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球体世界の観測者 ~見えるだけの少年は、陰陽寮で世界の裏側を知る~  作者: 雅貴
第1章

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第11話:師匠、同じ部署にいたんですね

「今日は、君がどこを見ているのか確かめたい」


丹羽さんが机へ置いたのは、薄い板と、小さな紙だった。

前に見せてもらった訓練の棒は、今日は壁際に立てかけてある。

俺は椅子へ座り、眼鏡の位置を直した。


「見え方の違い、ですか」


「そう。前の話で、少し気になったところがあってね」


正式に所属してから、数日が過ぎていた。

八月に入っても、部屋の机や棚は変わらない。

変わったのは、俺の名前が活動予定の欄へ入るようになったことくらいだ。

今週は基礎の練習と、ひかりさんとの確認。

そこへ、丹羽さんとの時間も入った。


秋庭さんが横へ座り、記録用の紙を開いた。


「感じたことを、そのまま話してね。正解らしい言葉に直さなくていいのよ」


俺はうなずいた。

眼鏡をかけると、何かできる人に見えるかもしれない。

実際には、まだ、できないことを確認する時間の方が多い。


丹羽さんが紙を板の上へ置いた。

そこに、薄い伝力がある。

俺は指で示した。


「その、角の近くに」


「分かった。次は、見えなくする」


板が立てられる。

紙が隠れた。

俺は目を細めた。

見えない。

板の手前と、端は分かる。

その向こうの角は、さっき見ていたから位置を覚えているだけだった。


「いま、同じように分かる?」


「さっきあった場所は覚えてます。でも、いま見えてるわけじゃないです」


丹羽さんが、板の後ろで紙を動かした。

普通の紙のこすれる音がした。

それとは別に、細い、耳の奥へ引っかかるような感じがあった。


「少し、右へ行った気がします」


「見えないのに?」


「見えるのとは、違います。音、みたいな」


言ってから、音と呼んでいいのか迷った。

鳴っているなら、録音できるのだろうか。

部屋の外から聞こえる電話の声とは、違う。


「普通の紙の音を聞いているだけ、という可能性もある。そこも分けよう」


丹羽さんは紙をもう一枚出し、同じように動かした。

今度は、ただの紙の音だった。

俺は首を振る。


「さっきの感じは、ないです」


秋庭さんが書き込んだ。

俺は机の端へ両手を置いた。

自分が普段まとめていたものが、少しずつ分けられていく。


***


今度は丹羽さんが、俺と場所を代わった。

目を閉じている。

秋庭さんが紙を動かし、板の位置も変える。

丹羽さんの周りから、薄いものが机の方へ伸びた。

俺には、その流れが見えた。


紙を動かすたび、流れの一部が変わる。

丹羽さんは目を開けずに、位置を答えた。

俺が見えなくなった板の向こうも、分かるらしい。


「そうやって、外へ出してから?」


思わず聞くと、丹羽さんが目を開けた。


「私の場合はね。自分の伝力を周囲へ届かせて、そこへ何が触れたか、どう変わったかを拾う」


俺は流れの先を見た。

自分から、相手のいる場所へ。

そこで起きた変化を、戻ってきたものから知る。


「レーダーみたいな?」


「たとえとしては近い。ただ、何を拾うかは人によって違う。私は層や、作用の重なりを分けて考えることが多い」


丹羽さんの手が机へ戻る。

薄い流れも、少し減った。


「君は、同じことをしているつもりはないんだね」


「ないです。見たら、そこにあるので」


口にすると、説明になっていない気がした。

丹羽さんはそれを笑わなかった。

秋庭さんも、俺の周りを見ている。


「普段、外へ漏れているものはあるわ。でも、確認し始めたときに、調べるための流れが増えた感じは見られないの」


「漏れてるのと、調べるのは別?」


「別に考えた方がよさそうね」


俺は手のひらを見た。

抑える練習をしていても、完全には止まらない。

その漏れを使って、何かに触れているのだと思っていた。

教わっていないことまで、自分の中でつながっていたらしい。


丹羽さんが、机の端へ指を置く。


「感知系だと言われても、私と同じ準備をしているとは限らない。少なくとも、今日の確認では違う部分が多い」


俺はうなずいた。

会えば、同じやり方を教わると思っていた。

その同じ、の中に、違うものがあった。


***


神代さんとひかりさんが様子を見に来たとき、机の上には板と紙が並んでいた。

俺は、説明する順番を考えてから話した。


「丹羽さんは、自分の伝力を周りへ出して、変わったところを見てるんです。俺は、それをしてないみたいで」


「そうなの」


ひかりさんが丹羽さんを見た。

丹羽さんは短くうなずく。


「まだ確認は続けたいけれど、少なくとも方法を同じにして教えるのは難しそう」


神代さんは板の位置を見た。


「初めの箱の確認では、中の位置も答えていたね」


俺はそのときのことを思い出した。

札が入った箱。

秋庭さんのファイルの近くにも、薄い感じがあった。


「箱の中を、見てたわけじゃないです。どっちから感じるかを答えてました。紙みたいだと思ったのは、最初に見せてもらったからかもしれません」


秋庭さんが、前の記録を取り出した。


「そうね。こちらも『分かった』をまとめすぎていたわ。見えたのか、聞こえたのか、覚えていたのか。今度はそこも残しましょう」


俺は少し気まずくなった。

間違った答えを出したのだろうか。

でも、秋庭さんは責める顔ではなかった。

前の答えを、もっと細かく確かめる話だった。


「この感じ方、変なんですか」


丹羽さんは首を横に振った。


「一般的ではないけれど、君だけとは思わない。感覚を入口にする人はいる。ただ、どのくらい届いて、何を捉えるかまで、一緒ではない」


「ほかにも、いますか」


「君の班にもいるでしょう。沙羅に聞いてみようか」


俺は、顔を上げた。

第11班にも。

丹羽さんに会うまで、ずっとほかの班の人に教わるものだと思っていた。


ひかりさんも、少し考えた顔をした。


「沙羅は、音って言ってるね」


「音?」


「私には、どういう音かは分かんないけど」


丹羽さんが笑った。


「それでいい。分かっている仕事と、本人がどう感じているかは、別だから」


神代さんは、連絡の画面を開いた。

俺は机の紙を見ていた。

遠くへ行かないと見つからないと思っていた人が、同じ部屋の別の机にいた。


***


沙羅さんは、その日の夕方に戻ってきた。

俺より何歳か上に見える女性で、細い鞄を肩へかけている。

神代さんから話を聞き、こちらへ来た。


「水城沙羅です。第11班で、情報を見たり、伝力の変化を確かめたりしてる」


「牧瀬遼悟です」


「知ってるよ。現場で見つけた位置、何回か送ってくれてたでしょう」


俺はうなずいた。

送った報告を、読んでいた人だ。

顔と仕事が、初めてつながった。


沙羅さんは丹羽さんへ軽く頭を下げ、俺のノートを見た。


「音みたいなものがあるって、どんな感じ?」


俺は説明しようとして、途中で止まった。

低い、と言えばいいのだろうか。

細い、と言っていいのだろうか。

普通の音の高さとも、強さとも、少し違う。


「言葉が出なければ、違いからでもいいよ」


沙羅さんが言った。


「そっちの紙と、入口の紙。違う?」


俺は目を閉じた。

全部、見なくなる。

部屋の外の足音が近くなる。

その奥に、細く続くものがある。


「入口の方は、同じ感じで続いてます。こっちの紙は、途中で切れるみたいな」


「うん。私も、その二つは違って聞こえる」


沙羅さんの返事が、少し嬉しかった。

初めて、音として違うと言ってもらえた。


「私が見る、って言うときもあるけど、実際には耳の方で拾ってることが多いの。変化の間隔とか、繰り返し方を分けていく」


「自分から、出してるんですか」


「確かめるために使うこともある。でも、今聞いてるのは、向こうにあるものを拾ってる方」


俺は目を開けた。

自分とまったく同じではない。

でも、丹羽さんの説明より、いまの感覚へ近いところがあった。


「俺、後ろにあると、分からないことが多いです。音みたいなのがあれば気づくけど、形までは」


「私も、聞こえたことから、何でも形まで分かるわけじゃないよ」


沙羅さんは、椅子の向きを少し変えた。


「分かったつもりにならない方がいい。位置が曖昧なら、曖昧って残して。見えるところへ動けるなら、そこで確かめる」


俺はノートへ書いた。

目で見えたこと。

音のように感じたこと。

そこから、自分で考えたこと。

いままで、一つの文にしていたものを分けた。


***


沙羅さんとの確認では、板の向こうへ紙を置いた。

俺は、薄い感じの向きなら言えた。

でも、紙をさらに離されると、普通の部屋の音と混ざって分かりにくくなる。

丹羽さんのやり方なら分かる場所でも、俺には分からなかった。


「思ってたより、狭いです」


俺が言うと、沙羅さんはうなずいた。


「まず、いま分かる範囲を知る方がいいね。聞こえなかったから、何もないと決めるのは危ない」


「丹羽さんみたいには、見られないんですね」


「同じようには、まだ難しそう」


丹羽さんも、そう言った。

残念だった。

映像で見たあの戦い方を、そのまま教われると思っていた。

見えない向こう側まで分かれば、もっと安心できるはずだった。


「私の方法を真似する話は、いったん分けよう。でも、足の置き方や、報告の仕方は続けられる」


丹羽さんが棒の方を指した。


「感じ方が違っても、相手が来る前に動く時間をどう使うかは、同じように考えられる」


俺はうなずいた。

何も参考にならなかったわけではない。

知覚の入口だけが、同じではなかった。

その違いが分かったから、沙羅さんへ聞けた。


秋庭さんが、記録を閉じる前に言った。


「こちらも、まとめ方を変えたいわ。感知系だから分かるはず、ではなくて、どうやって分かるのかを残しておきましょう」


神代さんがうなずいた。


「現場で役に立つ情報は知っていても、方法のところまでは聞けていなかったね」


沙羅さんは少し笑った。


「同じように感じる人へ説明する方が、話が早いこともあるから。班が違っても、聞ける相手がいるのは助かるよ」


俺は四人の顔を見た。

ここにいる人たちも、俺のことを最初から全部知っていたわけではない。

そのことが、今日は怖くなかった。

分からないなら、確かめる場所がある。


***


八月の練習には、沙羅さんと話す時間が少しずつ増えた。

いつも同じ日にいるわけではない。

戻ってきたとき、俺が書いた感覚のメモへ短く答えてくれる。

丹羽さんからも、次に確かめたいことが神代さん経由で届いた。


俺の話が、感知系の何人かへ伝わっているらしい。

特別な人になったわけではない。

ただ、展開して調べる感じではなく、見たり聞いたりして答える研修生がいる、と。

正式に入ったばかりなのに、まだ研修生と呼ばれていた。

それくらいで、ちょうどよかった。


部屋の中でできることが、外でもできるとは限らない。

ひかりさんと現場へ出ると、その違いはすぐ分かった。

暑い。眩しい。人が話している。

見つけたものへ注意を向けても、別の音に引っ張られる。


「分からなくなったら、言って」


ひかりさんが言った。

俺は、前より早くそうするようになった。


「いま、見失った」


「じゃあ、私が見る。あんたは周り」


ひかりさんが前へ出る。

俺は人の動きと、ひかりさんが戻る場所を見る。

ずっと相手を見続けられなくても、ほかにできることがある。

それが分かるまで、少し時間がかかった。


ひかりさんの攻撃へ誰かが近づきそうなら、先に伝える。

散ったあとに感じが残れば、位置を言う。

ひかりさんは、その言葉を聞いて動く。

俺の報告が長いと、短くしてと言う。

短すぎると、どこ、と聞く。


八月の終わりには、聞き返される回数が少し減っていた。


ある帰り道、ひかりさんが処理したあとの場所を、俺がもう一度確かめた。

薄いものはあるが、まとまった感じはない。

そう伝えると、ひかりさんは短くうなずいた。


「じゃあ、神代に送っといて」


最初に会った頃なら、俺がもう一度見たことに意味があるのか分からなかった。

今日は、ひかりさんの方が次の通路を見ている。

同じ場所を二人でずっと見つめるより、分けて確かめた方がいい。

俺の役目は、そういう小さいところから増えていた。


報告を送ると、神代さんから確認済みと返ってきた。

俺はスマホをしまい、ひかりさんのあとへ続く。


「あんた、前より止まる場所が分かるようになったね」


言われて、少し考えた。

近づく場所より、止まる場所。

今の俺には、その方が大事なのかもしれなかった。


***


ある日の練習で、神代さんと向かい合った。

柔らかい棒を一本ずつ持っている。

身体へ触れたら一区切り。強くたたく必要はない。

秋庭さんが脇で見ていた。


神代さんは俺より、ずっと慣れている。

最初の一回は、あっさり肩へ触れられた。

見ていたのに、手元へ気を取られた。


「手だけでなく、立っている位置も見るようにしましょう」


神代さんが言った。

俺は足を戻し、もう一度構える。


肩が動く。

その前に、足の近くへ薄いものが寄る。

俺は横へ一歩ずれた。

大きく跳ばない。

棒の先が、さっき立っていた場所を通る。

次へ向けて、足を残す。


俺の棒が、神代さんの腕へ軽く触れた。

そこで止まる。

秋庭さんの声がした。


「いまの位置、よかったわね」


嬉しくなって、構えを崩しかけた。

神代さんが棒を下ろしてから、俺も下ろす。

もう一度やると、今度も先に動けた。

同じようには当てられなかったけれど、次の足が残った。


「攻撃を読むところは、私も苦労するね」


神代さんは少し笑った。


「でも、今の練習と、現場で周りを守ることは別。勝てたから全部できるとは考えないで」


俺はうなずいた。

神代さんがしている仕事を、俺はまだほとんどできない。

ただ、棒を持って動く練習では、一つ先へ進めた。


ひかりさんが、壁際から棒を取った。


「次、私」


俺は少し嫌な予感を覚えた。

構える。

ひかりさんの足元へ伝力が集まった。

来る、と分かった。


避ける前に、肩へ棒の先が触れた。


「……分かっても、間に合わない」


俺が言うと、ひかりさんは棒を下ろした。


「だから、間に合う位置へ立つんでしょ」


丹羽さんと同じことを言う。

言い方は、ずっと短い。

俺は立つ場所を少し後ろへ変えた。

次は一歩動けた。

そのあと、やっぱり触れられた。


ひかりさんはまだ遠い。

でも、最初から何も分からずに逃げていたときとは違う。

当たった理由を、少しだけ言葉にできた。


***


月末、黒江班長から翌月の予定を聞いた。

俺が来られる日を確認したあと、現場で一緒に動く相手について説明される。


「九月から、桐生と組む予定を考えている」


ひかりさんが、机の向こうで顔を上げた。


「桐生?」


「配置を調整した。こちらでも説明する。牧瀬君には、最初のうちは引継ぎをつける」


俺は、まだ会話をあまりしていない先輩の顔を思い出した。

現場の話をしているとき、声が大きかった。

強いとは聞いている。

優しいとは、あまり聞いていない。


ひかりさんは黒江班長を見た。


「あの人、説明省くでしょ」


「そこも含めて、こちらで見る」


神代さんが横から言った。


「ずっと同じ組で動けるわけではないからね。ひかり君が教えてきたことも、引き継ごう」


「分かってるけど」


ひかりさんは、少しだけ強い声で返した。

俺は二人を見る。

自分のことなのに、すぐには言葉が出てこない。


黒江班長が俺へ向き直った。


「分からないことは、相手が誰でも聞く。最初の顔合わせで、必要なことは確認しよう」


俺はうなずいた。

ひかりさんは、まだ少し不満そうだった。

でも、俺へ怒っているわけではないらしい。


***


帰る前に、ひかりさんが呼び止めた。

練習用の眼鏡のケースを、俺へ差し出す。


「これ、机に置いてた」


「ありがとう」


受け取ると、ひかりさんは俺の目を見た。


「桐生が何か言っても、分かんないことまで、分かったって言わないでね」


「言わないよ」


「いまは言うけど、現場で急かされたら分かんないでしょ」


少し考えた。

それは、確かにまだ分からない。


「そのときも、言えるようにする」


ひかりさんは、ようやく小さくうなずいた。


「ならいい」


それから、ポケットへ手を入れる。

俺も鞄を持ち直した。


「ひかりさんと、もう組まないわけじゃないだろ」


「必要なら、組むと思う」


「じゃあ、また教えてくれ」


「私に聞くより、沙羅に聞いた方がいいこともあるでしょ」


俺は少し笑った。

ここへ来た頃なら、ひかりさんが言えば全部正しいと思っていたかもしれない。

いまは、聞く相手も少しずつ分かる。


「戦う方は、ひかりさんに聞く」


「それなら、まず足から」


返事はいつも通りだった。

そのことに、少し安心した。


***


夏休みの最後の方は、学校の課題と活動の記録を交互に書いた。

机の上には、教科書、ノート、お守り、眼鏡のケース。

どれも、使う場所が違う。

一つで全部を済ませることはできない。


白波からは、クラスで共有された提出日の連絡が来ていた。

特別な話ではない。

俺は日付を確認し、課題のページをめくる。

教室へ戻れば、席はいつもの場所だ。

隣にいる人へ、まだ話していないこともある。


夜、うらばあちゃんからのメールを読み返した。

教えてくれる人にちゃんと相談しなさい。無事に帰ったら、それでまずよかったと。

短い文だった。

お守りの秘密については、何も書かれていない。


俺は布の角へ触れ、ケースを閉じた。

見えてしまうものは、今もある。

前と同じように、怖いものもある。

分からないところも、むしろ増えた。


それでも、見つけた場所を伝えれば、一緒に動く人がいる。

分からないと言えば、確かめる人がいる。

俺が見えないところを、見てくれる人もいる。


窓の外で、遠くの車が坂を上っていった。

夏の夜の音が、少しずつ少なくなる。

俺は明日の予定を見て、鞄へノートを入れた。


次は、初めて組む先輩に会う。

最初の挨拶を考えながら、眼鏡のケースも忘れずに入れた。


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