子供ってのは、案外よく見てるもんだ
昼休憩を終えたら、再出発のために支度を整える。
愛馬マークの腹帯を締め直しながら、俺はセドリックに声をかけた。
「小さい坊ちゃん、初日から無理はいけません。俺と一緒にマークに乗りませんか?」
噂と違って馬に乗るのは嫌いじゃないらしく、幼い目がパッと輝く。でもすぐには返事をせずに、ローワンの方へと目をやった。
ローワンが微笑んで頷くと、セドリックは「乗ります!」と嬉しそうに笑った。
お喋りに花を咲かせながら歩く男装組の後ろを、のんびりとついて行く。
鞍の前に乗せたセドリックの背後から手綱を取ってるから、両腕でちっさい身体を囲う形だ。
馬に揺られながら、なるべくさりげない口調で話しかける。
「小さい坊ちゃん、俺がモーリス様について尋ねた時、何か言いかけたでしょ? 何を言いたかったのか、よかったら、教えてもらえませんかね?」
帽子とマントにすっぽり包まった身体が、途端に固くなる。しばらく様子を見ていると、俯いて黙り込んでいたセドリックが口を開いた。
「モーリスおじ様はね、本当みたいなウソをつくんだ」
「本当みたいな嘘?」
「姉様は、本当はぼくのことがキライで、うらんでるんだよ、かわいそうに、って言うの。
何でかな、『かわいそう』って言う時のおじ様は……すごくやさしい声なのに、目がこわいの」
子供ってのは、案外よく見てるもんだ。思い出したように震えた小さな身体を、手綱から離した左手でそっと抱く。
こちらに凭れさせてセドリックの腹をぽんぽんと軽く叩くと、少しだけ力を抜いて背中を預けてきた。
それはそれとして、うっかり他人に聞こえるところで『姉様』って呼ばないように練習が必要だな。
でも、それは今じゃない。
「叔父さんに言われたことが嘘だって、坊ちゃんにはちゃんと分かったんですね」
先を促すために言葉を繋ぐと、巡礼帽がこくりと頷いた。
「姉様は声も目も手も、全部やさしいの。 だから、おじ様の言うことは本当じゃないと思う。
でもね、でも、ほんのちょっぴりだけでも本当だったら……ぼくはどうしたらいいのかな?」
俯いたセドリックの声がだんだんか細くなり、仕舞いにはもっとちっさい子みたいな拙い喋り方になった。
縮こまった背中は、何かから自分を守ろうとしているかのようだ。
重心が不安定になった小さな身体をしっかり支え、手のひらに感じるセドリックの呼吸に、こちらの呼吸を合わせる。
不思議とね、こうやってると相手が落ち着いてくるんだ。なんでそうなるのかは分かんないけど。
セドリックが落ち着いてきた頃合いを見計らって会話を続ける。
「坊ちゃん、残念ながら人間は嘘がつける生き物だ。
俺の傭兵仲間に親から逃げてきたって奴もいてね。そいつの親父は『お前のためだ』とほざきつつ子供をぶん殴る手合いだったそうですよ」
びっくり顔のセドリックが、振り向いて俺を見上げる。ちっさい子には刺激が強すぎる話だったかも知れないな。でも、他に良いネタが思い浮かばなかったんだよねぇ。
俺は苦笑しながら肩を竦めた。
「いくら言葉で飾り立てても、実際にやってることは誤魔化せないもんです」
前に向き直ったセドリックは、俺に凭れたまま耳を傾けているようだ。
「だから、見るべきは行動。相手が何を言ったかよりも、何をしたかを、しっかり観察したらいいんじゃねぇですかね?
まあ、俺なら、子供を相手にわざわざ親切面して悪口言う輩には近づきませんがね」
「あれは悪口なの?」
セドリックはもう一度、後を振り返って、びっくり顔で俺を見上げた。
「俺に言わせりゃ悪口ですね」
頷いて答えると、瞳の榛色が考え込むように深みを帯びた。
「そうなんだ……」
前に向き直った巡礼帽が小さく呟く。声からは少しだけ怯えが薄れている。
「一度、大きい坊ちゃんと話してみたらどうです? その時の反応を、しっかり自分の目で見て耳で聞いて、それからどうすりゃいいのか、一緒に考えましょうや」
「うん……」
歯切れの悪い反応から察するに、ローワンの本音を聞くのが怖いんだろうね。
同じ状況だったら、おじさんだって怖いと思うよ。仲良しと思っていた相手に「ほんとは俺のこと嫌いだったりする?」って聞いて「大嫌い」なんて言われたらヘコむ自信がある。
空に浮かぶ大きな雲が太陽を隠す。地に落ちた薄い影がセドリックを覆い、ゆっくりと前を歩くローワン達へと流れて行った。
こちらの話し声がしなくなったのに気づいたのか、ローワンが背後を振り返る。
セドリックの沈んだ様子に気づいたからか、楽しげだった表情が一瞬で不安に塗り変わる。間髪入れずこちらに駆け寄ったローワンは、弟の膝にそっと手を添えた。
「どうしたの、セディ。足が辛い?」
「……だいじょうぶです」
セドリックは小さな声で答えたけど、俯いたままでローワンの方を見ない。うーん、さっきの会話のせいで気まずいのかな?
ローワンの瞳には純粋に弟を按じる色だけが浮かんでいる。この子がよっぽどの名女優じゃないんなら、姉の心弟知らずってやつじゃないのかな。
と言っても、数時間前に会ったばかりのおじさんが口を出すのもねぇ?
なんて考えていたら、シアが注意を引くような咳払い。
「どうしたの、セディ!」
シアが殊更に甲高い声でローワンの口真似をして笑う。
「ははっ、ローワン、ついに男をやめて女の子になるのかい? 君ならさぞかし可愛らしい美少女になれるだろうさ」
シアはからかい口調で『素が出ている』と釘を刺す。
ローワンはハッとしたように目を見開いたが、すぐにイタズラっぽくにっと笑い、少年らしい声を作って言い返す。
「なんだって? 君こそ麗しい美女におなりだろうよ、シアン。ぜひ僕にエスコートさせてくれたまえ」
『シアン』ってのはシアが男装してる時の偽名。その『シアン』は悪い顔で笑って見せた。
「エスコートはいらないからベルベットのコートをおくれよ。もちろん裏地はシルクサテンじゃないと嫌だよ」
「もう、二人ともぼくの足よりもコートの方が大事なの?」
軽口の応酬にセドリックが口を挟んで笑った。でも、腕の中の小さな身体は、まだちょっとだけ緊張してる。
多分、この姉弟は互いに気を遣い過ぎてる。
ああ、やだやだ、子供にこんな気の遣わせ方させたくないよ。
事故がどうのとかと関係なく、そのモーリスとやらには腹が立つ。
普通言うか? 子供に「お前は恨まれてる」なんて。ふざけんなよ?
俺がひとりでぷんすかしてるとシアが内緒話でもするかのように口許に片手を当ててセドリックに話しかけた。
「ねえ、ねえ、小さい坊ちゃん、知ってました?」
セドリックは馬上からシアの方に乗り出して耳を傾ける。おっと危ない。でも大丈夫。おじさんがちっさい身体をしっかり支えるからね。
「あなたのお兄さんは、弟のことが『だぁい好き』なんですよ。 もうず〜っと弟自慢ばーっかり聞かされてるんです。どうにかなりませんかね?」
「えっ!」
びっくりしたような声を上げたセドリックのまとう空気がふわっと柔らかくなる。
おじさんからは見えないけど、その変化は顔にも出たんだろうね。心配そうに曇っていたローワンの口許が自然に綻んだ。『弟が可愛くてしょうがない』って目が語ってる。
ますます俯いたセドリックのうなじが真っ赤に染まり、背中の強張りがなくなった代わりにもじもじし始めた。
ちょうどその時、雲の切れ間から陽の光が降り注ぎ、セドリックのうなじとローワンの瞳を明るく照らした。
シアめ、こっちの会話を聞いてたな。
相変わらず、あっという間に相手の心をほぐしてしまう。こういうところは、なかなか真似できないね。まるで魔法みたいだ。
「ね……兄様は少しひかえて下さい。シアンがこまっています」
セドリックが、小さな声で恥ずかしそうに嗜めると、
「無理! 僕の弟は世界一賢くて可愛いからね!」
きっぱりと拒否したローワンが、お日様のような笑顔を弟に向けた。




