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59 八年前にあったこと

 生まれ育った高原を出ることになったとき、私と両親は母が麓の町から嫁入りしたときに持ってきた馬車で旅する予定だった。

 だが、出発する直前、馬車は高原の民にとられてしまった。

 私と父は馬車がなくても魔素を操って高速移動ができるので問題がなかったが、麓の町で育った母はそういう芸当ができず、どうしたものかと私と父は弱り果てた。父は、自分が母を抱えて移動する、と言ったが、それを麓まで続けるのは母の負担が大きい。

 母は、自分を置いて先に行ってほしい、と言った。後で追いかけていくから、麓の母の実家に行って馬車を頼んできて、と。でも、そんなことはできるはずもなかった。父や私と離れた途端、母は高原の民に襲われるとかさらわれるとかするだろうから。

 父は、自分が母を運ぶ、と言い張った。もうどうしようもなければそれしかないかなと私も思っていたが、ふと思い出した。高原の神域に第三王女殿下が来ていて、私たちが高原を出ようとしていたのと同じ日に彼らも高原を出るということを。

 私は父に言った。

「馬車のあてがあるから、乗せてもらえるよう頼みに行ってくる。お父さんはお母さんを抱えて降りの道を行っていて。踏み分けの石のところで待ち合わせよう」

「待ちなさい、あてがあるってどういうこと。それに一人で行動するのは危ないわよ」

 母が顔色を悪くしながら言う。父も唸っている。でも私はそんな二人の心配を吹き飛ばすように言った。

「大丈夫、ちょうど今日、高原を出る馬車があるの。その馬車の人たちと知り合いだから、頼んでくる」

「そんなうまい話があるの?第一、氏族の者だったら助けてはくれないわよ」

「わかってるわよ、そんなこと。私が言ってるのは、第三王女殿下ご一行様のこと」

 父がため息をついた。

「もしかしたらそうかもとは思ったが、お前、いつあの人たちと知り合いになったんだ」

「あの人たちが神域に調査に来てわりとすぐ」

「まさかお前、神域に入ったんじゃないだろうな?」

「入ったよ?イヤだなあ、そんな顔しないでよ。私、毎日無事に戻ってたじゃない」

「だが、あそこは立ち入り禁止だと伝えたはずだ」

 私はそっぽを向いた。そんな意味のわからん禁止なんぞ、知らん。それに、私たちはこれから高原を出るんだし、もういいじゃないか。

 母は大きくため息をついた。

「あなた、しょっちゅう出かけてると思ったらそんなところに行っていたなんて。……それで、そこで第三王女殿下と知り合いになったのね?でも、だからといって、そんなおそれおおい方が私たちを助けてくれるとは限らないでしょう」

「大丈夫だよ。第三王女殿下には私と同い年の娘さんがいるんだって。それで、私のことも目をかけてもらえてたんだよ。だからさ、頼みに行ったらいけるんじゃないかなって思うんだ。……というか、他に方法はないしね」

 私が言うと、父は少し考える様子を見せたが、すぐと、

「わかった。どちらにしても他にいい方法はないんだ。シホゥ、頼めるか」

「任せて!」

 私はすぐに移動を開始した。氏族の集落を避け、森の中を通って神域の入り口に向かう。

 私がたどり着いたとき、ちょうど第三王女殿下の馬車が出発しようとしているところだった。

「待って!」

 私が森の木々の上から馬車の進行方向に降り立つと、御者台から一人の騎士が声を掛けてきた。

「おお、シホゥ。見送りか?」

「ううん、違うの。お願いがあって。私と両親を馬車に乗せてほしくって。私たち、高原を出ることになったの」

 今度は馬車の幌の中から第三王女殿下が顔を出した。綺麗な金髪に今は白いストールを巻いている。

「どうした、シホゥ。高原を出ることになったときこえたが」

「そうなの、私とお父さんとお母さん、三人で高原を出ることになったの」

 私は経緯を話した。第三王女殿下は眉を曇らせていた。

「それは……。もうどうしようもないことなのか」

「うん。もう決まったことだし、今までも同じ理由で出て行った人たちはいて、お父さんも薄々予想はしてたみたいで準備してて。行き先は決まってるの。王都に遠縁の人がいて、そちらに身を寄せるって。その前に、麓の町のお母さんの実家に行くことになってるんだけど、麓まで行くのに方法がなくて」

 馬車を使う予定だったが、それが駄目になったことも伝えた。第三王女殿下はため息をついた。

「高原氏族というのは独特な価値観で動いているとは思っていたが、ここまでいくとなんともはやという感じだな。まあ、とりあえずは私たちの馬車に乗って行けばいい。麓まででもいいし、何だったら王都まででもいい。私たちも王都へ帰るところだから」

「ありがとう。でも、お母さんの実家で王都の親戚と落ち合うことになってるから、麓の町まででいいと思う」

「そうか。では行こう、早く乗りなさい。お前たち一家が私たちと一緒に動いていることを高原氏族が知ったからといって咎められることはないだろうが、何を言ってくるか予想がつかないから、見られない方がいいだろう」

 私は馬車に乗った。馬車の後ろにはタロちゃんがいた。私はタロちゃんに声を掛けた。

「良かった、あんたも出られるんだね」

「いいのかどうかわからないけど、でもあのままじゃいられないのは確かだからな」

「管理者さんは?」

「ここに残るってさ。まあ、役目があるから当然かな」

「寂しがるんじゃない?」

「いつでも連絡を取れるようにって、手段を渡してもらっている」

 馬車はすぐに動き出した。

 二時間しないうちに踏み分け石までたどり着いた。踏み分け石は、高原氏族のテリトリーの限界を示すものだ。踏み分け石を境にして、人の世の規律だけでなく、自然の現象も明らかに変わる。

 両親は既に到着していた。お互いの紹介を手早く済ませると、両親も馬車に乗り込み、私たちは出発した。

 しばらくは何もなく、第三王女殿下と母が母親同士、子育ての愚痴を話していた。主には母が私のお転婆な行動を嘆き、第三王女殿下が母が知らない私の行動を追加で情報提供する、といった感じで。母は呆れの度合いを深めていたが、私は平気だった。だって、私の行動のおかげでこうして馬車に乗れたんだし。私が年齢以上に行動的だったとしても、いい結果が出ているんだからそれでいいじゃない?

 父とタロちゃんは馬車の後ろに座って後方を警戒していたが、そのうちタロちゃんが不意に腰を浮かし、父も表情を変え、二人ともに後方の様子をしきりに窺い始めた。

 第三王女殿下がそれに気がつき、タロちゃんに声を掛ける。

「どうした?」

「何か、ものすごく大きなものがこちらに来ている」

 第三王女殿下は目を細めて何かを探っている様子だったが、すぐと言った。

「来ているな。……これはまずいぞ」

「何があったんですか。まさか、氏族の者が?」

 母の問いに、第三王女殿下は首を振った。

「違う。人間ではないモノだ。……高原の森から迷い出てきたか」

「どうする。このままだと追いつかれる」

「仕方があるまい。馬車はこのまま走らせる。ターン殿、亀の甲羅をこの馬車を覆うように展開してもらえないか」

「承知しました。しかし、何が?」

「いずれ見える。その前に叩ければいいが」

「俺が行ってくる」

 言うなり、タロちゃんは走っている馬車から飛び降りた。そのまま魔法で飛んでいく。

 第三王女殿下は御者台に声を掛けた。

「ジル、追っ手が来た。今、タロスが迎撃しに行っているが、止めることは難しいかもしれない」

「追っ手?」

「最初に予測していたパターンのうちの、悪い方が当たったみたいだよ」

 御者台の騎士は口笛を吹いた。

「君たちの想像力は凄いな。だがどうする。このままだと追い付かれるだろうし、麓までついてくるかもしれない」

「それはまずいな……。わかった、ジルはこのまま馬車を走らせて、少しでも距離を稼いでおいて。ターン殿、馬車の守りを頼む」

 言うなり、第三王女殿下は馬車の後ろから飛び降り、宙に舞い上がった。その頃には私にも何か大きなものがこちらに近づいてきているのが感じとれていた。それが空間の魔素を押しのけてきているのが自然にわかったのだ。父も同じ理屈でそれの接近を感じ取ったのだろう。

 私は父に訊ねた。

「ねえ父さん、これ、何なの?」

「わからん。魔獣の類ではあるんだろうが……」

 この世界では、通常の動物とは比較にならないほどの大きさや攻撃力を持つ生き物を魔獣と呼んでいる。それらは例外なく魔力を纏っているらしいのだが、魔力を感じ取れない平民には、尋常でなくでかい、つよい、即ち魔獣である、という認識だ。

 高原は他の地域よりも魔獣が出現しやすく、それを狩るのが高原の民の生業の一つだった。父も優秀な狩人で、単独で、または他の人と組んでよく大物を狩ってきていた。

 高原の民は父に限らず魔素術の達人が多く、彼らは定期的に森の魔獣を狩ってきていたので、そんな大物はそうそうはいないと言われていたのだが。

「こんなの、今までどこにいたんだろう?」

「魔獣のことは予想がつかないことが多いからな。短期間に高濃度の魔力を浴びたりすると、急速に育つことがあるらしい」

 話している間に、その大きなモノと私たちの間に高濃度の魔素が出現するのが感じられた。父が呟く。

「蚕の繭かな。かなり分厚く、大きく作ったようだが。でも、誰が」

「タロちゃんだよ。タロちゃん、魔素術、凄いんだよ」

「しかし彼は魔法使いじゃないのか。さっき魔法を使って飛んで行ったし」

「両方使えるんだよ。小さい頃から魔素術を使っていて、魔法は途中からなんだって」

「信じられん……」

 父は呟いていた。母も信じられないという風に小さく首を振っていた。

 話しているうちに、馬車に向かって高速に近づいてくるモノが感じられた。私たちは緊張はしなかった。気配で、それが第三王女殿下とタロちゃんとわかっていたから。でも、気配の個数が変だった。生きている存在は二つ感じられるのに、物体としては一つしか感じられなかった。

 その理由はやがてわかった。

 全身血だらけになった第三王女殿下をタロちゃんが肩を組むようにして支え、飛んできていたのだった。

 二人は馬車の荷台に倒れ込むようにして着地した。母がすぐに第三王女殿下を馬車の御者台の方へ移すと、その怪我を調べ始める。

 私はタロちゃんに訊いた。

「何があったの?」

「こちらに向かっていたのは龍だった。殿下が龍に攻撃したら反撃されて。何回か魔法を撃ち合ったうちの一つを防ぎきれなくて。殿下が攻撃を受けた隙を見計らって、蚕の繭で龍をくるんで逃げてきた」

「あんた、亀の甲羅とかで第三王女殿下を助けなかったの?魔法だって使えるのに」

「殿下の動きが早すぎでできなかった。……いや、本当は敵の動きが速くても何とかできるようにしないといけないんだな」

 タロちゃんは見るからに落ち込んでいた。言い過ぎたかなあ、と思い、どう声を掛けてフォローしようかと考えていたとき、遠ざかろうとしていた龍の気配が近づきはじめた。

「蚕の繭が解けたな」

 父が言う。タロちゃんは顔を青くしながらも、立ち上がった。

「俺……行ってきます」

「やめなさい。馬車を走らせながら守りを固めた方がいい。龍みたいな巨大なモノは魔素が薄いところではやっていけないから、麓が近づけば引き返すだろう」

「でも、馬車から離れた場所で叩けるのならその方が。殿下の治療もあるし、もし馬車が壊されたらそれこそまずい」

「それなら私も行こう。龍とは対峙したことがある。かわし方は知っている」

 私は、私も行く、と言おうとした。だがそのとき、母が私を呼んだ。

「シホ、王女殿下の手当を手伝って」

 私は母の方を見た。母は治癒術が上手だが、そのときの私はそういうのは壊滅的な腕前だった。手伝えることはない。私がそう言おうとしているうちに、父とタロちゃんは馬車から飛び降りていってしまった。

 母は静かに首を横に振った。

「あなたはここにいて。私たちを守ってちょうだい」

 私を行かせないために母が声を掛けたのがわかったが、私は怒ることはできなかった。確かに、父までもが行ってしまった以上、私が馬車を守るしかない。

 私はさっきまで父が座っていた辺りに腰を落とした。龍が近づいてくるのは変わらなかった。父とタロちゃんが龍と遭遇したのも、父が魔素をとばした気配でわかった。

 龍は上空に逃げた。その高さがどんどんあがっていく。

 と、次には急降下してきた。父とタロちゃんの頭上を優に越え、この馬車目がけてまっすぐ。

 私は馬車から飛び降りた。もちろん、そのまま地面に叩きつけられるなんて間抜けなことにはならない。魔素を操って上手に着地する。

 馬車は私からどんどん離れていった。そして龍はまっすぐ馬車を追っているようだった。

 でも、させない。

 私は、手を嘴の形に組んだ。そこに魔素を集中させていく。

 鶴の一声。魔素を圧縮し、飛ばす。やり方によっては、前世にあったような砲弾のようなものを飛ばせたり、レーザー光線のようなものが飛ばせる。多分、これが今私ができる最強の攻撃だ。

 私は魔素を集め続けた。龍が射程に入るまで、まだ時間がある。

 龍は僅かに飛行ルートの高度を下げた。私の方へ近づいてくる。これは好都合だ。

 私は、龍が肉眼で確認できるようになるのを待った。距離が近くなれあなるほど、術が当たったときの効果は大きくなる。

 魔素はどんどん集まってくる。途中から、集中しなくても勝手に魔素が集まってきているのに気がついた。おかしなこともあるものだと思いながらも、集まった魔素が散らばらないように集中する。

 そして、龍がまっすぐこちらに向かってきているのを確認した瞬間、術を放った。魔素は光を放ちながら飛んでいき、その中で龍が散り散りになっていくのが見えた。

 それを見ながら、私は気を失った。


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