。

待っている間、俺はカウンターの番号札を見た。

品を預けた人と、品を持ち帰る人。

どちらも、名前を覚えてもらうために来るわけではない。


確認できた客は、俺たちが探す人物とは、髪の長さも背の印象も違った。

大きな鞄を二つ預け、連れの人と一緒に引き取っていた。

顔の形まで、店の人は覚えていない。

それでも、違うところは増えた。


「違うみたいです」


俺が言うと、店の人は少し安心した顔をした。


「こっちも、変に客を疑いたくないからね」


俺は礼を言った。

たくさん歩いて、話を聞いて、違う人だったと分かる。

何も進んでいないようで、同じ人をもう一度探す手間は減る。

帰り道、桐生さんはそれを記録へ入れるよう言った。


「聞いた相手、困らせたなら、その分も考えとけ」


「俺、何か変でした?」


「先に顔が、当たりだって言ってた」


俺は、口を閉じた。

候補が見つかったと思うと、その人に合うところばかり集めてしまう。

会ったことのない相手を、会ったことのある誰かへ変える。

能力を使わなくても、目は勝手なものらしかった。


駅へ戻る頃には、店の灯りが一つ減っていた。

預かり所の閉まる時間も、聞いた。

あとから確認したいことが増えても、夜中に戻って話してもらえるわけではない。

捜索には、こちらの帰宅時間だけでなく、相手の仕事の時間もあった。


***


五日目は、学校から出るのが遅くなった。

提出したプリントへ、先生が赤い丸をつけた。

正解の丸ではなく、計算をやり直す場所を囲んだ丸だった。


「途中を省くと、自分でもどこで間違えたか分からなくなるぞ」


最近、別の場所でも似たようなことを言われた。

能力者になったからといって、数学の間違いが減るわけではない。

俺は放課後の教室で、もう一度式を書いた。

廊下では、部活へ向かう生徒が笑っていた。


白波さんが、机の横で足を止めた。


「まだ帰らないの?」


「これが終わってから」


「大変だね。最近、ずっと忙しそう」


「アルバイトみたいなものが、少し」


言いながら、自分の説明の雑さが気になった。

外側の人へ情報を出せと思っているのに、俺も説明していない。

話せることと、話してはいけないことがある。

それは分かっていた。

ただ、どこまでなら自然なのかは、まだ迷う。


「すごいね。もう、そういうのやってるんだ」


「すごくはないよ。歩いて、話を聞いて、書いてるだけだから」


白波さんは窓の外へ目をやった。


「でも、学校の外でやるんでしょ」


言われてから、俺も窓を見た。

校庭の隅へ、長い影が伸びている。

春にあの子を助けたときには、外で何をするかなんて、考えてもいなかった。


「遅くなりすぎないようにね」


白波さんはそう言って、廊下へ出た。

俺は最後の答えを書き、時計を確かめる。

桐生さんへ連絡すると、返事はすぐ来た。


『学校の分を終わらせてから来い』


その下に、待つ場所が書いてある。

怒られたのか、予定を変えてくれたのか。

両方かもしれない。

俺はプリントを職員室へ届けてから、靴を履き替えた。


***


旧商店街では、閉める店と、これから人の増える店が混じっていた。

惣菜店の前に揚げ物の匂いが残り、その二軒先では酒の瓶を並べる人がいた。

細い道へ入ると、建物の隙間から冷たい風が抜けた。

俺は鼻のところを押し、眼鏡を直した。


「疲れてるなら言えよ」


桐生さんは前を向いたまま言った。


「まだ大丈夫です」


「まだ、のあと」


俺は、自分の返事を考え直した。


「足は大丈夫です。目が少し疲れてます」


桐生さんは道の端で止まった。

自販機の横に、折り畳んだ箱が積んである。

俺をその前へ立たせ、通りの方へ自分が回った。


「二分。見るのやめろ」


「その間に通ったら」


「俺がいる」


短い答えだった。

俺は壁の低いところを見た。

細かい汚れと、塗り直した跡。

伝力の違いを拾おうとせず、ただ壁を見る。

それだけで、目の奥に入れていた力が少し抜けた。


通りを自転車が通った。

ベルが鳴り、惣菜店の前の人が寄る。

桐生さんは買い物袋を持った人へ道を空け、そのあと、俺へ小さな缶を渡した。


「持ってろ」


温かいお茶だった。

礼を言うと、桐生さんは自分の飲み物を開けた。


「地図、どこまで塗った」


俺はノートを出した。

確認した道へ線を引いている。

色をつけた部分は増えたのに、余白の方がまだ大きい。


「ここまでです。今日は、あと二本ぐらい」


「一本でいい。戻って書く時間も残す」


「もう少し見た方が」


「今の目で何を見たか、明日思い出せるか」


言われて、今日の最初の交差点を思い出そうとした。

どちらへ曲がったかは分かる。

どんな人がいたかは、もう重なっていた。


一本でいい、とノートへ書いた。

強い人についていけば、無理をする方向へ引っ張られると思っていた。

桐生さんの場合、無理だと言う前に、止められることもあった。

その代わり、動くときには少しも待ってくれない。

俺は缶をしまい、通信機の位置を確かめた。


***


六日目、支社で見た地図には、俺以外の線が増えていた。

店へ来た見知らぬ客の話。

宿泊先を確認しているという連絡。

荷物を預ける場所へ、昨日から聞き取りが入っているという記録。

全部を、俺たち二人で歩いていたわけではない。


「こういう記録って、向こうから出てこないんですか」


神代さんに聞くと、端末の画面を少し回してくれた。

昨日まで空欄だったところが、一つ埋まっていた。


「少しずつは来ている。ただ、保管中の品の扱いに関する資料は、まだ不足がある」


「少しずつ、ですね」


自分でも嫌な言い方になったと思った。

神代さんは否定しなかった。

横でひかりさんが、椅子へ腰を下ろす。


「同じこと、こっちでも確認し直してる。向こうが最初に言えば、減るやつ」


「じゃあ、減らせないんですか」


「減らしてほしいって言ってる」


ひかりさんの返事は、それだけだった。

あの人たちも、魔法みたいに情報を揃えられるわけではない。

黒江班長は、画面の向こうの人へ、足りない部分をもう一度送っていた。


秋庭さんが、俺の記録へ目を通した。


「この時間、ここで休んだのね」


「はい」


「そこも残しておいてくれて、よかったわ」


休んだ時間まで書けば、働いていないことが分かる。

そう思って、書くときに少し迷った。

秋庭さんは赤いペンで、その時間の横へ小さく印をつけた。


「見ていなかった時間が分かれば、別の記録と合わせられる。疲れが出た時間も、次の予定に使えるもの」


隠さなくてよかった。

そう思うのと、たった二分を隠そうとした自分が恥ずかしいのとで、返事が少し遅れた。


「次は、ここまでに一度休憩を入れましょう。寒くなってきたから、体も固くなるわ」


道の予定が、俺の体に合わせて少し変わる。

役に立つために来ているのに、手間を増やしている気がした。

秋庭さんへそれを言うと、ペンを置いて俺を見た。


「一人分の体を無視した予定は、あとで、もっと大きく崩れるのよ」


自分だけの話だと思っていた。

俺が止まれば、桐生さんも止まる。

連絡を待つ人も、予定を変える。

無理を黙って続けることは、頑張っている証拠にはならないらしかった。


***


帰る前、黒江班長の机へ、俺たちの聞き取りが届いた。

使節も、別室から出てきたところだった。

地図の線を見て、唇を少し曲げる。


「まだ、同じ区域を回っているのか」


俺のペンが止まった。

灰色の上着と、特徴のない顔。

それで探す方の手間を、この人は知っているだろうか。


「確認した人については、別の人物だと分かっています。目撃の記録を合わせ、範囲を変えています」


黒江班長が答えた。

使節は地図を見ている。

線の色が何を意味するか、聞かなかった。


「この辺りに、買い手になりそうな者はいないのか」


神代さんが顔を上げた。


「売却の可能性を考える、追加の情報はありますか」


使節は少し黙り、可能性の話だと返した。

それなら、最初から可能性と言えばいい。

俺は思っただけで、口には出さなかった。

神代さんは、その話も、確定した情報とは別に書いた。


使節が去ったあと、俺は黒江班長へ聞いた。


「いまの話も、調べるんですか」


「可能性としては残す。だからといって、全部の買い手へ同じように踏み込めるわけじゃない」


地図には、まだ、犯人の姿がない。

姿がない場所へ、買い手まで増えた。

線を引く紙は広いのに、使える人の時間は増えなかった。


***


七日目は、雨だった。

駅前の石畳が光り、店の看板が足元へ伸びていた。

傘の下に入ると、顔の見える範囲が狭くなる。

耳の形を見ようとしても、すぐ次の傘へ隠れた。

雨粒が屋根へ当たる音と、バスのブレーキが重なっていた。


「音も、分かりにくいです」


「じゃあ、距離詰めて歩く」


桐生さんが速度を落とした。

俺は、水たまりを避けながら続いた。

強く意識すれば何でも拾えると思っていた頃より、拾えない理由の方が増えた気がする。

雨だから。

壁があるから。

遠いから。

疲れているから。


商店街の入口で、店の人が傘袋を補充していた。

桐生さんが、最近この辺りで見知らぬ人を見たかと尋ねる。

店の人は、毎日見るよ、と笑った。


「背が高くて、髪の薄い色の」


「観光の人なら、けっこう来るね。どんな顔?」


桐生さんは、少し黙った。

俺も黙った。

特徴がない、と言われた顔を、どう説明すればいいのだろう。

結局、店の人へ地図を見せ、目撃したら連絡をもらうための窓口を伝えた。

当てのない質問をしたことが、少し申し訳なかった。


店の人は、帰り際に足元を指した。


「そっち、滑るから気をつけて」


桐生さんが礼を言い、道を変える。

外側から来た使節より、会ったばかりの店の人の方が、歩く俺たちを気にしてくれた。

そんなことで比べてしまう自分も、少し嫌だった。


***


夜、濡れた制服を干していると、母がタオルを持ってきた。


「靴も、中に新聞紙を入れておきなさい」


「分かってる」


「分かってる人は、もう入れてるの」


俺は新聞紙を探した。

明日も履く靴だった。

任された区域より先に、管理しなくてはいけないものが、玄関に並んでいた。


***


八日目の放課後、昨日の雨が残した水が、縁石の脇へ細く光っていた。

俺たちは、旧商店街から駅へ戻っていた。

桐生さんが店の人の話を聞いている間、俺は少し離れた場所で待った。

制服の女子が三人、携帯の画面をのぞき込んでいる。

その声が、風に乗って聞こえた。


「だから、絶対あれ、アイドルだって」


「海外の俳優さんじゃない? 顔、小さかったし」


「写真、撮ればよかった」


俺は、なんとなくそちらを見た。

どこかで撮影でもしていたのだろうか。

女子の一人が通りの先を指す。


「昨日じゃなくて、その前もいたよ。坂のところで。今日も見たって子がいる」


灰色の髪、と次の言葉が続いた。

俺の手が、ノートのあるポケットへ動いた。

桐生さんを見た。

話が終わるのを待つつもりだったが、こちらの顔へ気づいた桐生さんが寄ってくる。


「どうした」


俺は聞こえた話を、短く伝えた。

桐生さんの眉が、ゆっくり寄った。


「どの坂だ」


俺たちは女子たちへ声をかけた。

知らない男二人が話しかけたせいで、三人とも、一度口を閉じた。

桐生さんの聞き方が固すぎたので、俺から、知っている人かもしれないと説明した。

名前を出すのは、やめておいた。


「その人、どんな服でした?」


「黒っぽい上着。あと、なんか、顔がすごかった」


顔がすごい。

捜索の記録へ書くには、困る言葉だった。

でも、使節の、特徴がない、より具体的な気がした。

女子は、目撃した場所を地図で示してくれた。

何時ごろ見たかも、覚えていた。

俺は礼を言い、ノートへ書く。

写真はない。

その代わり、何度か同じ道で見かけたという情報があった。


三人が去ると、桐生さんは地図の道へ指を置いた。


「あいつらの、普通ってやつか」


「向こうでは、目立たない人なんですよね」


「こっちじゃ、だいたい顔のいい奴は外側だと思っとけ」


俺は顔を上げた。


「それ、普通に俳優さんだったら、どうするんですか」


「確かめる」


「顔で決めないって、言いましたよね」


「決めてねえ。愚痴だ」


桐生さんは地図を畳んだ。

その言い方が、いつもの短さへ戻っていた。

当てが一つできるだけで、同じ道が少し違って見える。


「今日は、あっちを通って戻る。いなけりゃ、明日の巡回を寄せる」


俺はうなずき、通信機で目撃の場所と時間を送った。

神代さんから、確認した、と返事が来る。

勝手に捜索の予定を全部変えず、聞こえた話を渡す。

これも、教わったことだった。


坂へ向かう前、俺は携帯で、学校のグループに来ていた連絡を見た。

明日出す物の確認だった。

友達が、プリントの写真を送っている。

こちらの地図の線とは、関係のない、教室の予定。

見たところへ短く返事をして、画面を閉じた。


「学校か」


桐生さんが聞いた。


「はい。明日の分を、忘れないように」


「忘れんなよ。俺に言っても分からねえからな」


たしかに、学校のプリントへ桐生さんは何もしてくれない。

同じ鞄へ入っていても、俺が自分で終わらせる仕事だった。

目撃の話を聞いたからと、急に全部の予定を捨てたくなる気持ちを、少し戻す。

見つかったわけではない。

これから、確かめるのだ。


坂の入口へ向かうと、風が海に近い匂いを運んできた。

屋根の向こうは、夕方の青へ変わっている。

使節の言った、目立たない男。

女子たちの言った、顔がすごい男。

その二人が同じ人かどうか、まだ分からなかった。


「犯人じゃなくても、会ってみたくなりました」


「顔が見たいだけなら、仕事終わってからにしろ」


桐生さんに返され、俺は口を閉じた。

たぶん、その通りだった。

ただ、見つかったら最初に思うことは、格好いいかもしれない。

それで気を抜かないように、ノートに書いた名前をもう一度確かめた。


ウベリク・ティーヴェン。

少なくとも、俳優の名前として覚えに来たわけではなかった。


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