ダンジョン都市プラムスへ行く
ダンジョンが発見されると、その場所に村が生まれ、そして村は成長して都市へと発展する。
そのため、ダンジョンのある場所には都市も存在する。
それがトラニアにおいて都市が発展する一般的な形であった。
ただし、ダンジョン都市プラムスには一つだけ違う点があった。
ごくまれに、ダンジョン同士の距離がそれほど離れていない場合がある。
この場合、一つの都市が複数のダンジョンを管理することになる。
ダンジョン都市プラムスがまさにそれであった。
プラムスの周囲には三つのダンジョンが存在していた。
そのため、三つのダンジョンを管理するプラムスは相当な規模を誇っていた。
単純に都市の大きさだけでも王国の首都の二倍以上である。
多数の冒険者、多数のギルド、多数の種族、多数の宗教。プラムスの多文化的な性格は、ある意味当然の結果であった。
「冒険者登録をしに来たんですよ。」
骨姫ボンヌは青年の真横にぴったりとくっついたまま、ギルド受付へ告げた。
「いらっしゃいませ、ボンヌ様。今日はお帰りが早いですね。」
「ええ、ルアネ。実はハニーをすぐに見つけましたの。」
ボンヌはルアネに対し、青年と腕を組んでいる腕を持ち上げて見せた。
しかし青年にとっては、ボンヌの骨が痛い。
「まあ、そうでしたのね……とにかくおめでとうございます。それではボンヌ様のハニーはこちらの書類をご記入ください。」
「とにかく、ですか?」
青年はルアネが口にした何やら妙な言葉を聞き返したが、ルアネは曖昧にごまかして次へ進んだ。
「はい、こちらの書類です。」
ルアネは返答の代わりに微笑みながら、青年が記入する書類を差し出した。
「プラムスギルドへの身元保証はどなたがしてくださるのでしょうか? それともやはり新婚夫婦のお名前で?」
ルアネはそう言いながらボンヌの意向を尋ねた。
「それ、僕にも聞くべきじゃありませんか?」
強要された愛。結婚前提の交際。
しかし言葉とは逆に強く抵抗することができず、青年の声は弱々しかった。
青年の現在のレベルは正直に言ってレベル01。つまり虫けら同然の命である。
最高レベルに加え各種スキルで完全武装した状態で召喚されるスーパー新人の召喚勇者とは根本から異なっていた。
「ルアネ。ギルドへの保証人はあとで伝えるよ。いつ死ぬか分からないんだから、死亡後見人にはなれないだろう。」
エドは、レベル01の冒険者が簡単に死ぬ可能性を口にした。
「確かに。すぐ死ぬかもしれないのに、私が少し気が早かったですね。」
するとルアネはエドの言葉にうなずいた。
「死んでアンデッドになり、他の冒険者の経験値になるにしても最低レベル10は必要だ。今の青年のレベルでは正直スライム以下の人生だ。」
ガードまで悲痛そうな表情でそう言った。
「ガード様までそんな顔をする必要ないじゃないですか!」
ガードからさえ評価が低かったため、青年は思わず反発した。
しかし青年の感情は現実を変えることはできず、レベル01という弱点だけが残った。
「本来なら認められませんが、皆様のお顔を立てて、特別に冒険者登録を一か月待つことにいたします。新人への惜しみないご指導を期待しておりますよ。」
ルアネは原則を守らねばならないことに複雑な表情を見せたが、やがて考えを改めて微笑んだ。
「ですが、冒険者登録カードは作成しなければなりません。冒険者にとっては身分証明書のようなものですから。」
そう言いながらルアネは机の下から水晶玉を取り出した。
新人冒険者の死亡事故第一位は、低レベルのままダンジョンを探索することだった。
レベルが低ければ当然、高レベルのパーティーメンバーと組みにくいため、低レベル同士でパーティーを組むしかない。
しかしレベル01の冒険者が十人集まったところで、結局は全員レベル01であることに変わりはない。
魔物とのレベル差が五もあれば、魔物の防御力が高いため、レベル1がどれだけ集まっても魔物の攻撃に一方的に蹴散らされてしまうのが現実だった。
いわゆる低レベル冒険者の集団死亡事故である。
何度かは掲示板にレベル01冒険者の死亡事故が掲載されることもあるだろう。
だが、このような知らせが頻繁に掲示板へ載るようになると、冒険者ギルドとしても好ましくない。
そのためレベル01の冒険者が登録する際には、保護者兼身元保証人を必ず記載させ、新人冒険者が初期レベルで死亡する事故を防ぐよう努めていた。
そういう意味では、Sランク冒険者であるエドやガード、あるいはボンヌが保証人になれば、青年が死ぬことはないだろう。
書類作成の際に少し出会っただけの縁であっても縁は縁である。
たとえ記憶に残らない相手であっても、ルアネは低レベル冒険者が死亡したという知らせを聞くたびに胸が重くなった。
Sランク冒険者が三人もいるという事実は、ルアネにとっても心強いものだった。
「少しの間、水晶玉を両手で持っていてください。」
ルアネの言葉に従い、青年は水晶玉を両手で抱えるように持った。
しばらくすると水晶玉が明るく輝き、水晶玉の上部にできた細長い溝から、長方形の冒険者プレートが作られて飛び出した。
「はい。問題なく完了しました。水晶玉を机の上へ置いてください。」
青年は水晶玉を机の上へ置いた。
「冒険者登録カードの記載事項を確認いたします。」
ルアネは冒険者登録カードを水晶玉から取り出し、記載内容とカードそのものに異常がないか丁寧に確認する。
「異世界移民者の方ですね。綺麗にレベル01です。問題なく登録されました。冒険者登録カードをお受け取りください。」
ルアネはカードを青年へ差し出した。
「あ……ありがとうございます。」
青年としては何となく釈然とせず、少し見下されたような気分だったが、レベル01から始まることは既に知っていたため、今の状況を深く考えないことにした。
プラムスに初めて来た冒険者は、基本的に生活基盤が乏しいため、安価な費用でプラムス冒険者ギルド内の宿舎を利用することができた。
冒険者ギルド宿舎の利用はおよそレベル20前後まで可能であり、レベル30を超えると強制退去の対象となる。
青年の宿泊先は、ひとまずプラムス冒険者ギルドに割り当てられた。
そして青年は毎朝、肉のない女性の骨の感触を感じながら目を覚ますことになる。
目を閉じて声だけを聞いていれば活力が湧くが、目を開いた現実は、身だけ取り去られた魚の骨のように虚しかった。
しかも朝日がようやく地面を温め始める時間帯であるため、一晩中冷えた骨の感触は固いだけでなく非常に冷たかった。
生命を育む朝。だが青年は体も心も痛い。
そのため彼は、唯一女性らしさを主張しているエメラルド色の瞳だけに焦点を合わせた。
青年の本能は、自らの精神衛生を守るため、最も安全な場所、すなわちボンヌの瞳だけを見るようにしていたのである。
こうしてプラムスへ来てから、すでに三日が過ぎていた。
一日の始まりはいつも、ボンヌの瞳を見ることから始まる。
確かに鍵はしっかり掛けているはずなのに、毎朝ボンヌは青年の布団の上から青年を見つめていた。
青年には、どうしてボンヌが自分の布団の上にいるのか理解できなかった。
それでも初日の朝に上げたソプラノ級の悲鳴は、三日目ともなると元の声域まで落ち着いていた。
「何をしているんですか……。」
ついに青年は淡々と尋ねた。
布団の中に一緒にいることも、骨スキンシップで脇腹に痣ができることも、その他さまざまな問題もひとまず置いておき、まず言うべき一言だけを口にしたのである。
「バタン!」
だが、ボンヌの返事よりも先に宿舎の部屋の扉が勢いよく開かれた。
結局のところ、扉の鍵は確かに掛かっていたが、侵入を防ぐためのものではなかった。
「そろそろダンジョン攻略を始める時だ。」
そしてエドが当然のことのように言い放った。
エドの姿を認めると、ボンヌはようやく名残惜しそうな表情を浮かべながらベッドから立ち上がり、脇へ退いた。
そうしてエドが青年の片腕をつかみ、ボンヌが反対側の腕をつかむ。
青年はそのまま宿舎の外へ引きずり出された。
青年はまだ寝間着から外出着へ着替えてすらいなかった。
しかし二人はまったく気にしていない様子だった。
エドが魔法をかけて青年を宙に浮かせ、その隙にボンヌが青年へ無理やり外出着を着せる。
気が付いた時には、青年はすでに外出着姿になっていた。
瞬く間に着替えさせられた青年は、そのままギルドの外へ連れ出される。
「そういえば、レベル01専用アイテムを取りに行くのを忘れていた。注文品だから受け取りに行かなきゃならない。少しここで待っていてくれ。」
しかし実際にギルドの外へ出ると、エドとボンヌは出発前に取りに行く物があると言い残し、青年だけをその場へ残して去っていった。
「どこで合流するか決めなくていいんですか? それとも僕はギルドで待っていた方がいいと思うんですが。」
立ち去る二人へそう尋ねたが、返ってきた答えは衝撃的だった。
「とりあえず歩いていて。プラムスの街の雰囲気も知らなきゃいけないしね。私のペット……じゃなくて、私のハニーならどこへ行っても簡単に見つけられるんだから。」
ボンヌは何の問題もないと言わんばかりに目を輝かせながら遠ざかっていった。
「えっ? 今確かペットって言いましたよね?」
青年は頭の中で流れていた会話を止め、その引っかかる単語について考える。
「ほほほ。気のせいですわ。こほん! とにかくハニーならちゃんと見つけられますから、自由に散歩してくださいね。また後で〜。」
そう言い終えると同時にボンヌは一瞬で姿を消し、青年はそれ以上話を続けることができなくなった。
そして青年は、自分が札束を持っていることに気付く。
いつの間にかエドが青年の手に握らせていた金である。
ただし青年はまだトラニアの物価を知らないため、その金額にどれほどの価値があるのか分からなかった。
とはいえ他にすることもなかったため、青年は周囲を見物しながら歩き始めた。
「おい、そこの青年。異世界から来たのか?」
一目で普通ではない服装だと分かる中年の男が、笑顔で青年へ近づいてきた。
「ええ、そうです。ついさっき来たばかりなんです。おじさんもやっぱり異世界から来た人なんですか?」
青年はシャツとズボン姿の、どう見ても異世界出身の服装をした男を見る。
「うん。来てから少し経つよ。しかし、おじさんとは寂しい言い方だなあ。普通に兄さんと呼んでくれ。」
男はとても親しげに近付き、青年の前に立った。
「こんな場所で同じ異世界出身の人に会えるなんて、本当に安心します。」
同じ故郷の人間ではなくても、同じ異世界人というだけで異郷では嬉しいものだった。
「ははは。他所暮らしなんだから助け合うのが人情というものだろう。」
男は豪快に笑いながら、その視線をそっと青年の札束へ向ける。
「ダンジョン攻略は始めたか? 新人はレベルが低いんだから、しっかり準備しなきゃいけないぞ。異世界で中途半端に死んだら、あの世でも中途半端な異世界あの世ライフになるからな。」
男は腕組みしながら事情通らしく語った。
「おお……確かにそうですね。異世界の先輩として、何か助言をいただけませんか?」
実は青年は異世界移民してから、まだまともな会話をしたことがなかった。
異世界へ来てまだ日が浅いが、これまではいわゆる強烈なお姉さんたちに囲まれていて、普通の会話をする機会がなかったのである。
そういう意味では、この男との会話は数多くの異世界召喚作品で見た最初の会話シーンに近く、青年は安心感を覚えた。
「そうだな……。だが攻略情報を先に教えるのは初心者への礼儀ではないからな……。」
男はわざともったいぶった。
「なるほど。それはそうですよね。では、とりあえず武器や防具などの装備はどうでしょうか? そのくらいなら問題ないんじゃありませんか?」
初心者は資金が不足しているため、普通の商店ですら武器を購入するのが難しい。
だが青年には、エドから渡された札束があった。
手に入れたばかりの金は、すぐに使いたくなる誘惑にもなる。
「ふむ。どうしたものかな。」
青年が興味を示し始めると、今度は男の方がわざともったいぶった。
「普通の武器ではなく、妖精の加護が宿ったような魔法武器や防具ならどうでしょうか。その程度なら問題ないのではありませんか?」
青年は異世界召喚アニメを数多く見てきたため、そういった知識だけは豊富だった。
初心者でも扱える特殊な魔法武器は、普通の武器屋では販売されていない。
そして、そのような特殊魔法武器は通常武器より強力だという利点がある。
そのためレベル上げのために魔物を狩る場合でも、特殊魔法武器を使う方がはるかに有利だった。
レベル01であれば、多少高価でも買えるなら買った方が得である。
魔法武器を使えば、同じ時間でより多くの魔物を狩れたり、自分より少し高レベルの魔物も倒せるようになる。
さらにドロップアイテムの量や品質も向上するため、収益面でも有利になる。
「本当はこんなことをしてはいけないんだが……同じ異世界人同士、助け合うべきだとも思うんだ。もちろん他の人には絶対秘密だぞ。」
男は厳かな表情を作り、青年に念を押した。
「あっ! もちろんです。当然ですよ。」
青年は大きくうなずいた。
「とりあえず、ここは人目が多い。魔法武器を街中で堂々と取り出して見せるわけにはいかないからな。私について来なさい。」
「それもそうですね。貴重なアイテムを人前で見せるわけにはいきませんし。」
「さあさあ、案内しよう。ついて来なさい。」
そう言うと男が歩き出し、青年もその後をついて近くの路地へ入って行った。
男は路地の中に置かれた箱のうち、鍵の掛かった箱の前で立ち止まった。
「鍵を掛けるのは当然だろう。」
男は懐から鍵を取り出し、箱の錠前を外した。
「ええ、ええ。当然ですよね。」
青年はトラニアでの初めての買い物に胸を躍らせていた。
「さあ、この品だ。」
男は箱の中から鞘に納まった剣を一本取り出し、青年へ差し出した。
青年は男から渡された剣を慎重に受け取る。
「抜いてみてもいいですよね?」
青年は剣を抜く前にまず確認した。
「ふふふ。やってみたまえ。」
男は拒否しなかった。
「それでは。あれ? うっ……抜けません。」
青年は力を込めて剣を引き抜こうとしたが、どれだけ力を込めても抜けない。
「ふふふ。だから魔法剣なのだ。この剣には安全装置が付いている。魔物のいる場所でしか抜けないのだよ。」
男は誇らしげに説明した。
「おおお……そんな種類の魔法が……。」
青年は感嘆する。
「ですが、それならこの剣が本当に魔法剣だと、どうやって確認すればいいんですか?」
青年は取引の前に、この魔法武器が本物なのか確かめたかった。
「当然だ。今から私がレベル2の魔物を召喚する。その魔法武器を試してみたまえ。」
男は地面に魔法陣を描き、レベル2の魔物を召喚した。
「魔法陣。獣召喚。斬撃ウサギ。」
すると男の前に、大鎌のような前脚を持つウサギ型の魔物が現れた。
「今だ!」
男がそう叫ぶと同時に、青年が持つ剣から眩い光が放たれ、剣はあっさりと鞘から抜けた。
「おお……これはコロサントのあの人たちが振るうライトセーバー……じゃなくて光の剣だ。」
物質量を持たない純粋な光の剣が青年の手に握られていた。
青年は、この剣が登場する作品を知っていた。
そしてこの剣さえあれば、何となく魔王すら倒せそうな自信が湧いてくる。
もちろん錯覚だった。
青年の現在のレベルは01である。
「どうだ、見ただろう。せっかくだから振ってみたまえ。」
男は誇らしげに青年の耳元でささやいた。
「本当にいいんですか? それなら遠慮なく試してみます。」
青年はそう言って、男が召喚した斬撃ウサギへ向かって剣を振るった。
「バシュッ!」
光の剣は何かを斬った感触もなく、斬撃ウサギを通り抜けた。
だが元の作品でもそういう類の武器だったため、青年は特に疑問を抱かず剣を鞘へ戻そうとした。
「おっと、待ちなさい。まだ鞘へ戻すのには慣れていないだろう。こちらへ渡したまえ。私が戻してあげよう。」
男は親切そうに青年から剣を受け取り、慎重に鞘へ納めて返却した。
「ありがとうございます。親切なご配慮に感謝します。」
アフターサービスまで完璧だったため、青年はすっかり気分を良くしていた。
青年の目の前では、自分が斬った斬撃ウサギが口から大量の血を流して死んでいた。
トラニアへ来てから最初の狩りである。
魔物を倒した達成感が青年の心を満たした。
「街の中で魔物を倒しても経験値は入らないことは知っているよね?」
男は間髪入れず、経験値が入らないという点をさりげなく説明した。
「あっ、そうなんですか。説明ありがとうございます。それにしても、この剣は素晴らしいですね。この剣を買います。おいくらですか?」
男の説明を聞いて疑いが消えた青年は、ついに値段を尋ねた。
「本当はこんなことをしてはいけないんだがね。君の明るい未来を見込んでの投資だよ。あちこちで言いふらしてはいけない。分かるね?」
男はもう一度念を押し、自分が大変な決断をしているのだと青年に印象付けた。
「もちろんです。感謝しかありません。」
それを聞いた青年は嬉しそうだった。
「よし。それではこの魔法剣と、その札束を交換しよう。」
男は青年の持つ金袋を意味ありげな目で見つめながら、最初の価格を提示した。
「この札束全部ですか……。」
青年は魔法剣を欲しかったが、自分の持っている金の価値をまったく知らなかった。
ただし、持っている金がすべてなくなるという点だけは本能的なためらいを生んだ。
そして青年の反応を見た男は、予想どおりだという顔になり、ますます目を細めた。
「うむ、その気持ちはよく分かる。もちろん高いとも。ならばこうするのはどうだね? この武器は実はセット装備なのだ。光の防具と一緒に使えば、さらに高い効果が得られる。ちょうど私が一式持っているとは、なんと幸運なことだろう。防具セットも全部まとめて、その札束で譲ろうじゃないか。」
「おお……セット装備。あの緑色で統一された装備。フルセットにすると追加ボーナスが付く、あれですね……。」
青年はかつて悪魔狩り系のゲームにも夢中になったことがあった。
セット装備を揃えるための時間や経験値稼ぎを考えれば、金で一式そろえられるのは本当に歓迎すべきことだった。
「セットということは、もちろんフルセットですよね?」
青年が尋ねた。
「もちろんだとも。裕福な家の坊ちゃんが母親の小遣いで買うように、完全武装だ。頭の先から足の先まで全部揃っている。投資する価値は十分にある。」
男は親指を立てて見せた。
「買います。」
ついに青年は抵抗しきれず、札束を男へ差し出した。
「毎度……いや、こちらこそ感謝だな。大切に使いたまえ。縁があればまた会うだろう。」
男は青年に気付かれないよう斬撃ウサギへ合図を送った。
すると細目で様子を見ていた斬撃ウサギは静かに立ち上がり、その場から身を隠した。
斬撃ウサギの動きを確認すると、男は箱の中からセット装備一式を取り出し、青年へまとめて押し付けるように渡して風のように立ち去った。
「ありがとうございました、おじさん!」
何一つ気付かなかった青年は、去っていく男へただ手を振った。
「おじさんじゃなくて兄さんだ〜!」
男は去りながら叫んだが、距離が離れていたため青年にははっきり聞こえなかった。
ふと青年が振り返ると、自分が倒したはずの斬撃ウサギの姿が見えなくなっていた。
血痕は残っているが、斬撃ウサギそのものはいない。
しかし青年は特に疑うこともなく、男がきちんと処理していったのだろうと思った。
母親からもらった小遣いをその日のうちに全部使い果たし、夜になって母親に激しく叱られた経験があれば、それは思い出になるだろう。
だが今から青年が受けるものは、ただ純粋な悪夢でしかなかった。
夫が妻に内緒で十年ローンの車を買い、夕食時に意を決して白状したとしても、今の青年ほどひどい目には遭わないだろう。
人間の悲鳴というものが、種族を超えて屠殺場の豚の断末魔よりもなお妖艶なオクターブを出せるということも、今回初めて分かった事実であった。
青年の口から飛び出した悲鳴は、そのどれ一つとして無駄になるものがなかった。




