後日談・夏「外交」
ルミちゃんへ
夏休み返上だとギンさんから聞きました。まとまった休みっていつ取れそう?
こないだルカと熊を狩りにいったんだけど
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まだ続く手紙を読む前にこめかみに手を当てる。誰のせいで休みがなくなったと思っているのか。
森の仔の移住に加えて、彼女たちが持参したという幻蚕の繭を加工した工芸品。さらには幻蚕と共生しているという独自の文化……。
隣国にこれらを知られるとまた新たな火種になりかねないというのに。しかも移住はすでに終わっているときた。
……早く交渉を終わらせねばならないが、このためにまた扮装をして隣国に行く羽目になるとは思わなかった。
「よく来たね、ルミ」
鷹揚に構えるこの方はモンテディオス王国のクレイハルツ公爵。非常にやりにくい相手だ。
前回の潜入時にもこの人経由で王城の侍女となったのだが
「しかしながら本当に男にしておくには勿体ない。人類の損失と言っても過言ではなく、これで性別さえ……惜しいな」
……ギンケイ様と仲が良い一点において、わりとどうしようもない人物である。
「ルミ、そろそろ私の紹介をしてくれないか?」
せっつくように言ってくるのはローダウェル侯爵の妻であるリラヴァ様。
ガタッと勢いよく立ち上がる公爵。
「……ルミ、そちらの御方はもしや?」
「身なりこそ変えておりますが、ローダウェル侯爵夫人のリラヴァ・ローダウェル様でございます」
公爵がいきなり天を仰ぎ始めているのですが。
「あぁ……神に感謝します。齢五十三にして、初めての生男装の麗人……諦めていた憧れのトップスターがついに私の前に降臨なされた」
奇行はギンケイ様で慣れているとはいえ、中々に癖が強い御仁だ。「男装の麗人」に並大抵ではない熱意をお持ちである。
「うれしいな、私に会うことをそんなにも待ちわびていてくれていたとは」
この機を逃さないとばかりに、いつもより低い声で話し掛けるリラヴァ様。さすがは騎士団長の妻というべきか。臆するどころかこの隙を見逃さない。
「あぁっ……お待ちください。……まだ、心の準備が」
「その可愛い顔を隠さないでほしいな」
恥じらう公爵。詰め寄るリラヴァ様。
一体私は何を見せられているのだろうか。外交に来たのだが、これは果たして外交と呼んで差し支えはないのか。
公爵の心の準備が整うまでに、ゆうに三十分はこの不毛とも思えるやり取りは続いた。
「すまないね、取り乱した。話を続けようか」
肌ツヤのよくなった公爵が改めて切り出すが、明らかに座る位置がおかしい。
なぜ公爵ともあろう御方が……人払いをしているとはいえ、床に座しているのか。
「ではクレイハルツ公爵、早速こちらの書類に署名を。そうすれば私の絵姿に直筆の署名を入れたものを差し上げましょう」
そしてリラヴァ様はゆったりと長い脚を組み、豪奢な椅子に腰掛けている。
「仰せのままに……」
今回の最大の目的である……署名がこのような形でなされていいのだろうか。黙って見守っていればいいだけではあるが、さすがに頭が痛い。
「……あぁ、私だけの署名にするには少々惜しいな。息子にも一枚噛ませて経験を積ませたい。少し時間を頂いても?」
「えぇ、もちろん」
交渉は順調に進んでいるのだが、解せない。
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歓待されること数日。何とか時間を捻出したらしい公爵子息が現れる。目の下には暗いクマがあり、隠しきれない疲労がにじむ。
「父上、今は些事に時間を使っている暇はないのですが。一体何だと……客人ですか?」
そしてリラヴァ様を見るなり平伏す。
「偉大なる精霊様に感謝を……幼少の砌より、父上から話に聞いていた男装の麗人が実在されるとは」
……私は、何も見なかったことにしたい。
「さて、本題ですがエルシア第二王女殿下をローダウェル侯爵家の養女になさると」
「えぇ、クレイハルツ公爵家と懇意の伯爵家へ移籍の後にこちらへ……安心なさって?エルシアちゃんは然るべき方の元へ嫁がせます」
クレイハルツ公爵家はモンテディオス王家に連なる血筋。
今回のグラティア王国を侵攻したところ、返り討ちとなる形で軍隊の壊滅的な被害。モンテディオス王家の威信は揺らいでいる。クレイハルツ公爵家はその機を逃さない。
我が国としても、友好的なクレイハルツ家に王権が移るのをよしとしている。
しかしその前に第二王女エルシア殿下、この方だけは現王家から切り離さねばならない。私が派遣されたのはルイシン様のためにも……という思いを見透かされてのことだろう。
「現王家なら……人質としての価値を下げるために伯爵家の娘としてしまえばいいとでも言えばどうとでもなるでしょう」
冷静に分析している公爵子息。
「……森の仔の伝承すら理解しておらぬ現王家に、これ以上エルシア殿下を任せておられない」
クレイハルツ家が「森の民」ではなく「森の仔」と呼ぶということは、そういうことなのだろう。彼らについて、正しく伝わっていると思ってよさそうだ。
王権が移る日はそう遠くはないだろう。
「然るべき方というのは、件の辺境伯ですか?」
「いいえ?」
なぜそこでリシアンが出てくるのだろうか。
「あれ?おかしいな……我が家の兵からも話は聞いていたのですが。辺境伯が今の森の仔を統べる者なのでしょう?侵攻の折、辺境伯が魔獣を操り魔王のごとく軍を一掃したのだと。森の仔も……辺境伯領へと下ったと一報があり、同じく森の仔の血を引くエルシア殿下とともに治めていくものと考えておりましたが」
……ちらりとリラヴァ様を見ても、予想外であったようだ。
クレイハルツ公爵家の情報収集能力、さらに懇意である事からギンケイ様だけが侵攻を止めたわけではないのだと正確に察知していた事がこうなるとは。
「……恐れ入りますが、辺境伯とエルシア殿下は親族でございます。かの辺境伯も……妹のように可愛がっております」
「ルイシン殿下と婚姻を結ぶように後押ししているのは辺境伯ですの」
しばし考え込む公爵と子息が破顔する。
「……貴国の真意、しかと受け取った」
交渉は成立した。
さて話は終わった、とばかりにリラヴァ様に夢中な二人に先程までの雰囲気は霧散している。
しかし、深読みし過ぎだ。我が国としてはエルシア殿下は元よりルイシン様の婚姻相手として考えていたというのに。
グラティア王家との繋がりを、公爵家が現王家より強く持てるという点で交渉しに来たのだが……付加価値として魔王の庇護下という認識も追加されたらしい。
クレイハルツ家がリシアンに辿り着いたのがよかったのか、悪かったのか……。
思いの外、早くに段取りがついた交渉で少しくらいは休みが取れるかもしれないと思った。
ただ、真っ先にあの辺境伯に色々と問い詰めたい気持ちで組んだ腕をトントンと指で落ち着かずに叩く。




