悪役令嬢、テスト勉強する9
よくわからないが静花がショックを受けているらしいことだけはわかったコーデリアが、「睡眠不足はともかくとして、悪いことだなんて言ってませんわ」と続ける。そして、
「シズカは本当にゲームが好きなのですね」
と安心させるように微笑んだ。
なんだかコーデリアに気を遣わせてしまったようで申し訳なく思い、静花はうつむいた。
「うん……でも、気持ち悪いでしょ?こんな非現実にばかり夢中になって」
と、小さく自嘲する。
コーデリアが首を傾げる。
「気持ち悪い?誰かにそう言われたんですか?」
心から不思議そうに問われて、静花は考え込んだ。
自分がゲームばかりやっていることについて気持ち悪いのは、誰に言われるまでもなく自明のことだと思っていた。
だがいつからそう思うようになったのだろう。
思い出してみると、母の「あなたはまたそんな変なゲームばかりやって」だとか、妹の「姉さんは部屋に閉じこもってゲームばっかりやってて気持ち悪いよ」だとかいう言葉がごく自然によみがえった。
「…………家族、かな」
そう口に出したとき、静花は喉が引き攣れるような感覚がした。
コーデリアは先を促すように黙っていた。
その温かな沈黙に促されるようにして、静花は再び口を開いた。
「私……さ、家族とあんまりうまくいかなくて、ついついゲームばっかりやるようになってね。ゲームの世界だけは私に優しいから。現実逃避してるんだ、ずっと」
静花には自分が地味で、大人しい、つまらない人間だという自覚がある。
学校では何をやってもうまくいかず、教室の隅に縮こまっていることしかできない。家では妹と比較され、母の思い通りの役割をうまく演じる能力も器用さも無く、息が詰まる。
唯一、息ができるのがゲームの中だった。現実から遠く離れた、つくりものの世界の中だけ、静花は肩の力を抜き、好きなだけ笑ったり泣いたりすることができる。
でも周りから見ればそんな人間、どんなに馬鹿で、どんなに寂しい奴に見えることだろう。
静花は話しながらどんどん気分が落ち込んできて、天井を見上げて「あーあ」と溜め息を吐いた。
「本当、良いところ無いなあ、私」
「シズカ……」
コーデリアはペンを置き、身体ごと静花の方を向いた。
静花はすぐに上を向いていた顔を戻し、
「ごめんね、コーデリア。こんな話聞かせちゃって。さっ、勉強に戻ろうか」
と不器用な笑顔をつくる。
そんな彼女の表情を見て、コーデリアは首を振った。
「いいえ。私はシズカが自分のことをたくさん話してくれて嬉しいですわ」
そして人差し指を立てて、秘密の計画を提案するようないたずらめいた顔で、
「これは仮定の話なのですけど、もしも家族とうまくいっていたら、シズカはゲームをやりませんでしたか?」
と問いかけてきた。
静花は目をぱちくりとさせる。
「多分……やってたと思う」
口に出してみると、心にすとんと落ちてくる。
何でゲームをやっているのかと言えば、それは面白いからだ。奇想天外なストーリーも、魅力的なキャラクターも、自分の選択肢一つで枝分かれするルートも。
その、「面白い」という気持ちはきっと、静花がどんな人生を歩んでいたとしても――静花が現実で十分に幸せな女の子であったとしても、きっと変わらない。
「それではそういうことですわ。何かを好きになるときに、いちいちもっともらしい理由をつくる必要はありませんよ」
「そう、だね。確かにそれじゃあゲームを作ってくれた人達に対しても失礼だよね」
こくこくと頷く静花に、「そういうことです」とコーデリアは嬉しそうに笑った。
「それに先程シズカは「自分には良いところが無い」と言っていましたが、私はシズカの良いところを一つ知っていますわ」
「え……、な、何?」
唐突な話題の転換に、静花は目を白黒とさせる。
彼女の様子をコーデリアはおかしそうに笑って、
「人を好きになれるところ、ですわ」
と自信たっぷりに言った。
「…………当たり前では?」
今度は静花が首を傾げる番だった。
「そんなことはありません。これが結構難しいんですよ」
コーデリアが苦笑する。彼女にしては珍しい表情だった。
「人を好きになるというのはつまり、その人をそのまま受け容れ、信じることでしょう?
人間は長所ばかりでは無く、必ず短所もあります。その人の素敵なところはともかくとしても嫌なところも受け容れるということは難しいのではないでしょうか。
それに他人なんて何を考えているのかわからないものです。嘘をつくかもしれないし、本心を黙っている可能性もある。
それでも信じるというのは恐ろしいことだと思うのです。少なくとも私にとっては……、とてもとても難しいことです。
だからこそシズカの誰かを好きになれるところは、心から尊いものだと思うのです」
「尊いだなんて、そんな」
コーデリアの大げさな言いように静花は思わず顔が熱くなった。
人を好きになるなんて、静花が勝手にやっていることだ。それによって何かが変わるわけでもない。さらに言えば、人を好きになれるところが長所だというなら、静花以外にも同じような人は大勢いるに決まっている。周囲と比べて突出しているわけでもないようなところで自分を褒めてくれるなんて、どうもコーデリアは自分に甘すぎるのではないか。 静花はちょっと不審の目でコーデリアを見てしまった。
静花の反応を予測したように、コーデリアは続けた。
「本当に誇るべきことだと思うのですよ。だって誰かに好きになってもらえること、愛してもらえることは、その人に勇気を与えるから」
コーデリアは穏やかな目をしている。
静花はこの時ほど、彼女が「悪役令嬢」だと言われていることを不思議に思ったことは無かった。
「私はシズカに「好き」と言ってもらえて、本当に嬉しかった。どんな世界だって、どんな敵が目の前にいたって、戦えると思った。私は……、本当にあなたのその言葉で、幸せになれたんですよ」
静花は心のどこか、冷たく固まっていた部分がほどけていくのを感じた。
「コーデリア……、ありがとう…………」
言葉に出しても足りないくらいだった。
――ありがとう、コーデリア。
――でもね、私だって好きな人誰にでも「好き」だなんて言えるわけじゃない。あなたがそんなだから、私は安心して「大好き」と言えるんだよ。
静花は胸いっぱいの思いを噛み締めていた。
開け放された窓から、夏が来る前の最後の爽やかな風が吹き込む。
そうして、しとしとと雨が降り始めた。




