悪役令嬢、プールへ行く11
フードがわずかにずれる。長い前髪の隙間にのぞく片目があらわになった。
鋭く光る――炎のような、赤い目。
「……!?」
既視感。
コーデリアはそれが何なのか掴めず、男の目だけをじっと覗き込んでしまう。だから彼が口元を笑みの形に歪めたことに気がつかなかった。
シュッと摩擦音がして、コーデリアははっとする。
先程まで床に投げ出されていた男の手にはマッチ棒とマッチ箱があった。それはかつて千絃が自邸で対峙した魔術師が持っていたものと同じ類いのものだった。もちろんコーデリアはそんなことを知るよしもない。
彼は素早くマッチを側薬に擦り付けて火が点け、コーデリアに向かって投げつけてきた。
考える前にコーデリアは両腕をクロスして防御の姿勢をとっていた。取るに足りない小さな火と見えたが、その判断は間違っていなかった。
「!?」
マッチの火が強烈な光を放つ。
激しい爆発。
間近で打ち上げ花火が破裂したかのようだった。
熱風と爆風がコーデリアの身体を吹き飛ばす。
彼女はウォータースライダーの頂上から中空へと放り出された。
何が起こったのかわからない。
だが閃光の向こうで男が身を翻すのがかすかに見えた。爆発を目眩ましにしてこの場を去ろうとしているらしい。
コーデリアはそれを引き留めることもできず落下しながら、先程の違和感をようやく掴んでいた。
あの、男の目。
あれを私はいつかどこかで見たことがある――――……?
それが誰のものかと思い出す前に、彼女の身体は着水プールへと叩き付けられていた。
「コーデリア!」
「あそこから落ちたって……大丈夫か!?」
小蝶と友晴はプールサイドで真っ青になっていた。コーデリアがどんなに頑丈でも、あんな高い所から落ちて、果たして無事なものだろうか?
激しい水しぶきが起こった後、水面には彼女がまとっていた巻きタオルがぷかぷか浮いていた。
だが彼女自身は一向に浮かんでこない。
「もしかして……コーデリアは泳げないんじゃ…………」
優人がはっとする。
「え?そんなことあります?」
「あの運動神経抜群のコーデリアが?」
小蝶と友晴が首を傾げる。とても信じられないという顔だ。
だが優人には心当たりがあった。
先程、プールサイドで体育座りをしてかたくなに動こうとしなかったコーデリア。「水着が恥ずかしいなら別のを借りれば?」と言う優人に対し、「問題はそれだけではない」と彼女は言ったのだ。
その問題が――――、実はカナヅチだったということだったら?
慌てて優人はプールに入ると、水をかき分けてタオルが浮いている場所へと向かう。
タオルの下には案の定、黒髪の少女の身体がゆらゆらとしていた。
「コーデリア!」
優人はプールの底へと潜ると、彼女の背中と膝裏に腕を回した。そうして彼女を抱えて水上へ浮かび上がった。
「ぷはぁ……っ」
水中へと引き上げられたコーデリアは激しくむせた後、優人の腕の中でだらんと脱力してしていた。いわゆるお姫様抱っこの状態なのだが、意に介した風もなくぼーっと優人の顔を見上げるばかりだ。
優人はその様子を見て、「コーデリアが実は泳げない」という推測が正しかったことを確信した。
実際その通りで、水の妖精であるコーデリアはわざわざ海や川を移動するのに泳ぐ必要がない。先程見せたように、水辺は泳ぐものではなく歩くものなのである。そういうわけで彼女は水泳経験がゼロだったのだ。
それでもコーデリアが自失していたのはほんの数秒のことだった。
「コーデリア!」
プールサイドから静花の声がして、コーデリアはぴくりと反応する。
静花は気づかないうちにつくった擦り傷や切り傷を事務所で手当てしてもらい、こちらへ戻ってきたところだった。
一法が「もうコーデリアは大丈夫だろ、危ないから走るなって」と言いながら、彼女の後ろをついてきている。
「シズカ!怪我はありませんでしたかっ!?」
静花の姿を目にしたコーデリアはひょいと優人の腕から降りると、ばしゃばしゃと水をはねさせながら一目散に彼女の元へと向かう。
状況をはらはらしながら見ていた友晴や小蝶も、プールから上がって静花に抱きつくコーデリアを安心した様子で取り囲んだ。
優人は一人、プールの中に残って彼女らを見ていた。
「……」
そして中途半端に掬い上げるかたちをしたままの自身の両腕をじっと見下ろす。
先程抱き上げたコーデリア。
あれだけ激しい戦闘にも関わらず強情に身に巻き付けていたタオルが、水中へと落下したときの勢いで剥がれていた。
黒のクロスデザインの水着だった。
コーデリアの豊満ながらも繊細な白い肌。それを華美な装飾のない、艶のある黒い布地が引き立て、引き締めていた。
タオルの方は未だ水面に浮かんでいる。コーデリアも静花の危機を前に、羞恥心は頭から飛んだらしい。今はもう何も隠さずに皆の輪の中にいる。
優人は無意識に口元に手をやった。頬が熱いのは気のせいか。
「嘘だろ……」
彼にしては荒っぽい言葉遣いの独り言だった。
生まれて初めての衝撃。
プールサイドから皆の緊張が解けた、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
優人はまだ、あの輪の中には戻れそうになかった。




