悪役令嬢、優人と語らう5
ひったくりの男が踏んだのは消火栓のマンホールだった。
足を下ろした瞬間、彼はそれが爆発したと思った。
分厚い鉄蓋が下からせり上がってきた水の勢いで、ねじ切られ、弾き飛ばされる。
男は足場を失った浮遊感を感じる暇もなく、間欠泉のごとく吹き出した水によって背中を殴られた。
衝撃で為す術もなく吹き飛ばされて、今度は地面に墜落。全身を打ちつけた。
コーデリアは魔術によって、マンホールの下に設置された消火栓から水を放出させたのだ。ひったくりがちょうどマンホールの上を通過するタイミングでバルブを回して、強力な水圧で彼を滅多打ちにしたというわけである。
「捕まえましたわ」
コーデリアが追いついて、這いつくばったひったくりの背中に、馬に横乗りするように優雅に座った。彼は完全に目を回していて、抵抗する様子もない。野次馬をしていた周囲の買い物客らから自然と拍手が起こった。
「コーデリア!大丈夫かい!?」
コーデリアが満足そうに賞賛を浴びていたところに、優人がたどり着いた。脇には老婆を支えている。警察はあと少しで現場に到着するということだった。
「ええ、首尾は上々ですわ。盗られたカバンはこれですよね?」
「ああ……私のバッグ……!」
コーデリアがひったくりから取り戻したバッグを掲げてみせる。
老婆は寄り掛かっていた優人から離れてコーデリアに駆け寄ると、その手に取った。
「ありがとうねぇ。これは死んだじいさんが最後にくれたプレゼントだったから……本当に、ありがとう。あんたはとっても良いお嬢さんだねぇ」
バッグを大切に抱いて、涙ながらにコーデリアに礼を言う。
「お褒めにあずかり光栄ですわ」
「大事なものだったんですね」
と、優人が老婆の肩をさする。だがふとコーデリアの方を見て、
「よくやったね、コーデリア……ところで、この状況はどういうことかな?」
と尋ねた。
というのも未だ、マンホールからは激しく水が吹き上がっており、周囲に池を作りそうな勢いだったからだ。
「男が走ってきたところにたまたま消火栓があって、たまたま消火栓が壊れていて、たまたまこのタイミングで水が噴き出しました。そこでたまたま追いついた私が見事に彼を捕まえたのですわ」
コーデリアは言い切った。いつものように自信満々の顔で。
一方の優人は何とも言えない微妙な顔で、
「そっか……、いろんな奇跡が噛み合ったんだね…………」
と言うと、消防署に電話をかけ始めた。
「さっきはお疲れ様」
優人とコーデリアは喫茶店にいた。
ひったくりを警察に預け、消火栓の始末を消防署に引き継ぐと、優人は当初の目的だったケーキ屋には直行しなかった。代わりにコーデリアを連れてきたのが、この昔ながらの純喫茶だった。
席は半分ほど埋まっていて、店内には緩やかなテンポのジャズが流れている。うるさすぎも静かすぎもしない、居心地の良い静けさだ。
優人は赤いベルベット地のボックス席を選び、飲み物を注文した。
コーデリアは紅茶、優人はコーヒーだ。優人のおごりだという。
「ありがとうございます。でも急がなくて良いんですか?皆さん、生徒会室で待っているのでは?」
不思議そうな顔をするコーデリアに、
「今日は僕が必ず確認しなきゃいけない用件も特になかったはずだから、大丈夫だよ。人助けも大変だからね。ちょっと休憩だよ」
と優人は言って、コーヒーを一口啜った。彼にまったく急ぐ様子はなく、この時間を楽しんでいるように見える。
優人がそう言うのなら、とコーデリアも素直に紅茶を楽しむことにした。
静花と一法もまた、店内にこっそり入り込んでいた。二人は先程のひったくり逮捕劇の後も彼らを追ってきていたのだ。ここまで来たら最後まで見届けようと決めたのである。
他の客に紛れながら、コーデリアらの座席と背中合わせになったボックス席にそっと滑り込む。
ボックスとボックスの間には仕切りと、さらにその上に並べられた観葉植物の鉢があり、姿を隠してくれる。また耳を澄ませば十分、隣のテーブルで何を話しているか聞きとることができた。尾行にはおあつらえ向きの環境だ。
だったのだが。
「……」
「……」
着席して5分間。優人、コーデリア、共に無言だった。時折飲み物を啜る音が聞こえる以外、両者一言も話さない。
(いやいやお前ら何か喋れよ。どっちも別に無口ってわけじゃないだろ。何なんだよこの空気は)
(コーデリアは朝から変だったけど、ひょっとして会長も変?二人ともどうしちゃったの!?)
一法と静花は目を見合わせてひそひそと話し合う。
何度か座席から腰を浮かせて観葉植物の枝の隙間を縫って二人の様子を窺ってみたのだが、前に見たときと同じポーズのまま。会話もなければ動きもないのだった。
さて、当人達は偵察されているなんてつゆとも知らなかった。本来のコーデリアは感覚が鋭いし、優人も勘が鋭い。静花と一法のずさんな追跡など、とっくに気づいてしかるべきなのだ。
なのに気づかない。
というのも二人とも今まさに目の前の問題で頭がいっぱいだからである。
つまり……、喫茶店で対面。二人きり。いかにも「重要な話をしますよ」という空気感。
このシチュエーションにおいて、一対一の男女が一体何を話すのか!?
古今東西、ありとあらゆる老若男女を悩ませてきた、大いなる命題に二人は頭を悩ませていたのである。
今までコーデリアと優人はそれなりに会話を重ねてきた。だが大抵は生徒会室で他の役員もいる中でのことだった。二人だけで話すときも基本的には仕事がらみだし、先程商店街を歩いていたときも当たり障りのない雑談していただけだ。
こんな風に正面向いて、「さあ、二人だけで話しましょう」となったのは意外にも初めてだったのである。
そのことに気がついたコーデリアと優人は、お互い顔色には出さなかったものの、めちゃくちゃうろたえていた。




