悪役令嬢、テスト勉強する6
千絃が勝手口の扉を開けると、空にはどんよりとした雲が垂れ込めていた。じっとりとした嫌な空気がわだかまっている。海に近く、常に潮風が吹いているこの街では珍しい、風のない日。
勝手口は地下から階段を上って裏庭に通じるようになっている。
そこは千絃が丹精込めて世話をしているハーブガーデンだ。実用を重んじる彼女らしく、あるのは主に魔術に使用する目的の薬草ばかりだ。
だがその中に最近、薔薇の苗木が加わった。「観賞用の植物が一本も無いんじゃ様にならない」というコーデリアのわがままに拠るものだ。
植えるところまでは本人がやったものの、世話は当然のことながら千絃がすることになった。まったく、子供が小学校から朝顔の鉢を持ち帰ってきて、結局は母親が水やりをするのと同じようなことをする。そのくせ、綺麗に花が咲いたら「私が育てたんですよ!」と静花に見せびらかすのだろう。
そこまで想像がついて、千絃は人知れず溜め息を吐いた。
千絃が左右に目を光らせながら、青々とした植物の間を歩く。さりげなく両手を揺すって、袖口に隠した糸巻きを確認する。右の袖、左の袖、共に4つずつ。
さらに庭のあちこちに使い魔の蜘蛛が潜んでいる。余程のことが無い限り敵に後れを取ることは無いだろう。
敵……そう、敵だ。
軽く視線を上げて、敷地を取り囲む屋敷林の一本を見上げる。
その枝と枝の間を縫うようにして張り巡らされている蜘蛛の糸が一本、ぷつりと切れていた。
千絃の屋敷には敷地全体に無数の蜘蛛の糸が張られている。もちろん掃除が行き届いていないわけではない。全て彼女が使い魔の蜘蛛達に命じて作らせたものだ。
千絃とて一人前の魔女。自分の根城を守るためにはそれなりの備えをしている。
その一つがこの蜘蛛の糸だった。彼女はこれに常に誰にも気づかれないほど微弱な魔力を流している。身内――一法、コーデリア、そして屋敷を訪れる頻度から静花――以外が触れたり、引っかけて切ったりすれば、すぐさま主人である千絃の感知することとなる。魔術によるセンサーのようなものだ。
それが先程、一本切れた。何者かが彼女の屋敷に侵入したということだ。
たった一本。敵はそれだけで千絃に侵入を察知させてしまったと気づいたらしい。以降は一本も糸に接触したという反応は無い。
だが彼女は気がついていた。敵はまだこの敷地内にいるということを。このぴりぴりと張り詰めた空気。じりじりとうなじを灼く鋭い視線。千絃に気づかれたからといって逃げ帰るつもりは無いらしい。
ハーブガーデンの中央で一度立ち止まり、ぐるりを見回す。
未だ敵の居場所も意図もわからない。どうする。こちらから仕掛けるか?
手元に一つ取り出した糸巻きを構えようとしたそのとき、がさがさっと背後の白樫の枝が揺れた。
素早く振り返った千絃は自身の目に映った光景に思わず息を止めた。
「な……っ」
木々の間から飛び上がったのはドラゴンだった。
天を覆わんばかりに翼を広げた巨大な怪物。赤い鱗を全身に散りばめたそいつは千絃に目がけて顎を開く。
赤々とした炎の息が吐き出された。
千絃は本能のまま後ろに飛びすさり、見事に炎を避けてみせた。すぐさま体制を立て直し、魔力を込めた糸巻きを繰り出そうとする。
が、ドラゴンはそれよりも速く右脚を千絃に向かって振り下ろした。
激しい地響きと共に、屋敷が、木々が、周辺一帯が大きく揺れる。そして視界を覆うほどのもうもうとした土煙が立ちこめた。
* * *
「よし!テスト期間の計画表ができたぞ」
その頃、邸内では一法が勢い良く立ち上がっていた。
彼の手にはびっしりと書き込みのされたカレンダーがある。日ごとにどの科目のどのワークを何ページなどと事細かに指定されている。
一法は一度はコーデリアの学力に絶望しながらも、女子3人の魔術談義やら小競り合いやらの間ずっと起死回生の一手は無いかと頭を巡らしていたのだ。
偉い。とても偉い。
ところがコーデリアと静花はというと、
「えっ」
「何の話ですか?」
とぽかんとして顔を上げる。彼女らは顔を寄せ合ってローテーブルに広げた雑誌を熱心にめくっているところだった。
「ってお前ら何遊んでるんだ。俺も混ぜろよ(2回目)」
「勉強の息抜きも兼ねて、体育祭の打ち上げに行く場所について相談していたところです」
「体育祭の打ち上げ?何の話だ?」
首を傾げる一法に、慌てて静花が説明する。
「ごめんね、岩水君。一人で計画立てさせちゃって。コーデリアが小蝶さんと賭けをしてるんだよ。コーデリアが勝ったら生徒会役員の体育祭の打ち上げの幹事を小蝶さんにお願いするんだって」




