16:胡散臭い男
泣きじゃくり、何度も中断してぐちゃぐちゃになっていたリディの話を要約するとこういう事情だった。リディ改め――本名、リディアには三つ年上の兄マティアスがいる。両親は健在だが、金銭的な余裕はあまりない。続く節制の日々。少しでも家族の助けになればと兄のマティアスは新たにアルバイトを始めることにした。そして二週間前、錬金術院の治験バイトに参加する、といったきり帰ってこなかった。
「僕関係ないよ絶対。募集してないもんそんなの」
「黙って聞いてろ」
錬金術院に問い合わせても治験なんてやっていないの一点張り。騎士団に捜索を掛け合うも管轄外だとけんもほろろ。頼りの両親もあきらめムードであてにならず。
どうしようかと途方に暮れていた時、錬金術院の研究者を名乗る男がリディアに声をかけてきたのだ。男は質の良い服と、プンと鼻を衝く安物の葉巻のにおいを纏って言い放った。
「つまり、僕が錬金術院の名前を騙って新薬の被験者を募集して」
「マティアスはアステルに騙されたうえ、薬で動けなくなったってのがそいつの言い分か」
アステルと顔を見合わせたロアは呆れた表情を浮かべながらうんざりと呟く。投薬で重大な副作用が出たマティアスは昏睡状態。治療しようにも投与した薬のレシピはアステルだけが持っていて、錬金術院でも手出しが出来ない。そして自分のミスを隠ぺいするためにマティアスを自身の塔に幽閉している。大げさな身振りで男はそう説明した。
そして酷薄な笑みを浮かべたまま、ずっしりと重たいナイフをリディアの手に乗せたのだ。
『兄さんを助けるためなら、どんなことでもやる。そういったのはお嬢さん、あなただ。――何をすべきか、わかるね?』
――というのがこの騒動の始まりらしい。
「何もかもが杜撰すぎてどっからつっこみゃいいのか分かんねぇな」
呆れた様子で眉間にしわを寄せたロアは呟く。
「ほら僕絶対悪くないじゃん」
「大事なのはそこじゃねえ。問題はお前がそこそこ本気で命狙われてる話だ」
「何でだろうね」
「何でだろうね、じゃねぇんだよ」
ロアはズキズキと痛みを訴える頭を押さえながらアステルを見た。まるーんとした無垢な目がロアを見上げている。事態を正確に理解してなお、この危機感のなさ。本当に状況を分かっているのかと問い詰めたくなる。
「頭痛が痛い……」
「ロア、頭痛はすでに「痛い」という意味を内包しているよ」
「知ってるよ!!」
腹立たしい返しをするアステルに怒鳴りつつも、それなりに差し迫ったこの問題をどう調理すべきかと、ロアは思考を巡らしていた。命を狙われている張本人がどうにものほほんとしているので危機感は感じにくいが、リディアの兄弟を人質に取り、アステルへの加害を教唆している時点で裏に居る人間の悪質さは折り紙付きだ。今回はロアがいたから何事もなく終わったが、万が一アステル単独の時に狙われていたのならこうはいかなかっただろう。
いくらリディアが年端もいかぬ非力な少女とは言え、大ぶりなナイフを持って捨て身で突っ込めばアステルの殺害とて夢ではない。
塔に居る間は安心だが、外出時などを狙われては文字通り一たまりもないのだ。
「とりあえず、状況を整理すんぞ」
「何故?この上なく明快な状況じゃあないか」
「アステルにとっちゃな」
ロアが顎で示したのは未だ床に座り込んだまま、うつむいているリディアだ。
「それに、対策も練らにゃならん。前提の共有、共通認識のすり合わせは必須だぜ」
「ふーん」
退屈そうに唇を尖らせたアステルの腹がグゥ、と音を立てる。それに共鳴するようにリディアの腹もくぅ、と控えめな主張をし、彼女の顔が恥ずかしそうに赤く染まった。
優等生のロアの腹はわかりやすい反応こそ出さないが、確かに空腹を訴えていた。
「の、前に。……飯にすっか」
丁度食材を持って来たところだったのだ、丁度いい、とロアはシャツの袖をまくった。野菜はみじん切り、塊肉は包丁でたたいてひき肉に、瓶詰トマトも贅沢につかう。今日の昼飯はひき肉のパスタだ。
野菜を炒める工程を任せたはずのアステルは早々に逃げた。
「家主は僕」という筋が通っているんだかいないんだか分からない理屈をこねまわし、リディアに仕事を押し付けたのだ。今はソファで本の世界にどっぷりと浸かっている。ロアの隣で木べらを動かしているリディアは、先ほどのロアがよほど恐ろしかったのか、ひどく緊張している。強張った姿は見ていて痛々しいが、怯えをロアに気付かれている、ということに彼女が気づけばさらに怯えさせてしまうかもしれない。
やれやれ、と内心で嘆息したロアは何食わぬ顔で作業を黙々と進めていた。
三十分後。
三人の目の前には湯気を立てるひき肉パスタの皿があった。四人掛けのダイニングテーブル。アステル、ロアと並ぶ反対側、アステルの正面に居心地の悪そうなリディアが座っている。ロアは簡素な動きで食前の祈りを済ませ、食事にとりかかった。包丁でたたいた肉は粗く、ゴロゴロとした食感が楽しい。肉を食っているという実感があるのはいい事だ。
この塔に来てから飯を作る機会が格段に増えてしまった。着実に料理の腕が上がっている気がする、とパスタを口に運びながらロアは思う。
隣を見ればアステルは食前の祈りなど素知らぬ顔で飛ばしてムグムグとパスタをほおばっていた。
「………あの」
「なんだ?」
「なんですか、これ」
「ひき肉のパスタ」
「そうじゃなくて!」
ガタン、と立ち上がったリディアを視線だけでちらりと見る。彼女の目とぱちりと視線がぶつかった。リディアはひゅ、とか細い悲鳴を喉で上げて、塩をかけられた青菜のように再び座り込んでしまった。
「……兄さん……」
俯いてテーブルを一心不乱に眺める姿はいっそ見事なまでに憐れだ。
「……念のため言っとくが、俺は別に怒ってねえぞ」
「……」
「とりあえず食え。腹減ってる人間にまともな判断は無理だ」
うつむいたままのリディアが胸の前でぎゅっと手を組む敬虔な様子におや、と思う。小さくこぼれた祈りの言葉の後、彼女は恐る恐る、と言った様子でフォークを持ち上げた。見つめられても居心地が悪かろう、とロアは自分の食事に集中した。あっという間に自分の分を平らげたロアは、お代わりをしようかどうか迷い、横を確認したところで、丁度アステルの皿が彼の方へと押し出されてきた。そう、これがあるから軽率におかわりや大盛が出来ないのだ。今回はパスタの三分の二ほどが無くなっている。先ほどおなかすいた、とこぼしていたのはそれなりに本心だったらしい、と今更ながら気づく。食べ残しの皿を受け取って、具材ばかりが食いつくされたパスタを黙々と消費していく。
「アステル、気になっていたんだが」
「何が?」
「錬金術院が薬の被験者を一般から募集する事なんてあり得るのか?」
口の端に赤いソースをつけたまま、アステルはいいや、と首を横に振る。
「しない。そもそも普通の薬なら医術院の管轄。お金のない病人とかに、タダで治してあげるから新薬試させて―ってやつ。それだって本当はざ、……………えと。あと、ポーションの管轄は錬金術院だけど、大抵自分とか仲間内で試すから外には出ないよ」
「へえ。詳しいな」
「僕をなんだと思ってるんだい」
「手続き系を把握してるイメージがなかったもんで」
悪びれもせず言い放つロアに、アステルは気分を害したのかムッと唇を尖らせる。だが、とロアは思う。普段の生活の堕ちっぷりと、研究全振りモードを見ればそういうイメージが出てくるのも仕方ない事ではなかろうか。
「じゃなきゃポーションの販売許可下りてない。もうロアには売らないよ」
「勘弁してくれ。俺が悪かった」
「わかればいいのさ」
ロアの謝罪にふふん、と鼻を鳴すアステルは得意げだ。
「そういや、医術院の事情にも詳しいんだな」
「………まぁ。医術と錬金術って似てるからね」
「似てるか?」
「昔、ポーションの管轄で揉めたんだ。薬扱いにすべきか否か」
「あー、肉体再生は確かに……」
ポーションの性能が上がるにつれて医者の存在意義が大きく揺らいだことは間違いない。特にここしばらくの発達は目覚ましいものがある。今いる医者の多くは怪我ではなく、病気の診察や薬を煎じることが中心になっていたはずだ。つまり、と机の上に肘を乗せ、頬杖をついたアステルはリディアをじと、と半目で見る。
アステルの動きにつられるようにして自然とロアも彼女へと視線を向けた。
「そういう事だから。君の……マ…マ…………忘れた。知り合いが行ったっていうバイトに僕は無関係だよ」
「マティアスな。……まぁ、こっちの言い分はそういうわけだ。お前さんが俺達を信じるか、ナイフを持たせたクソ男を信じるかは自由だがな」
二人の目にさらされたリディアが、かちゃ、とフォークを皿の上に置いた。 白い陶器の皿に残っているのはソースの跡だけで、パスタは綺麗になくなっている。うつむいた少女は、ぽたぽたと涙を落とすように呟いた。
「ごめんなさい……」
「それは、どっちの意味だ?」
「あ、……アステルさんを、傷つけようとして……」
「いいよ、傷ついてないし」
「お前はその前に俺に感謝してほしいんだが」
「……え、なんで?」
「なんで、ってなあ……」




