13:塔のお客様
シュタイン書記官とレオファルディスの襲来を乗り切ったあの日から二日後の朝。ロアはアステルを訪ねるべく塔へと続く道を歩いていた。抱えた紙袋にはパンや野菜などが詰まっている。シュタインにアステルの食事情を話してから、アステルの食費が監視の予算から下りるようになったのだ。
なぜもっと早く言わなかったのだろうか、とロアは思う。
この半年、食事の差し入れで当然のように自腹を切っていたが、もしかせずともこれは相当おかしいのでは?と脳裏をよぎる呆れかえった己の声を過ぎたこととして押し流す。アステルの飯代が錬金術院から出るようになった。何をどうしてもこうなったと思わなくもないが、どれほど考えても天地はひっくり返らないので素直に喜ぼうと思った。そもそも様子を見てこいと言っているのは錬金術院だ。この程度の支援ぐらいすべきだろう。
そういえば、ナチュラルにロアが飯炊きをする流れになっている。俺がイカレていないなら、世界がイカレているのだろう。
アステルの塔はリュザナからはやや離れた場所に位置している。街をぐるりと囲む門壁の東側に広がっているブナの森。その緑の天井を突き破るように聳え立つ石塔を、だれがそう呼び始めたのかは知らないが星見台と街の者は呼んでいた。星見台の錬金術師と言えばこの街では知らぬものはいない。高価であったポーションを、破格の効果と値段で売る変わり者の錬金術師、アステル。慈善家かと言えばそうでもない。彼、あるいは彼女にまつわる不穏な噂には枚挙がないが、それ以上の利益を気まぐれに落としていく金のガチョウ。
そんなアステルからポーションを買うために塔を訪れるものは多い。リュザナから塔までの道行は石で舗装こそされていないが、人々の往来で踏み固められ、それなりに立派な道の様相をしていた。
塔へと続く小道に足を踏み入れると、木々に囲まれたそこの気温はぐっと下がる。
さらさらとざわめく木々の音が都市の喧騒を吸い込んで、穏やかな空間に切り替わる。塔まではロアの足で十五分ほど。彼はこの静かな時間をそれなりに気に入っていた。目的地が平穏とは程遠い場所であるだけに、猶更。
そうして歩いた道の先、森の中でも小高い丘を登った先で視界が唐突に開く場所がある。そこ小川が走り、穏やかなせせらぎの音がいつでも流れていた。その中で聳え立つ塔は木々よりも頭三つは大きく、異彩を放っていた。塔の周辺にはアステルが種をまいたのか、どんな季節でも何かの花が咲いており、鮮やかな色彩をもたらしている。
そんな変わらぬ風景の中、塔の玄関扉の前で何度も扉に手をかけては手を放し、うろうろと歩きまわる、挙動不審な少女が一人。
解れて長さのある榛色の髪を三つ編みにしている。幼さを残した風貌は痩せこけ、青ざめているが、目にはどこかギラギラとした光が宿っていた。
「おい、そこで何してる」
暫く観察していたが、扉の前でウロウロとしているだけで、明確なアクションを一向に起こそうとしない。このまま少女の動きを待っていても埒が明かないと、ロアは彼女に声をかけた。
扉に集中して背後の存在に気付いていなかったのだろう。背後から投げかけられたロアの呼びかけに、彼女はかわいそうなぐらいに肩を震わせてぎゃあと甲高い叫び声をあげた。
鼓膜を突き刺すような悲鳴に顔をしかめながらロアは少女から一歩距離をとる。
「客か?」
「あっ、あなたは……?」
自身の服の胸元をぎゅう、と握りしめながらロアに問う姿は警戒してますと全身で訴えており、そんな相手にどうしたものかと思ったが、どうでもいいか、と結論付けた。
「似たようなもんだ。入るならさっさと入りな」
彼女の傍を横切りいつものように扉を開ければ、薬草とインクが混じりあったようなひんやりとした匂いが吹き抜けていく。石塔の中は天井近くに備え付けられた窓のおかげで外観よりもずっと明るい。背後で木製の重い扉がきしむ音を立ててゆっくりと閉じた。
ちらりと視線だけで横を見れば先ほどの少女も結局着いてきたようで、ロアの半歩後ろでキョロキョロと部屋の中を見回していた。ポーション販売機で上級ポーションが買えるのかもう一度試みたが、相変わらず売り切れのままだ。フロアを横切ったロアはそのまま二階へと通じる扉に足を向けた。その背中に、少女のねえ!!と強い呼びかけがぶつけられる。
面倒ごとの気配がする声にロアはややうんざりした面持ちで振り返った。
「あなた、アステルって錬金術師の知り合いなの?」
「……まあ、そんなもんだ」
そのまま少女を残してロアは上階へと向かおうとするが、服の裾をグイと掴まれて立ち止まる。
「……あ?」
「わ、わたしはアステルに用があるの!!」
「だから何だ」
「私も行く!!」
そう叫ぶように言い切った彼女は唇を強く噛みしめた後、ずんずんと大股でロアを追い抜かしていってしまう。放っておけば道中にあるアステルの発明品で死にかねない。手を伸ばしたロアは少女の襟首をむんずとつかんで引き留めた。
「おい待て」
少女の喉からぐぇ、と絞められたガチョウのような声が出た。首が締まった生き物の声は誰も彼も同じらしい。
「離して!!」
襟首をつかむ手をなんとか引きはがそうと暴れる少女を横目にどうしたものかと思案する。
このまま放りだして締め出してしまえば当分の間は手出しできないだろう。しかし、どうにも不穏な空気を漂わせる少女を放っておいて、己の不在時にアステルに接触されては厄介なことになる。かといって可能性だけで排除してしまうのも難しい。任務でもない掃除は後始末も含めてめんどうだ。穏便に済むならそうしたい。逡巡したロアは諦めたようにため息を吐いた。
「……いいぜ、連れてってやる」
襟首から手を離すと、ゲホゲホと咳き込み薄らと目に涙を浮かべた少女がキッとロアをにらみつける。庶民特有の蓮っ葉な口調も相まって、気の強そうな娘だ。身にまとっているシンプルな麻布の服には補修跡があり、草臥れている。金銭的に余裕がある生活ではなさそうだ。
手はあかぎれていて、水仕事が多いのだろう。家事の手伝いを頻繁にしているか、あるいは彼女が中心となって行っているのか。手のひらにタコや肉刺はなく、武器を握り慣れている人物でないのは喜ばしい事だった。
「ただし、ここから上に行く気なら俺の言うことは必ず聞け。無事に帰りてぇならな」
「……え?」
顔をしかめた少女にロアは淡々と説明する。
「発明品やアステルが面白半分で作った何やらがあるんだよ。いかれてるやつも多いからな。……下手に触ったり変なとこ踏むと死ぬぞ」
「………」
「やめとくか。それなら俺も助かるんだが」
「行きます!!」




