42、荷車の向かった先は
キッチンだった。とても広くて使い勝手のいい、主婦大喜びな感じのキッチンである。
そこには柊あんじぇらの姿があって、材料の到着を待ちわびていた。
やがて荷車が到着すると、あんじぇらは荷車に駆け寄っていく。
車を引いていた男は、
「へい、お待たせしやした。車はあとで取りに来るんで、必要な分だけ取っていってくだせえ」
「いつもありがとう」
「へい、そいじゃあ」
男は去った。
荷車の中身は、お菓子作りのための材料や道具などである。常に最新のものを現世から取り寄せて日々研究している柊あんじぇらであった。
あんじぇらは、高校時代は生活部という家庭科の延長拡大版みたいな部活に所属しており、菓子作りが最大の趣味。秋川に対してクッキーを振舞ったこともある。彼女の作る料理は、とても美味しい。
あんじぇらの手が青いシートを外した。
外して、すぐに閉じた。あまりにも目を疑うべき光景だったからだ。
おそらく小麦粉の袋をつぶしたか何かしたのだろう。人間の女が一人、白い粉まみれの状態で体調悪そうな顔で弱々しく手を振っていた。
「えっとぉ……」
もう一度、シートを剥ぎ取ってみる。やっぱり居る。もう一度閉じる。
あんじぇらは、どうすれば良いのかわからなかった。
自分の見知った人間がこの場所に居るということは、もしかしたら侵入者なわけで、あんじぇらとしては迷ってしまう。この霊界での生活に何ら問題はないと思っているけれど現世に帰りたいという気持ちも持ち続けているのだから。
入ってくることができたのだから、出て行くこともできるのではないか。そしてシートの中の彼女は自分を連れ出そうとしに来たのではないか。
「えっと……もしかして、会ったことある人、だよね」
あんじぇらは、閉じたシートに向かって話しかけた。
すると、バサッとシートが跳ね上がり、白くて細かい粉が舞う。
漂う強力粉の中で、立ち上がった江夏なつみは親指をグッと立てていた。
「作戦通り! いきなりあんじぇらのところにたどり着けるとは思ってなくて、心の準備がちょっとまだだったりするけどね!」
「江夏……さん?」
「およ、本当にあんじぇら? なんか、よそよそしいけど」
「え、そうかな?」
「まぁ、だいぶ時間が経ってるし、無理もないかも。だって、えっと、いつ以来だっけ」
「体育館前で話したとき以来、かな」
「あぁ、そうそう。体育館裏でね」
「あの、その後、秋川くんは……」
「ん、そのことなんだけどね、今の秋川には、あんじぇらが必要かなってね……。あ、今のだよ。あくまで今の秋川に必要だって意味だからね。別にこれ敗北宣言とかそういうんじゃないから」
「そっか……」
「とにかく、あたしが此処に来た目的は、あんじぇらと桃井って人を、あたしらの世界に連れ戻すってことなんだけど……あんじぇらは、えっと……帰りたい? 元の世界に」
すると柊あんじぇらは、ゆっくりと、大きく頷いた。
やはり、この霊界での扱いというのは現世の生活の劣化コピーでしかないのだ。狭い世界の中で自分からは動くことができない。動けることもあるけれど、大きく制限されてしまう。あんじぇらの奥底にある正直な気持ちとしては、「自由が欲しい」ということだった。
「でも、どうやって、ここから抜け出すの?」
「正面突破! だけど、その前に、ちょいやることがあるんだ」
「え」
「桃井っていう人を連れ出さないといけない」
「桃井って、もしかして、桃井もこぴー?」
「ん、そうそう。知ってるの?」
「知ってるも何も、すごく有名だよ。いつも馬鹿な失敗ばかりする癒し系として」
「ほうほう、それは、この絵の人であってる?」
江夏は桃井が描かれた紙を手渡してみる。
「わぁ、すごい。そっくり。まさにこういう感じだよ。一回、一緒に料理つくったことあるんだけどね、お砂糖とお塩を間違えちゃって、泣きながら食べてたのが面白かったな」
「どこに居るか、わかりますか?」
「えっとね……ちょっと、わかんないかな。でも、たぶん霊界警察の人たちが本部として使ってる建物に行けば、最悪あえなくても手がかりは絶対つかめると思うけど……」
「おお、いいね。案内してよ」
しかし、あんじぇらは視線をあちこちに漂わせ、
「あ、いや、だめかな。私も、案内できるほど詳しくないの。その建物に行ったことなんてなくて、この建物のある敷地内から出ちゃ行けないから……」
「まさに幽閉って感じ?」
「そう」
「つらっ。あたしだったら絶対耐えらんないわ」
「かもね」
あんじぇらは微笑んだ。
「ていうか、あんじぇら」
「なに?」
「なんか、全然変わんないね。若いまんまで、肌なんて、まだ十代で全然通用するし……」
「うん。なんか、成長とか老化とかしないんだってさ。この世界に居ると、体の時間が止まるみたい」
「え、じゃあ、ご飯も食べないし、おしっことかもしないの?」
「それは……食べるし、するけど」
「なのに老化しないとか、どうなってんの!」
「何で怒ってるのよ」
「なんか不公平だし! あんじぇらばっか若いまんまで、あたし女子高生から『オバサン』よばわりされたこともあんのに」
「え、そんなこと言われても……」
「でも、じゃあ、あんじぇらは、あの時、十七歳くらいのまんまっていうこと?」
「体は、そうだね」
「でも、あたしだって心は若いし!」
「何で張り合おうとしてるの? 江夏さん」
「あたりまえじゃん」
「それにしても……江夏さん、すごい綺麗になったね」
「そう? えへへ、やっぱり? って、こんなトーキングしてる暇ないんだった。さっさと桃井もこを連れて現世に戻らないと」
「江夏さんは、どうやってここに……?」
「そんなのは後。とりあえず、桃井もこが居そうなところをチェックしていきたいんだけど……どうしよう。正直、どっから探せばいいんだか、さっぱりで……」
あんじぇらは、二度三度頷いて、
「それなら、監視室に行ってみるのが早いかも。誰かに見つかったら大変だけど、かなり前に桃井さんから聞いた話だと、監視室は、『あいにゃんが人多いところ嫌うので、人通りの少ない場所にあるんですよ』って楽しそうに言ってたし、詳しい場所も、おぼろげにならイメージできるけど、それでいいなら……」
「よし、きまり! そこに行こう!」
監視室とやらに行くことになった。




