99 セイナ・ニコナの友だち
アンソニーの本は寮に持って行かないことにした。こんなことは万が一にもないと思うが、例えばセイナ・ニコナが私の部屋に出入りする機会があったりなんかしたときに、あの本を見られるといろいろ面倒くさいことを言われたりしそうだったからだ。
それからしばらくは何事もなかった。少なくとも一週間は。次の週末はアンリウォルズ先輩とレイドール公爵令嬢の婚約パーティがあったが、それも出ないままで済んだ。
ルートヴィヒが婆ちゃんの家に来たとき、私はアンソニーからもらった本をルートヴィヒに見せた。ルートヴィヒには本の来歴は説明せずに、こんな本をもらったんだけど、とだけ言った。
ルートヴィヒは本をぱらぱらと見ると、
「良い本をもらいましたね。でも、誰からです?クラリィ師ではなさそうだけど」
「何でそんなことわかるわけ?」
「クラリィ師は書物に頼らずとも直接伝えることができるからですよ。ここに書いてあることくらい、クラリィ師なら当然わかっていることでしょうからね」
「買いかぶりだよ」
傍で茶を淹れていた婆ちゃんが言った。
「もしそうだとしても、全部を忘れずに伝えていけるかはわからないんだしね。そんな本があってもいいだろうさ」
「では、クラリィ師がこの本を?」
「いいや。それはないね。私ならもっと別な本を用意するよ」
「でしょうねえ。因みに、私でも別な本を用意しますよ」
「じゃあ、この本はあんまり良くないってこと?」
「そうじゃありませんよ。私が用意する、というのは、一から貴女用に書く、ということです。私は今まで弟子をとったことはありませんけど、もし私に弟子入りするということでしたら、その用意はありますよ」
「お断りします。もし弟子入りするんなら、婆ちゃんもお願いするんで」
「でしょうねえ」
ルートヴィヒは穏やかに笑った。
週明けの月曜日の放課後、いつもと違う出来事が待ち受けていた。
まさかのセイナ・ニコナが、放課後になってすぐ、うちのクラスにわざわざ私を訪ねてきたのだ。
同じ学科の同じ学院でクラスが隣なのだが、まず学院で話しかけられたことはなかった。こちらから話しかけることもなく、学院では没交渉だった。
そんな彼女が訪ねてきただけでも意外だったのに、友人を伴っていたのが輪をかけて驚きだった。……セイナ・ニコナが特定の女生徒と一緒に廊下を歩いている様子は何回か見かけていて、あ、こいつにも友人はいるんだ、と知ってはいたのだけど、まさかその子を連れてきて、一緒に私と話をしたい、なんて言ってくるとは思わなかったのだ。
いやー、私とセイナ・ニコナだよ?和気藹々とした雰囲気で話せる可能性はほぼなく、そこにわざわざ友だちをいさせようなんて思わないじゃない?少なくとも私は、セイナ・ニコナとギスギスした会話をしようかというところにマリちゃんを居合わせさせたくはないわ。
「友だちが、あんたと話がしたいって。紹介してほしいって言われて」
少し硬い表情でセイナは言った。不機嫌とかそういうのでなく、ちょっと戸惑っている感じ?
私はセイナの連れを見た。以前にセイナと一緒にいるのを見かけたのと同じ子だった。色白で、頬が丸い、つぶらな目に金色の髪をしているが、小柄で地味な感の子だった。
セイナの友人はまず私に頭を下げた。
「初めまして。ラナ・ウェイルデンって言います。今日は、あなたを紹介してくれってセイナに頼み込んで来ました」
「あー、えっと。ちょっとごめん、今から人と約束してて。もう行かないといけないんだけど」
それは本当のことで、話している間にマリちゃんがやってきた。
「何、シホちゃん、お客様?ジェニファが待ってるけどどうする?」
今日もまた羽衣を使って変身できないか、練習場で練習する予定なのだ。
セイナ・ニコナは怒り出した。
「何よ、折角こっちが出向いてるのに、融通くらいきかせなさいよ」
「いや、勝手に押し掛けてきてその言いぐさは何よ」
「あの、すみません、私が無理を言ったんです。紹介してほしいって。時間はそんなに取りません。あの、これを」
ラナは服のポケットから白い封筒を取り出した。見るからに上等な紙でできた封筒で、封蝋までされている。
封蝋に使われた印章は複雑で、明らかに貴族のものだなと思って私が顔を蹙めていると、封筒を横合いから見ていたマリちゃんが不思議そうに言った。
「あら、これ、アンリウォルズ公爵家の印章じゃない?あなた、ラナ・ウェイルデンさんでしょう?レイドール公爵家の関係の人じゃなかったかしら?」
私は顔をしかめた。何でその名前がここで出てくる。
マリちゃんが説明した。
「この子、親御さんがレイドール公爵家に仕えているの。あの家の召使いの中でも上の方のお役目に就いているんじゃないかな。ウェイルデンさんのお母さんが公爵家のお使いで何回かおばあちゃまのところに来ていたわ」
会長夫人は昔からファッションセンスが抜群で、フォロ商会がドレス等の服飾部門でも業績を伸ばしていくのにかなりの力になっている。今も以前ほど前面に出て商売に関わってはいないが、昔からの顧客の相談に乗るべく、サロンを開いていた。マリちゃんがドレスとかに興味を持ち、将来商会の服飾部門に関わるんだと思っていたのも、そんな会長夫人を間近で見ていたからでもある。
「貴女、将来はレイドール公爵令嬢付きの侍女になるというのではなかったの?そのためにレイドール公爵令嬢が学院に入るのに際して、魔素術科への進学を認められたってきいたけど」
「あー、ディエールみたいなパターン?」
あちらは王子付きになるということだったが。
マリちゃんは肯定した。
「そう、彼と同じ感じ。でも、そんな貴女がシホちゃんにアンリウォルズ家の印章がついたものを持ってくるって、どういうこと?」
「あの、お嬢様のご婚約者様に頼まれて」
私は怪訝に思いながら、封筒を受け取って服のポケットに入れようとした。するとラナが言った。
「あの、今ここで読んでもらっていいですか」
「はあ?」
「貴女が中身を読んだっていうのを確認してくるようにと言われていて」
何から何まで怪訝にしか思えなかったが、私は封筒を開けた。中から出てきたのはやはり上質な紙の便箋だった。
用件は、明日の礼儀作法の課外授業には必ず出るように、ということと、その後に時間をもらいたい、ということだった。
そして、この手紙の中身はそれ以外の人には伝えないように、とも書き添えられていた。
「シホちゃん、何の御用だったの?」
「うーん、まあちょっとした確認って感じかなあ?わざわざ手紙なんか寄越さなくてもいいと思うけど」
そんなことを思いながら、翌日の放課後、礼儀作法の課外授業に出席した。出席者は、私とジェニファとクロウの三人だ。いつものとおり。
課外授業では、偉い人の前に出たときの口上のパターンを習った後、いつものようにお辞儀の練習をして終わった。
リーシア先生が授業の終わりを告げ、教室を出ようとしたとき、教室の前の入り口が開いて、アンリウォルズ先輩が入ってきた。
驚いたことに、その後ろにレイドール公爵令嬢がいた。
リーシア先輩が不思議そうに二人を見た。
「お二人とも、どうされましたか。どなたかと約束でもされていたんですか。ちょうど授業は終わったところですけど」
それでは私はこれで、と二人の傍を通り抜けて教室の外に出ようとしたリーシア先生を、アンリウォルズ先輩が目の前に立って止めた。
「先生、お話しがあるんです」
「あら、私に用ですか。それでは場所を移しましょうか」
「いいえ。ここで話を」
リーシア先生は戸惑っている様子だったが、それでは、と私たち生徒に目を向けた。
「それでは、三人は先に教室を出てもらって」
「アリス・ゼンさんには残ってもらうことになっています。既に約束はしていますので」
「私も残ります」
ジェニファが言った。
「兄からきいています。私も残ります」
毅然とした口調だった。その真剣さに、ジェニファはヨハンから何をきいているんだと私は思ったが、ジェニファが私の手に小さく畳まれた紙を渡してきた。
「兄さまから」
言われて私は渡された紙を広げた。そこには、妹を守ってほしい、と書かれていた。
何が起こるというのか?
アンリウォルズ先輩が戸惑った様子でいたが、じゃあ、とクロウを見た。
「君はどうする?いっそのこと、君も話をきいてもらった方がいいかもしれないとは思うんだが。君も宴の参加者だからな。知らないよりは知っていた方がいいだろう」
「これから何があるんですか」
「ちょっとした話し合い、かな。それとも保護者面談というか」
言いながら、アンリウォルズ先輩とレイドール公爵令嬢は教室の中に入り、部屋の戸を閉めた。
「何の話をしようというの?」
リーシア先生が首を傾げる。まあそうだろう。私も同感だ。一体何の話をしようというのか。
レイドール公爵令嬢がためらいながら言った。
「弟君のことでお話ししないといけないことがあります」




