↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
3/8

第3話 床下の黄金、硝石丘法で火薬を自給せよ

第3話です。鉄砲大国・島津の最大の弱点『火薬不足』。

南蛮からの輸入が途絶えた絶望の中で、湊が古民家の床下から火薬を生み出す奇跡の工学を展開します!

内城の武器庫の扉が開かれた瞬間、橘湊の鼻孔を衝いたのは、硝煙の匂いではなく、乾いた土と埃の匂いだけだった。

「……見ての通りです、湊様」

 三女の歳久が、手にした南蛮眼鏡の弦を細い指で直し、静かに木箱の蓋を開けた。

「本来であれば、この大樽十数個に南蛮渡来の黒色火薬が満たされているはずでした。ですが、現在残されているのは、底にこびりついたわずかな粉末のみ。一斉射撃どころか、十挺の火縄銃を一度撃つことすら叶いません」

 木箱の底を撫でた指先には、黒い汚れすらほとんどつかなかった。

「南蛮船から買い付けることはできないのか? 薩摩は港を持っているはずだが」

「駄目なのよ、湊兄ぃ!」

 四女の家久が、武器庫の梁から軽やかに飛び降りて湊の隣に立った。

「堺や平戸の南蛮商人たちが結託して、火薬の原料になる【硝石】の値を十倍に跳ね上げちゃったの! 今じゃ金一両出しても、ほんの数斤しか売ってくれないんだから! 島津にはそんな大金、どこにもないよ!」

「チェストオオオッ! 阿漕な南蛮商人どもめ、船ごと叩き斬って奪い取ってくれる!」

 義弘が大太刀の柄を鳴らして憤死しそうに叫ぶ。

「落ち着きなさい、義弘」

 長女の義久が、胃痛に耐えるように胸元を押さえながら割って入った。

「海賊働きなどすれば、南蛮船は二度と薩摩の港に寄港しなくなります。そうなれば、島津は永久に鉄砲を使えぬ国になり果てる……ですが、敵はすでに木崎原へ迫っております。もはや、刀槍のみで三千の大軍に立ち向かうしか……」

「諦めるのはまだ早い。火薬がないなら、この薩摩の大地から作り出せばいい」

 湊の静かな声に、四姉妹全員が動きを止めた。

「……は? 大地から火薬を……? 何を馬鹿なことを」

 歳久が怪訝そうに眉を寄せる。

「湊様、黒色火薬の主成分である硝石は、日ノ本のいかなる鉱山からも産出しません。南蛮や明国から海を越えて運ばれる鉱物なのです。大地から湧き出るはずがありません」

「鉱物じゃない。硝石の正体は【硝酸カリウム】――土の中の微生物、バクテリアが作り出す有機化合物だ」

「ば、ばくてりあ……? ゆうき……?」

 義弘と家久が目を白黒させる。湊は城下の古民家が建ち並ぶ一角を指差した。

「歳久、家久、今すぐ人を集めてくれ。必要なのは三つだ。第一に、築数十年以上の古民家の【床下の乾燥した土】。第二に、領内の人馬から集めた【糞尿】。第三に、竈や風呂から集めた【草木灰】だ」

「ひ、悲鳴が出そうな材料ばかりね……! 床下の土に、おしっこ……!?」

 家久が頬を染めて後ずさる。

「汚いと侮るな。数十年もの間、雨風を遮られた床下の土には、床板の隙間から落ちた有機物とアンモニアが堆積している。そこに棲む硝化菌という微生物が、尿中のアンモニアを数年かけて酸化させ、大量の硝酸イオンを作り出しているんだ。床下の土を舐めてみろ、ピリッとした塩辛い味がするはずだ」

「硝化菌……アンモニアの酸化……!」

 歳久の眼鏡の奥の瞳が、知的好奇心に激しく見開かれた。

「まさか……床下に眠る白っぽい粉の正体は、南蛮船が高値で売りつける硝石の元……!? 土と尿から、あの黄金の粉を培養できるというのですか!?」

「そうだ。これをヨーロッパでは【硝石丘法】と呼ぶ。藁と古土、石灰と糞尿を幾重にも層状に積み上げ、適度な通気と湿度を保ちながら発酵させる。そして熟成した土を木桶に入れ、水を注いで硝酸塩を抽出するんだ」

「湊兄ぃ、アタシ集めてくる! 城下の床下の土、全部掘り返してくるよ!」

 家久が風のように駆け出していった。

「我も手伝うぞ! 力仕事なら我の右に出る者はおらん!」

 義弘も叫んで走り出す。

 内城の裏手に、巨大な木枠で組まれた硝石丘が急速に組み上げられた。

 抽出された褐色の液に、草木灰の上澄み液(炭酸カリウム)を投入する。化学反応により不要なカルシウム分が炭酸カルシウムとして沈殿し、液中には高純度の硝酸カリウムが生成される。

 それを大釜で煮沸濃縮し、冷水で急速冷却する。

 釜の底に、雪のように真っ白で美しい針状の結晶が、無数に析出していった。

「……美しい」

 柄杓ですくい上げた歳久が、息を呑んで呟いた。水晶眼鏡の奥で、知性的な双眸が激しく揺れている。

「これが……硝石……! 本当に、私たちが毎日踏みつけていた古土と灰、汚れた人馬の尿から、こんなにも純白で尊い硝石が生まれたというのですか……!」

「化学の世界じゃ、物質は姿を変えて循環しているだけだ。汚いものの中にこそ、大地と生命が濃縮したエネルギーが眠っているのさ」

 湊が微笑むと、歳久は珍しく耳朶を桜色に染め、俯いて小さく呟いた。

「……貴方の頭脳は、底が知れませんね。知れば知るほど、貴方を他の誰にも渡したくなくなります」

「驚くのはまだ早い。火薬の残りの原料、硫黄と木炭も極限まで純度を高める」

 湊は、桜島から採取させた粗製硫黄を素焼きの壺に入れ、加熱昇華させた。蒸発した硫黄蒸気が上部の冷えた皿に付着し、不純物のない鮮やかな黄色の硫黄結晶となって固まる。

 さらに、木炭には繊維が細かく燃焼速度が極めて速いアブラギリの木を蒸し焼きにした微粉末を採用。

「配合比は、硝石七十五パーセント、木炭十五パーセント、硫黄十パーセント。これ以上でもこれ以下でもない、熱力学的に完全燃焼を果たす黄金の比率だ」

 乳鉢ですり潰し、少量の蒸留酒を加えて湿式混和したのち、細かな網で粒状に成形して乾燥させる。

 夕暮れ時。木箱の中に、黒曜石のように鈍く輝く【高純度粒状黒色火薬】が、山のように完成していた。

「義弘、試射してみろ」

 湊から火薬を受け取った義弘は、真新しい火縄銃に弾薬を込め、五十間(約九十メートル)先の分厚い樫の丸太を狙った。

 火縄が火皿に落ちる。

 瞬間――轟音が大地を揺るがした。

 ドォォォォンッ!

 南蛮火薬のような不快な白煙はほとんど上がらず、雷のような爆轟とともに放たれた鉛弾が、五十間先の樫の丸太を粉々に打ち砕いて貫通した。

「な……なんという威力じゃ……! 煙が少なく、前がよく見える! 南蛮火薬の倍以上の威力と射程ではないか!」

 義弘が銃を構えたまま、全身を震わせて湊を振り返った。琥珀色の瞳は熱い涙で潤んでいる。

「湊殿……貴殿は、神か……! これほどの火薬を、島津の土から生み出してしまうなど……!」

 義久も、歳久も、家久も、言葉を失って山積みの火薬を見つめていた。

 だが、感動の余韻を切り裂くように、物見の騎馬武者が砂煙を上げて飛び込んできた。

「急報! 伊東義祐の先鋒三千、木崎原の平野に展開! 明朝にも我が方の加久藤城を包囲し、一気に攻め落とす構えです!」

「来たか……!」

 義弘が大太刀を引き抜き、ギラリと切っ先を夕日に向けた。

「当主の姉上、我に出陣の許しを! 島津の兵力は、かき集めてもわずか三百……だが、我らには湊殿が大地から授けてくれた無敵の火薬と、研ぎ澄まされた大太刀がある! 十倍の敵など、一蹴して見せましょうぞ!」

「ええ、行ってまいりなさい、義弘! 島津の意地と誇り、そして湊殿が灯してくれた希望の火を、敵に見せつけてやりなさい!」

 義久が力強く頷き、出陣の軍配を掲げた。

 十倍の敵軍を迎え撃つ、戦国九州の転換点・木崎原の戦い。湊の現代科学と、島津四姉妹の猛烈な武勇が、初めて一つの巨大な奔流となって合一する時が訪れていた。

【資源工学・化学ミニ解説:硝石丘法(バクテリアによる硝酸塩生合成)】

黒色火薬の原料(硝石75%、硫黄10%、木炭15%)のうち、硝石(硝酸カリウム)は日本に天然鉱床が存在せず、大部分を南蛮貿易に依存していました。硝石丘法は、動物の糞尿・腐敗有機物(アンモニア源)と灰(カリウム源)、通気性の良い土壌を積み重ね、硝化菌(バクテリア)に酸化させることで硝酸塩を人工培養・抽出する高度なバイオ化学技術です。


次回『第4話 木崎原の奇跡、三百挺の精密斉射』は明日18:00更新! 第1幕完結です!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。