後日談・夏「延長戦」
「私が床を水浸しにしました」
そう書かれた小さな板を、不貞腐れた顔で引きずりながら歩く精霊。ちゃんと反省するように、まったく。家の中で遊ぶなって言ってんのに。
入り口のベルがけたたましく鳴る。
「リシアンさんっ!ちょっと来てください」
朝から騒がしいな、今日は。
「何……?」
扉を開けてしばし固まる。えーっと?これはどんな組み合わせなわけ?
◇──◇──◇──◇──◇
「おいしっ」
「あーそう……よかったね」
ご機嫌でサラダを頬張るのは森の仔の一人。春にこちらまで降りてきてた人。
スピナシアが森で見かけて、連れてきてくれたんだけど……「森に住むリシアンさんの親戚ですよね?」じゃねぇんだよ。
親戚っちゃあ親戚かもしんないけど。いつの間にか俺が「辺境大森林で生まれた」なんて噂も流れてるし。古参の冒険者は知ってんだろ、訂正しろ。
森の仔は何かを話に来たらしいけれど、簡単な単語しか話せないみたいで要領を得ない。
館の嬢はまだ寝てる時間だし、それまでの間が問題なんだよなぁ。
そして食い終わったからといってその崇める仕草はやめてくれ……。困ったなと思いながら、今日の予定を組み直すことにした。
昼もだいぶ過ぎて、何とも中途半端な時間にクレメンテと森の仔とともに館へ向かう。開店準備はジャスウェルに任せたけど、館も営業開始前の忙しい時間帯……。
何とか約束は取り付けたけど、心してかからないと。
「久しぶりね、領主様?」
「無理言ってすみませんでした、姐さん」
開幕から謝罪で入る俺。何で待ち構えてんだよ、いっそ怖ぇよ。
案内された部屋の後ろでは、嬢たちがせっせと化粧したり髪を結ったりと忙しくしている。だからマジでごめんって……。
「で、急ぎの話っていうのは?」
やりづれぇ。でも今日の俺にはクレメンテもついてるから大丈夫なはず。
「森の仔が来てんですけど、そちらの嬢に通訳を頼みたくて」
前にこの森の仔が保護された時、途中から嬢たちはフツーに話してたし。
「うちの子たち、高いわよ?」
よし、交渉は任せたクレメンテ。
「日当は金貨一枚でいかがでしょうか?こちらは外交や社交の場での通訳価格を参考としております」
契約書類も参考資料もバッチリでマジ助かる。
「……そうねぇ、でも森の仔の言語は独自の手の動きよ?外国語とはわけが違うと思わない?」
……うっわ、そこ突いてくんのかよ。頑張れ、クレメンテ!
何とか三割増しで決着したけど、見ているだけでも息が詰まるな。もうちょい高くなるかと思ってたけどこれくらいで済むならよしとしておこう。
ちなみに「街の皆さんから教えていただいた値切り術がなければ危なかったです」とクレメンテは後に語っていた。着実に主婦レベル上がってる。
「おいで、ベラドンナ」
「はい、姐様。さっきから気になってたんだよねー、リシアンと森の仔ちゃんがいるの」
顔馴染みの嬢がいつもの人懐っこい笑みを浮かべてやって来る。
「ひさ……ひさすぶりっ!」
森の仔もうれしそうにしている。なるほどね、言葉はここでちょっと習ってたのかな?楽しげに話す二人を眺める。
「ベラドンナ、通訳をお願いね?領主様から仕事の依頼よ」
それだけ言って席を立った姐さんを見送る。やっと一息つける。
そう思っていたが、甘かった。
ベラドンナの通訳で分かったのは、森の仔たちがこちらへ移住したいとの申し出だった。それも一族総出で。
いや……マジかよ?何でも最近住処であるモンテディオス王国の領地の深層部に、冒険者が立ち入らなくなったそうだ。
それで魔獣も増えてきたし、ちょっと困って移住を検討し始めたと。そして決め手は、俺がグラティア王国側の辺境領にいるから。「皆で話し合って決めました」と言われても、俺はその話し合いに参加してないんだけど?
さて、どうしようかな……。モンテディオス王国で森の仔は国民として扱われていない。エルシア様情報だからこれは確か。
森で賄えない必要物資は、たまに町まで降りて物々交換していたんだと。
「ちなみにどんなので物々交換を?」
と聞くと、森の仔が自慢げに独特の刺繍が入った帯状の何かを差し出してきた。
「嫌な人には出さなかった、とっておきだって。すごいね、めっちゃ綺麗じゃん……」
ベラドンナも興味津々といった様子でじっと見入っている。
鮮やかに色付いて独特な模様で分かりにくいけど……これさぁ?!
「……これは姐さんには黙っとけよ?」
「なぁに?急にそんな顔しちゃって」
そっと耳打ちをして、森の仔に聞いてほしいことを伝える。
「うっそ、マジで?これが……?」
そうして聞いてもらった森の仔の返事は満面の笑みでの肯定だった。
グラティア王国では禁制品、幻蚕の繭を使った逸品です。これはさすがにだいぶヤバい。
とりあえず……森の仔の保護が最優先だな、これ。持って来た本人はのほほんとしてるし。
「クレメンテ、冒険者ギルドに行ってありったけの新人登録用紙を持って来て」
ちょっと考えてから「すぐに」と言って出て行くクレメンテ。話が早くて助かる。
「ねぇ、リシアン。どういう事?……まーた悪い顔してんね?」
こっちは気が付いたのか、そうじゃないのか読めねぇな。
「もうちょっとお小遣い稼ぎする?代筆を頼みたいんだけど……空いてる子がいたら誘っていいよ」
任せておけと言わんばかりに、すぐに数人を呼び集めてくれた。
その後も聞き取りを続けて森の仔は総勢十八世帯、五十六人という事が判明した。
このくらいならまぁ……ギリ何とかなるかな。基準はよく分かんないけど。春の騎士団絡みのあれこれより人数も少ないしいけるだろ。
――冒険者は国に縛られない職業。居住の領に何かを納める義務もなければ、逆に保護も受けられない……けれど、身分の証明にはなる。
それに森に住んでるくらいだし、薬草採取とか簡単な依頼を受けたら物々交換しなくとも生活は出来るはず。
定住となると別で領民登録の手続きはあるけれど、ここは辺境領。俺の裁量でどうとでもなる。
問題は森の仔が持参したこれ、だよなぁ。
「……ちょっといくらになるか分かんないし、調べてからでいい?ちゃんと見合う金銭か物は渡すから、何とどんだけ交換したいか考えといて。大体のもんは大丈夫だから」
すっげぇ破格になりそうだな、これ。レオ兄さんから幻蚕関連の加工品については教え込まれたけど、ここまで鮮やかな染色のは今までにないやつだし。
師匠にも聞きたいけど王城に呼ばれていないし……。
あ、そっか。送ればいいのか。師匠も王城にいるなら話は早いだろうし。帰ったら精霊に届けてほしいと頼んでみよ!
「火乃!お使いを頼みたいんだけど」
「うん、いってくる!……何でくれないの?」
パッと腕を広げて待っているけど、さすがに俺も学んでいる。こいつ、人の話を聞かずに飛び出すから危ない。
「私が床を水浸しにしました」で反省中の水のも呼び出す。……まだ拗ねてんな。
「これはもういいよ。で、お前にも頼みたい事があるんだけど?」
そう言うと、チラッとこちらを見てそわそわしている。
「頼んだ事を引き受けてくれたらオヤツ保証あり、それも王城で出される一級品」
『……何したらいいの?』
遠慮がちに言ってるけど、随分と前のめりだな。
「この書簡を火乃と一緒に届けてほしい。で、三日後にはこっちに連れて帰ってくること。いける?」
二つ返事で引き受けてくれた。これで火乃がまた王城からしばらく帰ってこなくて困る事もないだろう。お目付け役ってやっぱいるよね。
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「では、最終的には辺境大森林の深層部をグラティア王国の領土とする方針で進めましょう」
王城では戦後処理が着々と進んでいる。今日の会議はここまで、というところでパチパチと小さな光が集まって「ポンッ」と軽い音とともに精霊が姿を現した。
「火乃くんではないか!」
国王がうれしそうに出迎える。火乃がしっかりと水の精霊と手を繋いでいる様を、微笑ましげに皆が眺めている。
「王様ー!リピニャアがね、お手紙とお届けものっ。師匠はどこ?」
火乃の発言で戦後処理をしていた会議の参加者たちはしんとなった……。誰も口には出さないが「辺境伯、今度は何を?」と妙な緊張感が走る。
「ここにいる……リシアンから何を預かってき」
ペチッと軽い音を立てて、書簡を顔にぶつけるように渡している。精霊たちは何をしても怒られない自負があり、バルドレムすらからかう事がある。
その後に「お前の仕業か?!」とリシアンが怒られる事までがセットだ。
「あとこれもー!」
二体の精霊が両端を持って広げた帯に、全員が釘付けとなる。
小さなざわめきが広がっていく会議室。書簡を読み進めるバルドレムの顔がみるみるうちに赤く染まる。
「あんの、馬鹿っ……。森の仔の移住?!」
前半は小さな声だったので、隣にいた騎士団長にしか聞こえていない。続く「森の仔の移住」は全員に聞こえた。
森の仔の移住、そして鮮やかな色をした独特の刺繍の帯は既視感のある輝きを放っている……。
国王が手触りを確かめるように、よく似た光沢の淡く青白い襟を静かに整える。
王城の会議はここから延長戦へ突入した。




