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86 不穏な客たち

 今日今からすぐに行ったら会えるかも、というのは、根拠のないことではない。このフェドゥール家の訓練場に来るときにジェニファの家の前を通ったのだけど、そのとき、店先の掃除をタロちゃんがしていたのだ。

 声をかけたら、午前中は店番をしている、と言っていたので、今から行けば多分会える。

 クロウの義兄は、タロちゃんに今すぐ会いに行くことに乗り気だった。場所はどこだ、と訊くので、ラウトゥーゾ子爵家がやっているパン屋だと言うと、途端に渋面を作った。

「子爵家のパン屋、か……。もっと別な場所では会えないのか?」

「えー、無理ですよ、そんな立派な場所、平民には用意できません」

「しかし、店には客が来るだろう」

「タロちゃんに会うだけならそれで十分でしょう」

 私は言い切った。見極める、とか言ってたけど、もしかしてこの人、タロちゃんの腕前をみるつもりだったのかな。だとしたら、そんな場面、絶対に私にはセッティングできないよ。

 クロウの義兄は少し悩んでいたが、やがて、行く、と言った。着替えてくるから待っているように、と言って部屋を出ていこうとするのを呼び止める。

「平民が出入りしているパン屋なので、今の服装で十二分です。それより早く行きませんか。人気のパンが売り切れてしまう」

 クロウの義兄はジト目で私を見返した。

「もしかしてお前、ただパンを買いに行きたいだけなのではないか?」

「私はにとってはただ、帰り道にあるパン屋に寄るっていうだけですよ。ついでにあなたを案内するんです」

 クロウの義兄は馬車で行こうと主張したが、それもはねのけた。伯爵家の馬車なんぞで店に乗り付けたら何事かとご近所に見られるではないか。そもそも、私は高等学院に行っているというだけでご近所からすると既に異分子なのだ。婆ちゃんの家に出入りして人形師の仕事の手伝いをしているっていうことで、理解は得られている感じはあるけれど。

 私とクロウの義兄は歩いてジェニファの家に向かった。私たち二人の前を一人、後ろを二人の騎士が護衛のためについてきた。三人ともいかにも騎士です、という出で立ちで。

 嫌だったけど、騎士たちが目立たない服装に着替えるのに時間がかかるというのでそれは受け入れた。ただ、先触れを出して店に先に来ていた客を追い出すようなことはしないでくれと頼んだ。そこはクロウの義兄も了解してくれた。子爵家の商売を邪魔するような真似はしたくないらしい。

 とはいえ、騎士を三人も連れていれば目立つ。しかも先導していた騎士が店の扉を開け、私たちをエスコートするような真似をすれば。まあ、たまたま他にお客さんがいなかったのは幸いだったけど。

 店番をしていたタロちゃんは、いかにも貴族然としたクロウの義兄を連れてきた私に、

「何があった」

 と、挨拶もなしに訊いてきた。私は斯く斯く然々と説明した。

 タロちゃんは、ああ、と頷いて、

「確かに、クロウという生徒の従者の件は引き受けたけど。その実家の方は了解していなかったのか?」

「んー、とりあえずおにいさんは納得してなかったみたいだけど、大丈夫なんじゃない、結局は宴に行く本人の意思だし」

 私はクロウの義兄を見た。クロウの義兄はタロちゃんを喰いいるように見ていた。何か言おうと口を開きかけたとき、店の入り口から爽やかな声がした。

「おや、シホさんじゃないですか」

 ルートヴィヒが店の入り口に立っていた。美形が日の光の中にこやかに立っているのは絵になるが、なんだろう、ちょっと胡散臭い感じがする。同じガリエス家の美形でも、ガリエス先輩とかそのお兄さんたちはそんな感じはしないんだけど。

 私は会釈だけした。今取り込み中なんで、スルーしてほしかったんだけど、向こうは構わずに私の方へ歩いてきた。クロウの義兄を護衛していた騎士がその間に割り込んで行かせまいとするが、ルートヴィヒはにこやかな笑顔を浮かべながら、

「嫌だなあ、私はそこのお嬢さんに用があるだけですよ」

 と言いながら、片手をすっと上げた。その瞬間、二人の間の空間の魔素が僅かに動き、途端に護衛騎士がその場にへたりこんだ。

 それを見て、ルートヴィヒが電気を発生させ騎士に喰らわせたとわかった。私もできるけど、相手の体に直接触らないといけないんだよねえ。空間を介しても相手に効果を与えられるとか、ちょっとやり方教えてほしいんだけど。

 私はそんな風にルートヴィヒの技に関心していて騒ぐことはしなかったけど、フェドゥール伯爵家の面々はそうはいかなかった。無事な騎士は腰に差した剣の束に手をかけている。

 私は慌てて言った。

「すみません、ちょっとした魔素術の応用で。悪意はないんです」

 多分。

 ルートヴィヒも爽やかな笑顔を浮かべ、

「申し訳ない、少しやりすぎたようだ。私はただそこのお嬢さんに挨拶がしたかっただけで」

「おいおい、騒ぐなら外でやってくれ」

 呆れた様子でタロちゃんが言う。ルートヴィヒはこちらにもにこやかに、

「すみません。パンを買いにきたんですけど」

 そりゃそうだろう。パン屋に来るのにそれ以外のどんな用がある。

 それからルートヴィヒは何事もなかったようにパンを選び始めた。

 クロウの義兄はそんなルートヴィヒを呆然とした様子で見ていたが、

「今のは一体何なんだ。魔素術と言っていたがあんなことができるのか」

 私とタロちゃんは顔を見合わせた。

「確かに名付きの術とは違ってあんまり使われないかもしれないけど、私もできますよ。ただ、私は相手に触らないとできないけど」

「やっぱりそうだよなあ。俺も相手に触らないと無理だな」

 しみじみとタロちゃんが言う。そうだよねえ。

 クロウの義兄は考え込みながら、自家の騎士たちに訊いた。

「私はあんな魔素術は初めて見たが、お前たちはどうだ」

「私も初めて見ました」

「私もです」

 立ち上がりながら、先ほどルートヴィヒに電撃を喰らった騎士が言った。

「そもそもどんな理屈で何が起きたのかわからないのですが、いきなり体が痺れて動かなくなって」

「おい、アリス・ゼン。説明しろ」

「多分説明してもわからないと思いますよ。魔素がどんなものかわかっていないと理解できないだろうし」

「平民は皆ああいうことができるのか」

「魔素術師でもできる人は珍しいと思いますよ」

 タロちゃんも頷きながら、

「まあなあ。なあ、あのお客さん、お前の知り合いみたいだけど、誰、あれ」

「クラリィ婆ちゃんのところに出入りするようになった人形師だよ」

「ああ、なるほど。あの人の仕事仲間か。じゃあ、かなりの使い手なんだろうな」

 婆ちゃんを知っていればそういう風に予想するよねえ。

 と、パンの棚に向き合っていたルートヴィヒがこちらを振り返った。

「シホさん、好きなパンはありますか。あれば選んでください」

「え、自分で選べばいいじゃないですか」

「いや、実はクラリィ師のお使いで来ているんですよ。多分あなたも今日、作業をしに来るでしょう。お茶の時間に好きなパンが出て来たら嬉しくありませんか?」

 そう言われると、断る理由はなかった。私はふらふらとパンの棚に近寄る。それを見て、クロウの義兄が、おい、と声を掛ける。

 振り返って私は訊ねた。

「何ですか?」

「何ですか、じゃないだろう。勝手にいなくなるな」

「えー、だって私はもうクロウの従者になる相手を紹介したし、役目は果たしたじゃないですか」

「終わってない。この男の腕前をみさせてもらわないと」

「いや、ここ、お店ですよ。無理でしょ。……見極めたいとか言ってたけど、本当に腕前みる気だったんですか」

「それは、その。そのつもりはなかったんだが、さっきの男のような魔素術は使えないとか言うしな」

「私のことでしたら、お気になさらず」

 にこやかにルートヴィヒが話に入ってきた。手にしたトレイはパンで山盛りになっている。どうやら会計をしにきたらしい。

「魔素術は独学で、どうも普通の魔素術師とは魔素術の使い方が違うらしいので、私ができて他の人にできないからといって、できない人が不出来というわけではないですよ」

 クロウの義兄は面喰らった様子だった。多分、平民が貴族の話に割って入ってきたのに驚いているのだろう。

 ルートヴィヒは相手の反応に構わず話し続ける。

「ついでに言うと、そちらの青年の魔素術の腕前は確かですよ。保証してもいい。ただ、どこの馬の骨ともわからぬ魔素術師に保証されてもと思うでしょうが」

「魔素術でこの男と戦ったことがあるのか」

「戦う?その必要はありませんよ。ある一定の力量がある魔素術師なら、相手を見ただけでどの程度魔素術が使えるか、わかるものです。シホさんも、そちらの彼もそうでしょう?」

 私もタロちゃんも頷いた。そんなことは当然のことだしね。

「まあ、いらぬ差し出口を挟みました。店員さん、選んだパンをひとまずここに置かせてもらっていいですか。もう少し選んで、それからお会計をお願いします。シホさん、一緒に帰りませんか。というか、パンを運ぶのを手伝ってほしいんですが」

 トレイの上には相当量のパンがあるのに、まだ買うつもりらしい。どれだけパンが好きなんだ、と思ったが、承諾した。タロちゃんが恨みがましそうな視線を送ってきたが、そんなのは無視する。だって私は紹介してくれってクロウの義兄を言われて連れてきただけだし。クロウの従者として宴に行くのなら、クロウの義兄にどこかで会うことにはなったろうし。

 ただ、クロウの義兄も納得していないようで、ここで帰るなんて無責任だろう、等と喰いついてきた。ああ面倒くさい、と思っていると、店の奥からこの店の主人、ジェニファの父親が出て来た。

「ようこそ、当店へ。貴族家の方とお見受けしますが、どうかなさいましたか。私はこの店の主で、ラウトゥーゾ子爵位を賜っている者です」

 子爵家当主にこう言われて、面と向かって無理を通すようなことはクロウの義兄はしなかった。こういうとき、子爵家当主と伯爵家子息とでは力関係がどうなっているのかわからないのだけど、伯爵家からついてきた騎士達も黙って頭を下げるだけだった。

「すみません、お会計をお願いできますか」

 貴族家同士の、平民にはよくわからないパワーゲームが進行している中、ルートヴィヒはマイペースにパンを選び続けていたらしい。新たなトレイにはまたパンが山盛りに乗っており、それを持ってタロちゃんに声を掛けていた。

 タロちゃんはラウトゥーゾ子爵とクロウの義兄の間で繰り広げられている社交などどこ吹く風で、淡々と接客をする。

 山盛りのパンは大きな紙袋二つに詰められ、ルートヴィヒはそのうちの一つを当たり前のように私に渡してきた。

「それでは、お(いとま)しましょうか。みなさん、これで失礼します」

 軽く頭を下げるルートヴィヒに続いて、私はパン屋を出た。ラウトゥーゾ子爵、つまりはジェニファのお父さんは軽く会釈、タロちゃんは少しばかり肩を竦めてみせ、クロウの義兄は忌々しそうに軽く睨んできたが、私は全てを無視した。

 店を出て少し行ったところで、ルートヴィヒが可笑しそうに笑っていた。

「どこの家の子息か知らないけれど、怖いもの知らずですねえ。魔法で戦ったって、あの店番の彼にはかなわないだろうに」

「魔法の腕前までわかるんですか」

 魔素術の腕前がわかるみたいに。

 私の驚きに対し、ルートヴィヒは答えた。

「そうですね、私は確かに魔法は使えなくなりましたけれど、魔力を感じる能力は残っているみたいです。ただ感じるだけで、決して操ることはでけいないんですけれど。……蘇生されたら千本杖(テウル)誕生以前の貴族と同じになって、魔法に関する能力はまっさらになると思っていたんですが、少し意外でしたねえ。もしかしたら、術者が未熟だったからかもしれませんが」

「それ……どういう意味ですか」

 千本杖(テウル)誕生以前の貴族、とは。

 ルートヴィヒは静かなまなざしで私を見返した。

「ああ、あなたはご存じないんですね。千本杖(テウル)が生まれたときに何が起きていたか。まあ、知らなくて当然か。王宮でも王族とかごく一部の人間しか知らないことだ。それも、正確に知っているかどうかは怪しい」

 これはもしや、平民は知らない方がいいことか?

 私は話を逸らそうと、新たな話題を出すべく頭をフル回転させた。が、思いつく前にルートヴィヒは言った。

千本杖(テウル)が誕生したとき、神々は当時の貴族を作り替えたんですよ」


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