第1話 鬼島津、弾薬も兵糧も尽きてチェストする
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武力ゼロの資源エネルギー・土壌化学技術者が、薩摩のシラス台地を掌握し、凶暴可愛い島津四姉妹を救う本格戦国工学記、開幕です!
肌を焼く熱気と、噎せ返るような火薬の臭気で、橘湊は意識を覚醒させた。
視界を埋めるのは、容赦なく照りつける南国の太陽と、鬱蒼と生い茂る照葉樹の森だ。耳朶を打つ蝉時雨を裂いて、激しい銃声と怒号が轟いていた。
(……俺は、地熱資源探査のボーリング現場にいたはずだ)
資源エネルギー工学と土壌化学を専門とする研究員として、湊は南九州のカルデラ地帯でフィールドワークを行っていた。身につけているのは帯電防止の作業着と頑丈な安全靴だ。だが、響いてくるのは重機の駆動音ではなく、肉骨を断つ太刀音と悲鳴だった。
草叢の合間から身を低くして見下ろす。
山道で凄惨な包囲戦が繰り広げられていた。
敵は百人を超える具足武者たち。対する一団はわずか三十人足らず。丸に十文字の紋を掲げた小部隊が、背水の陣で円陣を組んでいた。
「チェストオオオオオッ! 怯むな! 引く者は我がこの大太刀で叩き斬るぞ!」
戦場に凛烈な雷鳴の如き美声が轟いた。
部隊の先頭で大太刀を旋回させている姿に、湊は目を奪われた。
年の頃は十七、八。燃え盛る篝火のように鮮やかな緋色の長髪を、高い位置で束ねたポニーテール。陽光に輝く健康的な小麦色の肌と、小袖の隙間から覗くしなやかに引き締まった肢体。その美貌は息を呑むほど苛烈で、琥珀色の瞳は獣のように獰猛な光を放っていた。
緋縅の鎧に身を包んだその少女が、島津家の次女・島津義弘だった。
「鬼島津が首、獲れるものなら獲ってみよ! 者ども、一斉射撃で敵の出鼻を挫くぞ! 構え――放てえっ!」
数十挺の火縄銃が一斉に構えられた。
だが――放たれた乾いた銃声は、わずか三発に過ぎなかった。
大半の銃口からは弱々しい煙が漂うのみで、銃弾は放たれず、カチリという火挟みの虚しい金属音だけが重なった。
「な、なぜじゃ!? なぜ火がつかぬ!」
「だ、駄目です義弘様! この蒸し風呂のような湿気で、火薬が吸湿して完全に腐っております! それに、もう残弾が一発もございません!」
足軽が絶望の叫びを上げた。
「ええい、役立たずの鉄棒など投げ捨てよ! 弾薬が尽きたら銃床で殴り倒せ! 刀の折れた者は素手で喉笛を喰いちぎるのじゃ! チェストオオオオッ!」
大太刀を振りかざし、敵陣へ単身突撃しようとする義弘。
だが、その踏み出した足元が、激しくよろめいた。
「ぐ……っ!?」
義弘の膝ががくりと折れ、砂塵の中へ倒れ伏した。大太刀が手から滑り落ちる。
呼吸は浅く激しく乱れ、小麦色の額には異常な量の脂汗が吹き出し、唇は青白く乾ききっていた。
「義弘様!? 義弘様がお倒れになられたぞ!」
「熱じゃ……昨夜からの強行軍で水も飲まず、甲冑の中で身体が煮え滾っておられる……!」
敵の指揮官が狂喜の声を上げた。
「好機ぞ! 鬼島津が熱病で動けぬ! 首を挙げた者には恩賞山分けぞ、突撃せよ!」
百人の敵兵が、獲物を狙う野犬のように群がり寄ってくる。
(熱中症と極度の脱水症だ! 重装甲冑を着たまま炎天下で無水行軍なんて、自殺行為以外の何物でもない!)
湊は考えるより先に、腰の調査用ウエストポーチを掴んで斜面を駆け下りていた。
「おい! そこの大男、刀を抜け! その姫さんを木陰に運べ!」
「な、何奴だ貴様! 奇妙な南蛮装束の素破か!」
「いいから運べ! 今すぐ甲冑の紐を解いて風を通さなきゃ、脳が煮えて死ぬぞ!」
湊の切迫した怒声に気圧され、大柄な武者が慌てて義弘を抱え、大木の日陰へと運んだ。
湊は素早く義弘の胸当てを剥ぎ取った。晒し布一枚になった華奢な胸元が、激しく上下している。体温は四十度近くまで跳ね上がっていた。
「熱い……息が……できぬ……毘沙門天よ、我が身体を……」
「神頼みしてる場合じゃない! 筋肉が痙攣してる、極度の塩分と電解質の喪失だ!」
湊はポーチから携帯用のアクアチャージ粉末を取り出し、竹筒の水に素早く溶かした。水一リットルに対し、ブドウ糖約二十グラム、食塩三グラム、クエン酸少々。小腸で最も急速に水分が吸収される黄金比率の即席経口補水液だ。
「飲め! 吐き出さずに飲み干せ!」
湊は義弘の顎を抱え、乾ききった唇の隙間から液体を流し込んだ。
「んぐ……っ、ごく……っ!」
喉を鳴らして貪るように飲み干した義弘は、激しく咳き込みながらも、虚ろだった琥珀色の瞳に理性の光を取り戻した。
「……な、なんじゃこれは……身体の奥に、染み渡る……」
「深呼吸しろ。血管を冷やすぞ」
湊はポーチの冷却パックを叩いて急速冷却させ、義弘の頸動脈と脇の下、大腿動脈に押し当てた。冷気の刺激に、少女が小さく悲鳴を漏らす。
「ひゃああっ!? つ、冷たい……! な、何をする無礼者……!」
「熱中症の応急処置だ! 命が惜しければ動くな!」
急速冷却と経口電解質補給により、義弘の異常な頻脈が目に見えて落ち着いていく。
だが、安堵の暇はなかった。木陰の周囲を、敵の槍衾が完全に取り囲んでいた。
「小童、小細工は終わりか! 鬼島津もろとも灰塵にしてくれる!」
三十本以上の穂先が、湊と義弘の喉元へ殺到する。
その瞬間だった。
「湊殿……とやら、下がっておれ」
低く、地鳴りのような声が響いた。
立ち上がったのは義弘だった。晒し布姿のまま、落ちていた大太刀を軽々と片手で引き抜く。
その瞳には、先ほどまでの衰弱が嘘のような、猛烈な神気が宿っていた。
「我が身体に宿りし血潮が、滾るように巡っておる……これが貴殿の南蛮秘術か。面白い」
獰猛な笑みを浮かべた少女が、大地を蹴った。
「我が名は島津又三郎義弘! 島津の兵を飢えさせ、我を熱病で討ち取ろうとした無礼者ども――チェストオオオオオッ!」
一閃。
大太刀が白銀の弧を描いた瞬間、先頭の敵兵三人の槍がへし折れ、鎧ごと吹き飛んだ。
人外の怪力と神速。湊が補給した水分と電解質が、少女の爆発的な身体能力を百パーセント解き放っていた。
「ひ、化物め……! 引け、退却じゃあ!」
敵兵たちは恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように敗走していった。
静寂が戻った山道に、血飛沫を浴びた義弘が息を整えて佇んでいた。
少女は太刀を納めると、ずかずかと湊の目の前まで歩み寄ってきた。身長は湊の肩ほどだが、放つ威圧感は猛虎そのものだ。
「……貴殿、名を何と申す」
「橘湊だ。しがない資源・土壌工学の研究員だよ」
「ミナト……湊殿か」
義弘は突然、湊の作業着の胸倉を掴み、至近距離まで顔を近づけた。吐息がかかるほどの距離で、爛々と輝く琥珀色の瞳が湊を射抜く。
「貴殿のあの水と冷気の術がなければ、我は敵の槍に貫かれて首を晒しておった。我が命を救った男は、貴殿が初めてじゃ」
「いや、ただの応急処置だから……」
「ええい、謙遜するな! 我は決めたぞ! 貴殿のあの知恵と水、そして頼れる背中――我が生涯の軍師として、島津へ連れて行く!」
「は? 連れて行くって……おい!」
義弘は湊の手首を怪力で握りしめ、強引に引きずり始めた。
「逃げようとしても無駄じゃ! 我の傍から一歩も離すものか! 鹿児島の内城へ参るぞ、湊殿!」
こうして湊は、戦闘狂の美少女武将に文字通り拉致される形で、島津家の本拠・鹿児島へと向かうことになった。
だが、連行された城下町で湊が目にしたのは、豊かな大名の領地などでは断じてなかった。
見渡す限りの赤茶けた不毛の台地。枯れ果てた畑で餓死寸前の民が虚ろな目を向け、城の火薬庫には一粒の硝石すら残されていない。
島津家は――シラス台地の呪いと飢餓、そして完全な火薬枯渇により、外敵に滅ぼされる以前に、領内から崩壊する寸前の危機に瀕していた。
【資源工学・兵站ミニ解説:電解質枯渇と熱中症の救急医学】
高温多湿な九州の夏において、重装の甲冑を着たまま激しい戦闘や行軍を行うと、発汗により体内の水分とナトリウムなどの電解質が急速に失われます。水だけを摂取すると血中ナトリウム濃度が低下して自発的脱水を引き起こすため、適度な塩分と糖分を同時に補給する『経口補水』が生命を救う鍵となります。
次回『第2話 シラス台地の呪いと、四姉妹の過労会議』は明日18:00更新予定です!




