18:塔の中
アステルは居間の窓から外を眺めていた。視線の先にはリュザナへと帰っていく少女の後ろ姿。ロアはきっと玄関のところで見送っているのだろう、この窓からは彼の姿は見えない。
すう、とアステルは目を閉じる。
「面倒なことになったなぁ」
誰に語り掛けるでもなく、つぶやいた言葉。先ほどまで三人でいたせいか、誰もいない居間はやけに広く感じる。視界の隅では家事用に作った使い魔たちがせかせかと部屋を掃除していた。
アステルは倒れ込むようにソファに身を投げると、そこにあった青いクッションを両手で抱き寄せる。
「なんだろう、静かだ」
落とした言葉に返事が返ってこない。それがアステルの日常で、別に不思議な事ではないのだけど。居心地の悪さを誤魔化すように抱き込んだクッションに顔を埋める。洗いたてなのだろうか、嗅ぎなれぬ清潔な石鹸の匂いがした。
もう眠ってしまおうか、と目を閉じる。だが睡魔が来る間もなく居間の扉が開いた。ロアだ。
「おそい」
「は?」
文句はばっちり聞かれていたらしい。ソファに身を沈めているアステルを、戻ってきたロアがのぞき込む。アステルは手に持っていたクッションをその顔面に投げつけようとした。しかし、フォームも力もぐだぐだな一投は空中で華麗なターンをしてアステルの顔面へと着地する。
「ふぎゃ」
「何やってんだお前は」
顔面からクッションが取り除かれ、代わりに映るのはロアの顔。薄く笑ったロアは未だソファの上の住人のアステルに手を差しだした。
「ほら、準備すんぞ」
「準備って、何の?」
「俺の寝床」
「えっ、何で?」
素朴な疑問にロアは呆れた表情をした。差し出していた手の形を変えて、人差し指でアステルの額をトンとつつく。彼の指先はかさついていた。
「泊まり込み。護衛だよ、お前の」
「いらないよぅ。誰がこの塔に入ってこれると思う?」
「いるんだよ。……あのな、……いや……」
眉間に軽く指をあてたロアは数秒考えこんだ。
この危機感のない生き物にどうしたら現状の危険性をわかってもらえるだろうか、と。
「見せたほうが早えな」
「何をだい?」
「侵入経路」
「ふむ」
簡潔に説明したロアはソファの傍にある窓へと向かう。
「アステル、この窓壊して良いか?」
「駄目」
「じゃあ言っとくわ。俺さ、この窓素手で壊せんだよ」
木製の窓枠、フレーム部分には隙間風が入らないように弾性のある素材が使われている。内側はハンドルがあるから開閉は自在だが、外側には当然その機能はついてない。いうまでもない事だが、簡単に壊せる構造はしていない。
「君の馬鹿力が優れているのは知っているが。だったらなんだい?」
「色々出来ることがあるって話」
そう言い残すや否や、ロアは開け放った窓からひらりと身を投げる。二人がいた此処は三階。
ワンフロアの天井が高いこともあって、地上まではそれなりの高さがあった。
「えっ」
ロアの突然の行動に驚き、慌ててソファから飛び起きたアステルは窓へと駆け寄った。一瞬想像した、つぶれたトマトのようになっているロア……はもちろんいない。見下ろした視線の先。獣のように軽やかに着地したロアが、なんてことない様子で立っている。丁度こちらを見ていた彼と目があった。
手首と足首を回したり、つま先で地面を叩いて準備運動のようなものをしている。これから起きるであろうことを想像したアステルの目が期待で大きく見開かれた。
「まさか」
数歩の助走をつけて、ロアが跳んだ。重力を無視し、大地を走るような足取りで垂直の壁を駆け上る。わずかな突起を足がかりにして、ほんの数秒もかからずに3階の窓までよじ登ったロアは、片手で外壁にぶら下がりながら言った。
「これで窓壊しゃ、侵入完了だな」
「おお、……おお!! 実に見事だ!! サルよりも身軽に壁をよじ登るなんて」
「褒めてんのかそれは」
「もちろん。木登りに特化したサルと同等……いや、それ以上の動きが出来るだなんて!! 称賛に値するとしか言いようがない!!」
初めて見るロアの身体能力に大興奮したのかアステルの頬が赤くなっている。いつの間にか呼び出したであろうノートと羽ペンが傍に浮いていた。窓枠から室内に滑り込めば待ってましたと言わんばかりにアステルが飛びこんできた。
ふんすふんすと鼻息が荒い。
興奮のまま足やら腕まわりをペタペタと触って観察する手を振り払う事もできなくて、ロアは渋々被検体業務に従事することとなった。
「今のはどこの筋肉を使ったんだい?痛みや怪我は?この身体能力は生まれつきのものかい?」
「いや、身体強化。使える奴ならこんぐらい普通だ」
「そうか……なんだ。強化魔法か……」
「騎士だの傭兵だの、戦闘職やりてぇなら必須だわな」
「実際に運用してるのは初めて見たよ」
「そうか?戦闘職じゃなくても使える奴は割と使ってんよ。見えてねぇだけだろ」
運送業、建設業、狩猟、農業、エトセトラ。日常生活で筋力がいる作業をするものは、この魔法を使っている場合が多い。もちろん素質や才能がなければ無理な話ではあるのだが。身近なはずの身体強化魔法に対する認識の薄さ。アステルはおそらく強化魔法が使えないか、あるいはまったく興味がなかったかのどちらかであろう。
「がっかりしたか?」
「うん」
「……そうかよ。いや、そうじゃねえ本題は」
アステルにがっかりされたことにそこはかとなく傷ついたロアだったが、ハッと我に返る。話題の核はそこじゃあない。ロアは今しがた飛び降りた窓を親指で示しながら言った。
「つまりだな。俺が言いたいのは、この塔に本気で入ろうと思えば入れる奴はどこにでもいるってことだ」
「ふむ。……確かに否定できないね」
「夜は泊る、昼間もここに居る。黒幕捕まえるまではこの体制だ」
長丁場になるぞ、と話すロアの言葉にはて、と首を傾げたアステルが怪訝な表情を見せた。
「君、仕事は?」
「何とでもなるから問題ねえ。大人しく守られてろ」
「えー、ずっとロアが居るのはちょっと……君怒りんぼだもん」
「張っ倒すぞ」
ぐわし、とアステルの頭をロアの大きな手が鷲掴みにする。
軽く力を籠めればアステルが腕にしがみついてバタバタと悲鳴を上げた。
「んぎゃ―――!! 痛い痛い痛い!! 怒んないでよぅ!!」
「怒るわバカ。あと大して力込めてねえよ」
実際アステルにはああ言ったものの、傭兵団の仕事に穴が開くことは否めない。
とは言え、だ。
本人に伝えることはないが、錬金術院から受けているアステル監視の仕事もれっきとした仕事だ。護衛を直接指示されたわけではないが、死んでは困る、という様子はひしひしと感じる。つまり監視の一環で護衛をしているわけでもある。ロア個人としてもアステルが死ぬのは寝覚めが悪い。白昼堂々壁を上ってくるやつがいる可能性は低い。しかし、留守の間にアステルが万が一にも殺されていればことだ。
基本的に事件収束までは張り付いているしかないだろう、とロアは内心で嘆息した。リディアから例のナイフを渡してきた男にコンタクトが取れたなら、呼び出すなりなんなりもできたのだが、その手段も無理と来ている。
「安心しろよ、事件が終わるまでだ」
「嫌なわけではないけど。……ていうか手、放せよう。動けないんだけど」
諦めたように言ったロアの言葉に、膨れ面のアステルが不満げに返す。仕方なく手を離してやったのに、アステルは頬を両手でさすってわざとらしくあいたたた、と被害者ぶっている。
ちなみに、ロアが掴んでいたのは頭の上半分で頬には触っていない。今すぐその白パンみたいな頬を引っ張って、お望みどおりににしてやろうか、と両手を構えれば、何かを察知したのかアステルがハッと両頬を抑えた。
「僕に乱暴する気だな!! 白パンみたいに!! 白パンみたいに!!」
「白パンに何の無体を働けっていうんだ」




