65 新しい寮生
その日以降、連休が終わるまで、私はラヴィの鱗選びを延々と行った。魔素術らしい魔素術は一度も使わせてもらえなかった。
毎朝、母に健康チェックをされ、昼間も作業の途中でクラリィ婆ちゃんと手を繋ぎ、婆ちゃんの体の中に私から魔素を流す、ということをやった。そうすることで魔素の流れを整える効果が得られるらしい。
この連休でいろいろ修行しようと思っていたのに、完全に当てが外れた。
そんなことを思いながら、連休が明ける前日の夕方に私は学院の寮に戻った。ホリィだけでなく、シュルまでついてきた。勿論、シュルには学院で見つからないように隠れて行動するよう言い含めた。鳴き声の感じでシュルは承知してくれた様子だった。
夕食時、食堂でジェニファに会った。ジェニファは私の顔を見るなり、憤った様子で話しかけてきた。
「きいてよ!うちの一族、本当に頭がおかしいんだから」
「どうしたの?」
「うちのお兄ちゃんが次期当主にふさわしくないって言い出して、私に婿をとれって。でもって、みんなが婿に立候補してくるのよ?それこそ、もう曾孫までいるような年寄りから、まだ文字も読めないような子どもまで」
「もしかして、遺跡から帰るときにもうそんな話があったの?」
「そう。だから早く帰ったのに、こっちに戻ってからもひっきりなしに家に釣書が来て。私、それからも逃げるために、一昨日寮に戻ったんだから」
「はあ……。でも何でそんなことになってるの?」
「えっと、それはその」
途端にジェニファが言い辛そうにし始めたので、私はあることに思い当たった。
「もしかして、私が遺跡の結界を壊したから?それで責任を問われてるとか?」
「まあ、その。そうなんだけど、気にしないで。そもそも、兄様も私も、今のところは次期当主の継承権があることになってるけど、そのうちラウトゥーゾの家を出ることになってるから」
そう言うジェニファは声をひそめていた。
「え、そうなの?」
私は驚きながらもこちらも声を小さくしながら訊く。ジェニファは頷いた。
「昔から決まってたんだよね。一族もみんな知ってるんだけど、なんでか反対されてて」
「いや、そりゃ反対されるでしょ」
私は思わず呟いたが、ジェニファは不思議そうな顔をして私を見た。
「何で?当主を継ぐ人間がいなくなるの、自分たちに番が回ってくるんだから一族の他の人たちからするといい話じゃない?」
「まあ、そういう考え方はあるけど」
その話はそれ以上は続けられなかった。寮監が私を呼びに来たからだ。
「急だけど、今日から入寮する子がいて。魔素術科の一年生で、アリス・ゼンさんと同じ階の七号室に入るから、案内してあげてくれないかしら」
私とジェニファは顔を見合わせた。こんな時間に入寮だなんて、何だろうか。
私は寮監に言われたとおり、寮の玄関に行った。ジェニファもついて来る。
玄関ホールでは、マリちゃんが魔素を操って大量の荷物を運ぼうとしているところだった。
「え、マリちゃん、何で?」
「二人とも、今晩は。シホちゃん、あれから体調大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だけど、えっと……?」
「私、今日から寮に入ることにしたから」
「え?」
「まあ、いろいろあってね」
ここで立ち話はしたくないんだなと察して、私はマリちゃんに、荷物を運ぶのを手伝うと申し出た。
マリちゃんはにこやかに言った。
「じゃあお願い。もしよければ、ジェニファも私の部屋に来ない?」
マリちゃんが貴族であるジェニファを呼び捨てにしたことも、ジェニファを誘ったことも、珍しいことだった。私は驚き、ジェニファを見た。ジェニファも目を一瞬丸くしていたが、すぐに立ち直った様子で、
「うん、お邪魔させてもらうわ。あ、荷物を運ぶの、私も手伝うね」
「あ、いやそれはちょっと」
マリちゃんは少し怯んでいたが、ジェニファは構わず荷物を一つ持った。私はマリちゃんの荷物の中でも一番大きいものを、魔素を操って床から軽く浮かす。
「じゃあ、案内するね」
私は一番先に階段を上がり始めた。その後にマリちゃんとジェニファが続く。
マリちゃんの部屋に入り、それぞれが荷物を置くと、ジェニファが息をそっと吐いた。
「こっちの階ってこんな風になっているのね」
平民の寮生と貴族の寮生はそれぞれのフロアに上がる階段から違う。ジェニファは今回初めて平民のフロアに入ったということだった。どこがどう違うのか、と訊くと、廊下の装飾がないこととか床にカーペットが敷かれていないこと等を挙げた。
その間もマリちゃんは部屋の中を確認していた。一通り見て回ると、部屋に備えつけられている椅子に座った。
「もっと椅子があるといいんだけど、ごめんね。ベッドに腰掛けてもらえる?」
私もジェニファも否やはない。私たちは並んでベッドに腰掛けた。マリちゃんは暫く無表情で黙っていたが、やがて私たちに視線を向けて、笑ってみせた。
「手伝ってくれてありがとう。びっくりしたでしょ、急に私が入寮するって知って」
「まあね。でも、伯父さんところにお世話になってたのはどうなっちゃったの?」
「この間、うちの実家に行ったでしょ。あのときの話が伯父のところに飛び火しちゃって」
「えっと……?」
「私が学院を辞めて王子の侍女になることを承知したって、伯母様が継母に言ったっていう話」
「ああ……。あの件、話したんだ?」
「うん。帰ってすぐ、おじいちゃまとおばあちゃまに話したの。そうしたら、二人とも怒って、すぐに伯父様の家に話しに行こうって言って、あの日の午後にはもう伯父様の家に行って、話したの。結果として、伯母様が継母とそういうやりとりをしたのは事実ってわかって、おじいちゃまとおばあちゃまは激怒して」
「でしょうね……」
「でも、伯母様は謝らなかったの。当然のことをしたんだって言って」
「まさか開き直ったの?」
ジェニファが驚いたように声を上げる。マリちゃんは苦笑しながら肩を竦めて見せた。
「開き直った、というのとは違うわね。伯母様はもともとそれが正しいと信じて疑わなくて、それを隠しもしなかったいうか。伯母様によると私は世間知らずで、今回の王宮行きみたいな有り難い話を有り難いと思えずに学院なんかを優先して断るだろうから、代わりに正しい判断をしてやったんだって」
「えー、何それ。平民の若い娘が貴族の家に住み込みで働いて、どんな目に遭う可能性があるか、知らないわけじゃないでしょうに」
私の言葉に、マリちゃんはため息をつきながら、
「普通はそう思うでしょうね。でも、伯母様によれば、そんな目に遭ったとしたらそれはただ単に私が下手を打っただけのことで、自業自得なんですって」
「はあああああああ?」
私は怒りのあまり、ベッドから立ち上がっていた。私が住む界隈にも、そういうひどい目に遭った娘さんは何人かいた。そういう人たちがひどく傷ついている様や、中にはその後の人生をうまく組み立てられないでいる人もいることを知っている身としては、彼女たちが皆自業自得だなんて絶対に認められない。
「何それ、信じらんない」
「私もそう思うわ。おじいちゃまの家の近所にもそういう人はいて、ものすごく辛い立場になってるのを知ってるから。でも、伯母様には通じないのよ。伯母様の知り合いで、平民の女性で貴族の家に住み込みで仕えたけど、全然そんなことなくて、職場で同じ平民の男性と所帯を持って幸せになった人がいるんですって」
「たった一例そういうのを知ってるってだけで、何でマリちゃんも大丈夫だって言えるのよ」
「大丈夫とは思ってないのよ。どっちかっていうと、どうでもいいっていうのが正しいかな。さっきも言ったでしょ、そういうひどい目に遭うのは自業自得なんだって。私がそういう目に遭ったとしても、あなたが悪いんだから仕方ないでしょ、って言って終わりだわ」
「そんな伯母さんがいる家には、確かにいられないわ」
「まあ、伯母様だけじゃないんだけどね」
「まだ誰か文句を言う人がいるの?」
「モノルムでの父の家での騒動は、私がうまく立ち回らなかったからだって、伯父様が。伯父様は、私が王子の申し出を受け入れれば、領主のご子息が家に乗り込んでくることはなかったし、父と継母が神祇庁に捕らえられることはなかったんだ、って。私のわがままのせいで父の仕事が駄目になるかもしれない、恥を知れ、ですって」
私はため息しかでなかった。
「何が恥を知れ、よ。自分の嫁が暴走するのを止められなかったくせに」
「そうよ。自分の奥さんがしたことを悪いことと思ってないってことなの?」
ジェニファも言う。マリちゃんは、
「それは少しは思うところはあったみたい。と言っても、おじいちゃまとおばあちゃまに説教されてようやく、って感じだったけど。で、私としては伯父夫婦には裏切られたように思ったから、あの家にはいられない、寮に入れてほしい、ってその場で頼んだの」
「マリちゃん……」
「やだなあ、シホちゃん、そんな顔しないでよ。もともと私は寮生活、いいなあって思ってたんだよ?校舎まで歩いてすぐだし、身内の目とか気にしなくていいし、友だちも近くにいるし。だから、渡りに船ってことで」
私はマリちゃんに抱きついた。マリちゃんは苦笑しながらそんな私の頭をぐりぐりとしてくる。
「なあに、シホちゃん。大丈夫よ、私は大丈夫。ええっと、ジェニファも、大丈夫だからそんな泣かないで」
マリちゃんの言葉に、私はジェニファを振り返った。
ジェニファはベッドから立ち上がっていて、その場で涙をぽろぽろ流して泣いていた。
「だって、そんなひどい話ってないよ。マリちゃんは何も悪いことしてないのに。平民が貴族に召し上げられるのを拒否するのは、千本杖が生まれた後に王家が平民に認めた当然の権利だよ?マリちゃんは未成年だって言ってもほとんど成年なんだから、自分で判断するのだって当たり前のことなのに」
「伯母様だったら、そういうのは青臭い考えだって言うわね」
「もしかして、実際に言われたの?」
「まあね。そんなのはきれいごとで、実際に世間を渡るときには全然役に立たないんですって」
「それってひどくない?マリちゃんの考えをきちんと汲める立場にあった張本人がそんなこと言うの?」
確かに、マリちゃんの伯母さんがきちんとマリちゃんの意思を尊重すればよかっただけなのだ。それなのに、世間が、みたいに他人のせいにするのはいかがなものか。
「理解できないわ。……今の話に出てきた伯母様って、フォロ商会の、今の会頭の奥さん、でいいのよね?」
「そうだけど……?やだ、ジェニファ、伯母様に何かするつもり?」
「しないわよ。そんな力もないし。でも、機会があったら何かしてやるわ。絶対に忘れない」
「いいわよ、ジェニファ。気持ちは嬉しいけど、それだけで。私、もうあの人たちとは関係ないところで生きていこうと思っているの。それぞれが平穏に生活できていれば、お互いの存在を忘れていけるようになると思うのよね」
だから、フォロ商会の商売が傾くのは困るのだと言う。
私は不思議に思って訊いた。
「それって、卒業後、フォロ商会関係の仕事には就かないってこと?卒業後に商会を手伝うからっていう約束で高等学院に入るのを許してもらったんじゃないの?」
「伯父様伯母様にはそれを条件に下宿させてもらってたんだけど、こうなったらもう関係ないでしょ。私も就きたい職が見つかったし、商会の手伝いなんて無理だわ」
「え、他に将来の夢が見つかったの?」
私が少し驚きながら訊くと、マリちゃんは少し恥ずかしそうに笑った。
「うん。王宮付きの治癒術師とかどうかなって」
「あの王子の件があったのに王宮付きって、平気なの?」
「別に王子の専属になる訳じゃないわ。王宮の治癒術師局付きになるってこと。それだったら、フォロ商会に仕事を邪魔されたりとかないでしょ」
マリちゃんは屈託なく笑った。私は複雑な思いでそれを見ていた。それって、身内が敵に回るっていう前提ってことでしょ。何でそんな風に笑えるのよ。
「会長ご夫妻は、マリちゃんの味方だと思うよ」
私はマリちゃんに言った。マリちゃんは少し悲しそうな顔をした。
「勿論よ。でも、いつまでもおじいちゃまたちがいるわけじゃないから」
それは、そうだった。
私はもう何も言えなかった。




