30、クズ自慢
ちょっとそこに座りなさい、と言ったのは、警備員の男だった。
女は不満そうな表情で正座し、まあ話くらいは聞いてやろうといった態度だった。
「お嬢さん、若くて綺麗なんだから、命を粗末にしてはいけない」
実に月並みな言葉だった。
「わたしは最低のことをしてきた。だから、死ぬ理由としては十分じゃん」
「最低のことってのは何だ」
「そんなの、知られたくないから黙って死のうとしたんでしょ? そんなこともわからないの? 言いたくないくらい最低なの」
「死ぬ理由になるほどの最低なことって何だ? 人殺しとかか?」
「ちがう」
「じゃあ何だろう。国家を傾けるほどの何かを……」
「してない」
「猫ふんじゃった」
「弾けるけど踏んでないし、そんなことで死なない。ていうか何、こんな時に冗談言って……」
「こんな時って何だよ。どうせ死のうなんて演技で、大したことじゃないんだろ。女はみんな演技するからなぁ」
「演技じゃないわよ」
「じゃあ、理由くらい言えよ。よほどの理由だったら、俺たちだって死なせてやるよな、なぁ?」
そう言って、警備員が振り返った。警備員の背後に並んで座っていた二人に視線を送り、二人はこくこくと頷きながら、「そうだそうだ、理由がきいてみたい」「死ぬべきだと思ったら遠慮なく死んじまえと言うぞ」などと言って、女の言葉を待った。
女は、ついに観念したのか、一つ溜息の後、半笑いで語りだす。
「わかったわよ。そんなに言うなら話すわよ。実はね、いじめを主導してたわけ。ほらね、死ぬに足る理由でしょ」
「ふむ、いじめはいけないな」と警備員。
「職場の同僚をね、皆でいじめてたの。ものすごく酷いいじめをね、してたの。普通の人が耐えられないようないじめ」
「ほうほう、店ぐるみで集団でってところが、またエグいな」とヒゲ面の混野ろり雄。
「でもね、いじめてた子が、店をやめることになって、そしたら、今度はわたしがいじめの標的になって……」
「なんだあ。じゃあもう罰は受けたじゃんか。問題ないよ、それ」と橘良近。
「問題ないって……何言ってるの?」
「だって、いじめられるのが辛くて死のうとしてるってことだろ。そういう人が、今後またいじめをするとは思えないし、痛みを知った分だけ前に進めたんだよ」
「どんだけ前向きなのよ」
するとすかさず警備員が、
「まだ返上も挽回も出来る位置に居るだろうってことだ。一時の感情で自分の命を粗末にするのは、タチの悪い『嘘』みたいなもんだ」
「こんなわたしの命を大事だとか言って、止めようとしてくれるのは嬉しいけどね、残念だけど、もうわたしに生きてる価値なんて無いの」
「ほら。それが嘘だ」とビシリと警備員が眉間を指差す。「生きてる価値の無い人間など、たぶん居ない」
「居るわよ」
「俺も、かつてはそう思った時期があった。まじで腐った日々で、何百回も嘘を吐いて、もう本当に最低の日々だった。でも、そんな俺だって、こうして生きている。自分に価値がなくて、死んだほうが世のためだと思っていたこともあるけれど、こんな俺だって、ほんの微妙にではあるけれど、世界の役に立てることがあると知ったから。生きているだけで貢献なんだって信じることができるようになったから、だから、あなたも死んではいけない」
「生きているだけで貢献? そんなわけないでしょ。死んだほうがマシなクズなのよ。こっちは」
「見たところ、まだ二十三くらいだろ?」
「ハタチです!」
「おっと、思ったより若いこと。でも、だったら尚更、まだまだこれからだ」
そして、今度はヒゲ面の汚い男が会話に割って入る。
「そうだぞ、俺が二十歳の頃なんてなぁ、十六歳の女の子に恋した挙句に、写真を集めまくったり、妄想の中で汚しまくったり、やがては追いかけ回したり触ったり抱きついたり撫で回したりしたんだぞ」
「うわ……きもちわるいわね……」
その時、ふわふわと、時田まことが屋上に上がってきた。
「そう、ちょうど、こんな姿形をした時田まことって女の子で……って……うわあああああ! まことちゃん来たぁ! 呪われるぅ!」
まことが視界に入ったようで、混野ろり雄はガタガタ震えて怯えていた。
「人が、浮いて……?」と女。
「どっかで聞いたような声と名前だな」と警備員。
「時田まことって、なんか聞いたことあるような、ないような……」と良近。
ろり雄は、頭を抱えて震えるなど、かなり怯えている。
「落ち着いてくださいろり雄さん。別に呪ったりしないですから」
「そんなん信じられるか! だって、俺はお前を襲おうとして……」
「うわ……さすがにそれ、何であんた生きてんのって言いたいわ」と女は言う。
「女の子襲おうとするなんて、最低だな、おっさん」
なお、良近くんはおっさんなどと言ったが、さほど年齢が離れているわけではない。ろり雄も、まだ何とか若者の部類に入る年齢である。
で、良近の発言に対し、時田まことがツッコミを入れた。
「良近さんがそれを言いますか。自分だって、レイプまがいのことしようとしましたくせに」
「何いってんだ、そんなこと――」
時田まことが手をかざし、良近の記憶を瞬時に修復した。
「――した記憶が……ある……なんだこれ……まじか?」
「まじです。まじの記憶を戻してあげただけです」
「昔、時田まことちゃんに会ってて……料金滞納者根絶計画? 確かに仕事してなくて料金滞納してた時期があった。その時、ホームレスになった挙句に五十万円をくれたキャバ嬢に……まじか……俺、最低じゃん。死にてえ」
すると、汚いおっさんのような混野ろり雄は、
「まて。無理矢理犯そうとしたとか、それも酷いけど、俺のほうがもっと酷い。だって、時田まことちゃんを追い掛け回した時、彼女はトラックに跳ね飛ばされて死んでしまったんだ」
「おいおいおい、人殺しじゃないか」
良近が言ったが、すかさず時田まことが、
「大丈夫です。多少憎しみはありますけど、半分しか死んでませんから」
「……やっぱり憎いよな。そりゃ、そうだよな、ははっ、そうじゃなきゃ霊になって出ないよな」
「霊じゃなくて半霊体です。まあ、とにかく、許せませんけど、いまさら何を言っても仕方ないので、気にしないで生きればいいんじゃないですか?」
「そんなこと言われたって……」
と、そんなタイミングで警備員が、
「時田まことって、そうか。まことちゃんか! 虚言ナントカ計画でお世話になった!」
警備員は、響介という名のかつての虚言野郎だった。
「そうです響介さん。その後、嘘つきまくりは治ったみたいで、私もうれしいです」
「おおー、やっぱそうなのか。懐かしいなあ。あの日々はスリル満点で超こわかった」
「ねー、よく耐えましたよね。なかなか素直にならないのでギリギリでしたけど」
「その後、彼女は……?」
「彼女……というと、まちるださんですか?」
「そうそう。楓まちるださん。そっちに居るの? それとも、もう生まれ変わったりしちゃった?」
「いえ、居ますよ。今、霊界刑務所というところで、もこぴーに命令を与えて働かせて自分は楽しています」
「そっか。よくわかんないけど、元気そうで何よりだ」
「はい」
ふと、橘良近は思いついた顔をして、死にたがりの女に向かって言う。
「ていうかさ、どんな仕事であれ、働く気があるだけすごくない?」
すると、警備員とろり雄は、「確かにそうだな」「そういやそうだ」と頷いた。
あまりにも異常な反応に面食らうしかない女は、「はぁ?」と言いつつ首をかしげた。
「だって、俺は今でこそバイトしてるけど、昔は働かないで親にたかろうって腐った根性だったもん。その上、親からもらった金で競艇やってすったりしてな」
「最低だなぁ。いやでも、俺も今でこそ警備員やらせてもらってるけど、親のすねかじってる時期があって、小遣いもらいに行っては、アニメDVDBOXとかパソコン周辺機器とか買ったりしてたわ」
「俺は昔働いてたけど、いま、現在進行形で仕事が無い状態です。そして酒浸りですごめんなさい」
女は、ゴミを見るような目で三者を見た後、
「わたし、むしろ親に仕送りしてるんですけど」
「えええ! なんだそれ! 天使か!」と良近。
「すげー。二十歳でそれ、すげー。俺なんか二十歳の頃にはロリコンで……」
「それはさっき言っただろ」と警備員がツッコミ。後、女の方に向き直り、「いやしかしそれにしても、死ぬべきじゃないじゃん。えらいじゃん」
そして、女は言った。
「どうして、働かないなんてことができるのかが、わたしにはわからないんだけどな」
混野ろり雄は言い訳するように、こう返した。
「いや、確かに今は仕事が無い状況だけどな、かつては働いてたんだぞ。でも、会社で精神病扱いされて、やめさせられて……その後、どこに行っても安定して働くことができず……」
「そりゃ、人が死ぬ原因つくっちまったんだから、しょうがないだろ。苛まれて当然だ。そんなことしたって聞いて、誰もお前を許してはくれないさ」
警備員がフォローにならないフォローを入れ、さらに続けて、
「つまり、あれだ。仕事をするのが幸せで、仕事をしないとしわよせが来る、か」
とか駄洒落じみたことを言って、自己満足に浸っていた。
さらに、今度は良近が、昔話をはじめた。
「あのさ、もう、ずいぶん昔の話になるけどさ、幼い頃、ある放送局で、生命が生まれて、人類が歩き出すまで、というような特別番組が放送されていたんだ。何十億年もの生命の進化の営みの中で、いくつもの種類が生まれ、そして淘汰されていくというのを追っていくドキュメンタリーだった。その中で、働かないハチの話をしてた」
「働かないハチ? ハチは働くもんなんじゃないの?」と女。
「なんでも、ハチの生態を研究してる人が言うには、働きバチの中に、一定数働かない連中がいて、働かないやつらだけを巣から取り除いてみると、不思議なことに今まで働いていたハチの中から働かないやつらが出てくる。つまり、一定の割合で働かないハチが発生するらしい。それと、同じことが人間の世でも起きていて、働かない人が居るのは仕方の無いことなんじゃないかって、思ったことがある」
すると警備員の響介が、
「俺もそれ見たことある。そして、自分が働かないことで、他の人が働く気が起きてるんだって言い聞かせて、とにかく腐った日々を送ってたわ」
などと口を挟む。
「そういえば、働かないで思い出したけど、俺、昔こんなことも思ったことがあるんだけど、聞いてくれるか?」
「何だ、良近。言ってみてくれ」
「働かざるもの食うべからずって言葉、あるだろ?」
「ああ、あるな」
「あれどういう意味だと思う?」
「うーん」ろり雄は顎に手を当てて考え込み、「そのまんまの意味じゃないか? 働かないものは、メシ食う資格が無いって」
しかし、良近はこう言った。
「それは、きっと表の意味だ。裏に隠された意味は、たぶん、こうだ。働いていない人が居るからって、その人を殺して皆で食べてはいけませんよ。と、たぶん本来はそういう恐ろしい言葉なんだよ。きっと昔は、働いてないやつは殺されて食われてたんだ」
「おいおい、グロいこと言うなよ」
「そんな堂々とカニバリズムに関する言葉が現代日本でポピュラーになっとるわけなかろう。あっ、きっと、それは、あれだ。まだ働いていないような若い女性をとって食ってはいかんぞっていう、ロリコン禁止の言葉じゃないか?」
そんなろり雄の言葉に、時田まことは「ろり雄さん、まだ懲りてないんですか? 呪いかけますよ?」と脅しを混ぜて苦言を呈する。
ろり雄は「くあああ、ごめん、ごめんよまことちゃぁああん!」と言って土下座した。
そんなタイミングで、女が手を挙げた。
皆が女に注目する。
「あなたたちが愉快で不愉快なクズだってのは、わかりました。全員そっから飛んだらいいんじゃないですか?」
「そんな蛮勇は持ち合わせていない」と元虚言男の警備員。
「死はこわいだろ。さっき死のうとしたけど絶対無理だと思ったもん」と元ロリコンの小汚い男。
「痛いのは嫌だしなぁ」と元料金滞納者でTシャツジーパンのフリーター。
「私はもうこれ以上死ぬのは難しいです」と元ロリ系高校生女子。
「いいから黙って生きろよクソ女」と、いつの間にか空に浮かんでいた女、まいぬー。
元いじめ女は、呆れて呟く。
「まったく、なんかよくわかんないけど、あんたら三人がドクズなのに普通に生きてるの見たら、死んでやる気が失せたよ」
「ドクズとか言うことないのにな。俺は今警備員してるのに」
「ああ、ドは身に余る代物だ。俺はフリーターなのに」
「確かに今アル中無職の俺はドクズかもしれない。ところでド級のドってさ、イギリスの戦艦、ドレッドノートのことなんだぜ」
「どうでもいいわ……」
言って、女は深く息を吸って、吐き、階段方向に踵を返した。




