第2話 シラス台地の呪いと、四姉妹の過労会議
第2話です。一命を取り留めた鬼島津・義弘に連行された湊。
今回は鹿児島・内城を舞台に、過労で倒れかける当主・義久と、薩摩を縛るシラス台地の呪いに挑みます!
薩摩国、鹿児島――内城の大広間。
重々しい静寂の中、上座に座す少女たちの視線が、中央に立たされた橘湊へと注がれていた。
「……して、義弘。貴女が戦場から拉致してきたこの怪しげな男が、その……何ですって?」
頭痛を堪えるようにこめかみを押さえ、深いため息を漏らしたのは、上座の中央に座る少女だった。
島津家第十六代当主・島津義久。年の頃は十八。
濡羽色の艶やかな黒髪を後ろで束ね、白縮緬の小袖に黒漆の陣羽織を羽織ったその姿は、凛とした大名の気品と清楚な美しさを漂わせている。だが、切れ長の涼やかな瞳の奥には、領国経営の重責に押し潰されそうな深い疲労の色が濃くにじんでいた。
「当主の姉上、怪しげとは失礼千万じゃ! 湊殿は神仏が遣わされし水と冷気の秘術使い! 我が熱病を瞬時に癒やし、立ちどころに百の敵を叩き斬る力を取り戻させてくれたのじゃ!」
赤髪のポニーテールを揺らし、義弘が胸を張って湊の肩を抱き寄せる。
「ちょ、ちょっと義弘姉ぇ! アタシにもその不思議な男の人、見せてよ!」
下座から小走りで駆け寄ってきたのは、栗色のショートヘアに大きな琥珀色の瞳を輝かせた少女だった。四女の島津家久、十五歳。身軽な忍び装束のような小袖を纏い、八重歯を覗かせて湊の周囲を物珍しそうにぐるぐると回り始めた。
「へえ……着てる服も見たことない生地だし、いい匂いがする! ねえ、水と冷気の術って本当? アタシたちの伏兵部隊にも分けてくれる?」
「こら、家久。軽々しく触れるな! 湊殿は我が拾ったのじゃぞ!」
「拾ったって何よー! 良いものは四姉妹で分けっこするって決めたじゃない!」
騒ぎ立てる二人を冷ややかな眼差しで見つめていたのは、上座の左手に静かに座る三女・島津歳久だった。
年の頃は十六。儚げな白銀に近い灰色の髪を肩まで切り揃え、手作りの南蛮眼鏡(水晶眼鏡)を鼻梁に載せている。膝の上には分厚い帳簿と古文書。肌は病的なまでに白く、時折、痛むのか右足の関節を細い指で強く摩っていた。
「騒がしいですね、二人とも。姉上のお身体に障ります……ごほっ、ごほっ」
歳久は懐紙で口元を押さえ、乾いた咳を漏らした。
「歳久、また熱が出ているのではないか? 無理をして評定に出るなと申したのに……」
義久が妹を気遣い、胃を押さえながら痛ましげに眉をひそめる。
「内城の兵糧庫が底をつきかけているのです。寝込んでいる暇などありません……それより、そこの貴方」
眼鏡の奥から、射抜くような理知的な双眸が湊を捉えた。
「義弘姉さんの熱中症を癒やした手際、話を聞く限り単なる祈祷や呪術の類いではないようですね。塩と糖、水の配合……生理の理を弁えている。貴方は一体、何者なのですか?」
「俺は橘湊。現代……いや、遠い異国の土地で、資源エネルギー工学と土壌化学を研究していた技術者だ」
「資源……土壌工学……?」
四姉妹が一様に首を傾げる。湊は息を吸い、城下町を歩いて確信した事実を淡々と告げた。
「義久様、単刀直入に申し上げます。この薩摩が飢え、戦に出るたびに兵が倒れる原因は、敵の強さでも武運のなさでもありません。この大地そのもの――【シラス台地】の土壌構造にあります」
その言葉に、評定間の空気が凍りついた。
「大地の……構造……?」
「城下に広がる白っぽい砂のような土壌、あれはカルデラ火山から噴出した軽石と火山灰の堆積層……シラスです。顕微鏡で見れば、ガラス質で隙間だらけ。水はけが極端に良すぎるため、雨が降っても水分を一切保てず、肥料分もすべて地下へ抜け落ちてしまう。稲作には最悪の土壌です」
湊は袖から、城下で採取してきた土の塊を取り出した。
「さらに最悪なのは、シラスは保水力がないくせに、豪雨が降ると一気に液状化して土砂崩れを起こす。水不足で米が枯れるか、大雨で畑ごと押し流されるか。これが、薩摩の民を数百年にわたって苦しめてきた【飢餓の正体】です」
「なっ……!?」
義久の顔から血の気が引いた。歳久が眼鏡を指で押し上げ、息を呑む。
「そ、その通りです……! 我が島津は代々、どんなに開墾を進めても米が実らず、大雨が降れば台地が崩れ落ちて田畑が埋まる……! ゆえに民は飢え、他国から米を奪うために戦をせざるを得なかった……! 貴方は、なぜ一度城下を見ただけで、我が領国の積年の呪いを見抜いたのですか!?」
「呪いじゃない、ただの地質学と土壌化学の現象だ。現象である以上、科学で克服できる」
「克服できる……ですって!?」
義久が身を乗り出した。その瞳に、縋るような光が宿る。
「ええ。方法は三つあります。第一に、山間部の粘土質の赤土を削り、シラスに混ぜ合わせる【客土工法】。これにより土壌に保水性と粘りを持たせる。第二に、人畜糞尿と枯れ草、そして木炭粉を混ぜ合わせた高温発酵堆肥の投入。炭の多孔質構造が土中の水分と有用菌を保持する。第三に、竹筒の節を抜いて穴を開け、地中に埋める【暗渠排水網】の整備。大雨の際は過剰な水を地下から速やかに排出し、シラスの崩壊を防ぐ」
湊の淀みない解説に、歳久の手から筆が滑り落ちた。
「客土……暗渠……! 信じられない……天地の理を、そこまで緻密に操るなど……!」
「湊兄ぃ、すごい! アタシたちの畑、本当にご飯がいっぱい実るようになるの!?」
家久が目を輝かせて湊の腕に抱きつく。
「お、おい家久、離れぬか! 湊殿は我の軍師じゃぞ!」
「義弘、騒ぐでない!」
義久が凛とした声で一喝した。そして、静かに立ち上がると、湊の正面まで歩み寄り、深々と頭を下げた。
「橘湊殿。無礼を承知で懇願いたします。どうか、我が島津の内政・資源総監として、この不毛の地を救ってはいただけないでしょうか。余は……民が飢えて死ぬ姿を、妹たちが傷つく姿を、もう見たくないのです……!」
当主の誇りを超えた、一人の少女としての切実な願い。
湊は静かに頷いた。
「引き受けましょう。工学者として、目の前の不毛の大地と、飢えに苦しむ人々を見過ごすわけにはいきません。それに、妹たちを必死に守ろうとする義久様の姿を、放っておけない」
湊の真っ直ぐな眼差しが、義久の瞳を射抜いた。
「あ、ありがとうございます……!」
義久の冷え切っていた頬に、美しい朱が差した。感激に潤む黒い瞳が、熱を帯びて湊を見つめる。
(このお方だ……我が島津の、余の生涯を託すべき御方は……)
だが、その奇跡のような出会いに浸る暇は与えられなかった。
評定間の引き戸が激しく開き、血相を変えた使番が転がり込んできた。
「も、申し上げます! 日向の伊東義祐、ならびに肝付の軍勢が、我が方の火薬不足を見透かし、三千の兵を率いて国境を突破! 木崎原へと侵攻を開始いたしました!」
「何だと……!?」
義久が息を呑み、義弘が腰の太刀に手をかける。
「おのれ、伊東め! 我らの火薬庫が空なのを嗅ぎつけおったか!」
「義弘姉さん、無茶です! 城内には一発分の火薬も残っていません!」
歳久が叫ぶ。
土壌改良の第一歩を踏み出す間もなく、島津家は「火薬ゼロ」という、戦国史上最も過酷な絶望的包囲網に呑み込まれようとしていた。百戦錬磨の鬼島津といえども、弾丸の出ない鉄砲では三千の敵を防ぐ術はない。湊の肩に、四姉妹と領民すべての生死が重くのしかかっていた。
【資源工学・土壌化学ミニ解説:シラス(火砕流堆積物)の特性と不毛性】
南九州に広く分布するシラス台地は、約3万年前の姶良カルデラ大噴火による火砕流堆積物です。多孔質で比重が軽く、透水性が極めて高いため、雨水や肥料分が土中に留まらず急速に地下へ浸透・流出してしまいます。このため水田稲作が極めて困難で、歴史的に南九州の民を飢餓に苦しめる主因となっていました。
次回『第3話 床下の黄金、硝石丘法で火薬を自給せよ』は明日18:00更新予定です!




