悪役令嬢、テスト勉強する11
一法がタオルで濡れた頭を拭きながらサンルームに戻ると、コーデリアが信じられないくらい熱心に問題集を解いていた。
隣で静花が、コーデリアの解き終わったと思しき答案を採点してやっている。
「どうした?」
庭に出る前には無かった二人の鬼気迫る雰囲気に、一法は恐る恐る尋ねた。
「岩水君、大変なの!コーデリア、前の古典の試験の補習もまだ終わってなかったみたいなの」
ぱっと顔を上げた静花がまくし立てる。
「前……って4月末の実力テストのか?あれの補習なんて体育祭の前に終わってたはずだろ?」
実力テストなんて遙か昔の話で、今は中間テストの試験期間である。今更何を言っているのか。
コーデリアもまた問題集から顔を上げ、
「それが生徒会の仕事で忙しくて受けるのをすっかり忘れていたのですわ。その後も先生が何度も「お願いだから受けてちょうだい」と言ってくるものだから、仕方なく……。もう終わったことなんですから、いちいち蒸し返さなくても良いでしょうに。意地悪ですわ」
などと恨みがましげに言う。
一法は自分が引っ張り入れた悪役令嬢のせいで、善良な教師が随分な迷惑を被っているであろうことを察して申し訳なく思い、叱責モードに入った。
「お前、むしろそれは優しさだろ。俺なら呆れて、黙って単位を落としとくぞ」
「私、過去は振り返らない主義なんです」
「お前が振り返らなくても、解決していない過去はお前を追いかけてくるんだよ!ああ、もうどうするんだ。また勉強計画を立て直さなきゃいけないじゃないか」
キリッとした顔で言ってのけるコーデリアに、一法が頭をかきむしる。
慌てて静花が、
「大丈夫だよ、岩水君!私もコーデリアに教えるから」
と間に入った。
「うう、井本。頼りになるのはお前だけだ……」
厳しい状況に置かれたときに差し出される手は輝いて見える。一法は思わず涙した。別に本人のせいで厳しい状況に置かれたわけでもないのに、不憫なことである。
「シズカがいれば百人力ですわ」
コーデリアの方はこの状況に及んでもなお、実に自信満々の笑顔である。
なお二人とも忘れているが、決して静花の成績も安全圏ではない。
結局コーデリアはぎりぎりで古典の単位を落とさずに済み、さらに中間テストもこれまたぎりぎりでしのぎきったのだった。
一方で静花はコーデリアほど低い点数ではないものの、前回の試験に比べ学年順位を落としてしまった。
妹には笑われ、母にはちくちくと言われたが、いつもほど気にはならなかった。それどころか「次は頑張るよ」と笑うことさえできた。
きっと同級生との初めての勉強会が、大変だったけれど本当に楽しかったからだろう。
* * *
暗幕のかかった真っ暗な部屋に男が入ってきた。
黒いパーカーにジーンズというどこにでもいそうな格好で、フードを目深にかぶっている。
彼は部屋の中央まで来ると、ポケットから名刺ほどのサイズのチャック付きポリ袋を取り出した。中には一本のマッチが入っている。
マッチの細い軸木は針で書かれたような小さな字でびっしりと覆われ、見るからに禍々しい。明らかに魔術で使われるものとわかる。これをまったく雨に濡らすことなく持ち帰れたことに、彼はほっとした。
天気予報では午前中は天気が保つと言っていたのに、かなり早く雨が降り出してしまったのだ。おかげで危険を冒してあの魔女の屋敷に侵入したというのに、全て台無しになるところだった。
男の前にはブレイジャー……洋風の火鉢と言えば良いだろうか、鉄鍋に四本の猫足を付けて自立させたような見た目の炉があった。
手探りでテーブルに放り出されていたマッチ箱を手に取ると、手慣れた様子で頭薬を側薬に擦り付ける。シュッと音を立てて灯った小さな火を、炉の真ん中に落とした。
途端に、小さな明かりは一気に男の身長と同じくらい高さまで燃え上がる。赤々と揺らめく炎の中に影が映った。
<……そもそも私の目的はコーデリア、模造生命(暫定)であるあんたを造り出した魔術を解析することよ>
合わせて聞こえてきたのは千絃の声だ。炎に映し出された映像はすぐに鮮明になり、千絃だけでなくコーデリア、静花の姿も現れた。
<……『恋するフェアリーランド』というゲームです。そのタイトルで探してもらえれば……>
それは先程、千絃邸のサンルームで行われたやりとりだった。つまり録画のようなものだ。
<シズカの術式によって私の出現が引き起こされたという可能性……>
<私が「助けて」ってコーデリアを呼んだから……?>
このマッチには周囲の映像や音声を記録するよう術式を組んでいた。男は屋敷に侵入した際、サンルームの開いた窓の桟にこのマッチを仕込み、彼女らの会話を「隠し撮り」していた。そして持ち帰って火を付けることで記録を「再生」したわけである。
だがこんな小さなマッチ一本では決して長時間の記録はできない。ましてや雨に濡れれば火を付けられず無駄にしてしまう。適当なところで切り上げて、仕込んだマッチを回収する必要があった。
静花やコーデリアには見つからない自信があった。
問題は千絃だ。彼女はまだサンルームにいた。
さすがに彼女の前での回収は難しい。魔術師にとって自身の城は己の手足のようなものだ。些細な刺激でもすぐに気づかれる。
仕方なく裏庭に仕掛けられた蜘蛛の糸を切って、注意を逸らした。そこで幻を囮にして、無事にマッチを取り戻したのだ。
あとは塀を越えて屋敷を脱出し、何事もなかったかのように公道に繰り出した。そのまま最寄りの駅から普通に電車に乗って自分の城へと帰ったというわけだ。
炎がだんだんと勢いを弱め、それとともに声は遠くなり映像も不鮮明になる。マッチが燃え尽きると、室内は再び闇に落ちた。
「やはりコーデリアはゲームの情報を元に造り出されたのか。状況を見る限り、井本静花の呼びかけが術式を起動させたというので間違いないだろう。そして彼女はコーデリアに対し、特別強い思い入れがある……」
男はぶつぶつと呟きながら、暗闇の中で手に入れた情報を吟味した。
手を尽くして情報を圧縮しても、記録できたのはわずか数分間。それでも十分な収穫があった。
少なくとも自身の立てた仮説は概ね正しかったということがわかったのだ。あとは今日手に入れた情報を元に、どうやって仮説を実証するか。コーデリアという、この奇跡をどうやって自分の手で再現するか、だ。
彼は照明もつけないまま、今や何も映さぬ燃え尽きたマッチを前に、何時間も何時間も思考を巡らせ続けた。




