19:アステルの塔
「あでっ」
「アステル。お前って。……ほんと、……腹立つなぁ……。……ほんと腹立つなマジで……」
「ロアの意地悪!! さっきから痛い事ばっかりするな!!」
「自分の言動振り返れよ。原因100は転がってんぞ」
「ムキーーーーーー!!!!!」
下手くそな頭突きを繰り出そうとしてくるアステルの頭を軽く押さえる。ぐりぐりと掌に感じる髪の動きや小さな圧力にこれが本気の動きだったなら、アステルって猫にだって負けるんじゃねえか?と思った。
「で、話を戻すぞ。俺が泊まっていい部屋はあるか」
「……えー、物置ならあるよ」
「物置かよ。つかどこの物置だ」
この塔、スペースはあるが空き部屋の多くはアステルの実験素材が詰め込まれた物置と化している。ゲストルームなんて洒落た部屋は存在していない。昔はあったかもしれないが。
「二階と三階。あとは……、あ、部屋が一個空いてるよ」
「あるのかよ。見せてもらっていいか」
「うん、師匠の部屋なんだけどね」
すたすたと階段へ向かうアステルをロアは慌てて追いかけた。
「……いいのかよ」
「うん。死んでるし」
「………そういう問題じゃ……、……いや、……いい」
半年前に亡くなったというアステルの師匠。語らないのか語りたがらないのかは知らない。アステルから詳細を聞いたことはほとんどない。ロアも聞こうとはしなかった。だから、ロアはその人の事を殆ど知らないのだ。知っているのは、アステルに錬金術を教え、この塔に住み、半年前に死んだ、という事だけ。
居間を出て、上へと続く薄暗い階段をアステルの後ろをついて歩く。四階、ラボのフロアを通り過ぎて、しばらく上ると5階の扉が見えてきた。
「ここは僕の部屋」
「へー、お前の部屋とかあったんだな」
「あるけど。なんで?」
「研究室で寝てるかと思った」
くだらない会話を挟みながらアステルの部屋を通り過ぎて最上階の六階へと足を進める。廊下自体は使い魔たちが定期的に清掃をしているのだろう、人の出入りが少なかったにも関わらず、埃っぽさはない。
「ここだよ」
部屋の主が居なくなって以来、使われてこなかったのだろう。蝶番が軋む音を立てながら扉が開く。淀んでいた空気が対流し、据えた臭いが流れ込む。時が止ったままの部屋。
案内されたアステルの師匠の部屋は、良くも悪くもイメージ通りの錬金術師らしい部屋だった。壁一面を埋め尽くす本棚には床から天井まで大小さまざまな本が詰め込まれていて、上の本を取るための梯子まで置いてある。書物の中には紙の巻物や木札まで混じっていて、古い紙のにおいがした。ガラス戸の棚には何に使うかもわからない実験器具や道具の数々が整然と並べられている。自分の部屋であるかのようにずかずかと室内に踏み入るアステルに、ロアはやや躊躇いながらもついていく。
狭いわけではないが、壁一面の本棚や作業の中心であっただろう大きな作業机が部屋の面積を圧迫していて、手狭に感じた。窓際に置かれているベッドはマットレス部分を処分したのか、骨組みだけがぽつねんと残っている。
「……なんだ、あのカーテン」
目に留まったのは、下半分をはさみで乱雑に切り取られた無残な状態のカーテンだ。窓を半分ほどしか覆えていない白い布は、端の方から糸がほつれて大きな穴が開いている。ロアは切り口の乱れ具合に反して、存外汚れの少ないそれを引いて窓を開け放った。びゅうと吹きこんできた強い風が停滞した空気を押し流す。
「汚れたから切ったんだ」
「切ったって……雑すぎだろ。洗えよ」
「洗っても落ちなかったし」
臭いも結構ついちゃったから、となんてことないように肩をすくめたアステルは部屋をぐるりと見まわしてロアを見た。
「で、この部屋はどうかな」
「泊まるだけなら悪かねえが。護衛の俺が一番安全な部屋にいてどうするって話だ」
「刺客が君のような人だったら何階にいても危険度は一緒だよぅ」
「だとしても、だ」
アステルに返事を返しながら、ふと感じた違和感にロアはしゃがみ込んで、じ、と床を凝視した。埃を被ったフローリングを軽く手で払う。
明るい色合いの床材に点々と落ちているのは、鉄錆色の染みだ。
爪先でそれを引っ掻けば、薄く削れて爪の隙間に入りこんだ。
指先を鼻に近づけても殆ど臭いは感じなかった。
「……お前の師匠って爆死かなんかだっけ」
「まさか、寿命だよ。……そこ、なにか落ちてる?」
「いいや。……虫がいたような気がしてな」
「ふぅん。シロアリじゃなければ何でもいいや」
「雑だなお前は……。……掃除すんならもう少し丁寧にしとけよ」
何かをごまかす様に立ち上がったロアは汚れた左手をポケットに突っ込んだ。アステルの横をスタスタと通り過ぎて出口へと向う。
「別の部屋にするかい?」
「ああ、ここじゃあな」
下へ戻ろうとロアがドアノブに手をかけたとき、真鍮製のそれに赤茶けた汚れを見つけた。
よくよく見ればそれは、ただの汚れではなく手の跡で、指先の渦巻き模様までくっきりと見える。手に汚れをつけたままノブを掴んだのだろう、小さな手形に残る跡は少しこするとパラパラと落ちていく。
「じゃあ、下の物置だね」
後ろを振り返れば、いつの間にかアステルが背伸びをしながら本を取り出していた。片手にものを持ちながら本を取り出せなかったのであろう、足の間に本を挟んでいる。陽だまりのなか、何の警戒心も気負いもないあどけない姿に、うすら寒いものを感じた。
「そうだな」
ノブを強く握りしめて押し下げる。皮膚との摩擦で落ちた汚れはロアの手に張り付き、真鍮製のノブについていた手形は見えなくなってしまった。
「ていうかお前の部屋に窓はあんのか?」
「んー……、あるけど侵入は無理だと思うなぁ」
そう言いながらロアの下へと戻ってきたアステルが両手に抱えていた本を、ロアはひょいと取り上げて小脇に抱える。突如消えた重みに、ぱち、と瞬きしてロアを見つめたアステルは幼子のように無邪気に笑うと、ロアを追い抜かす様にして階段を下りていく。
薄闇に溶けていく白い背中を見つめながらロアは後ろ手で扉を閉じた。あとで窓を閉めに来ようと思った。
「なんで言い切れるんだよ」
「本棚で窓が埋まってるからね」
「はー……。少しは日光浴びろよ、そんなだからお前は不健康まっしぐらなんだ」
「本が何とかなったら考えるよ」
「この一件が解決したら絶対に物置片付けて窓を解放してやる」
「えー、やだよ。昼まで眠れるから気に入ってるんだ」
「却下する。不健康だ」
ロアが片手で抱えた三冊の本はどれも分厚く、重い。アステルなら両手で持つそれらを小脇に抱えて軽々と運びながら、ロアはアステルと共に薄暗い階段を下りていった。
電撃三次落ちでした!!悔しい!!




