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症例 鉄欠乏性貧血

まずはアシェルの頭と首まわりまで確認していく。眼瞼結膜は血色が失せ蒼白化(そうはくか)している。肌には張りがなく乾燥気味だ。唇もかさつき口角が切れているが、口腔内に異常はない。虫歯も無さそうだ。リンパ節の腫れもない。


次は聴診だ。この世界に聴診器はないから、今日のために革製の細い管と小さな金属皿に薄い羊皮紙を貼ったものを繋げて即席の聴診器を自作してみた。エイデンが「それはなんだい!?」と目を輝かせて身を乗り出すが、片手で制して黙らせる。


管の先端を耳に入れ、金属皿をアシェルの胸に当てる。


「大きく息を吸って、吐いて。もう一度。今度はゆっくり呼吸をして。うん、大丈夫だ」


肺野(はいや)に雑音はない。心臓の音もきれいだ。腹部を触っても痛がる様子はない。脾臓や肝臓の腫大(しゅだい)もなさそうだ。排便の頻度や性状も聞いたが、特に異常はないと言う。


「アシェル、少し血液をとるよ。大丈夫、痛くないから」

「血液?」

「パンダ、シマウマ、採血。5ml」

「……!!」


虫籠から飛び出したパンダたちが、素早くアシェルの腕に取り付き、血液を吸い出す。アシェルは驚いて目を見開いたが、痛みはないのか、そのまま動かずにじっとしている。


「クアント ヴォキュトス(血液成分 測定)」


採取した血液に測定魔法をかけると、淡い光とともに数値がずらりと空中に浮かび上がる。今回は血球成分を測定するだけじゃなく、血液中の多種のたんぱく質や酵素、微量元素も測定出来るようにした改良版だ。


やはり、赤血球が少なくヘモグロビンの数値が低い。体内の鉄も足りていない。それどころか、血中のタンパク質もビタミンや電解質も全て基準を下回っている。まるで寝たきりで食事の取れない老人のような栄養状態だ。


なるほど、原因が分かったぞ。

でも、説明する前にまずは治療をしていこう。


「アウクタ ヴォキュトス(血液を増幅せよ)」


パンダとシマウマの腹袋の中で採血した血液が、淡い光を帯びながら増えていく。増幅された真っ赤な血液に、今度はヘレナが驚いたように息を呑んだ。


「パンダ、シマウマ、血液投与」


俺の指示を聞いて膨らんだ腹袋を抱えたパンダたちが一斉に動き出す。増やした血液が再び体内へと戻されると、みるみるうちにアシェルの頬に血色が戻っていった。


「……すごい、体が楽になったよ……!」


見違えるほど顔色が良くなったアシェルは、嬉しそうにはしゃいだが、俺は静かに首をふった。


「いや、足りなくなっていた赤血球を身体の中に戻しただけだ。今は大丈夫でも、すぐに元通りになる」

「なんだ……それじゃ、治ったわけじゃないんだね……」


ぬか喜びさせたくて来たわけじゃない。落胆したように肩を落とすアシェルと目を合わせ、しっかりと説明する。


「アシェル、君の身体の中には赤血球を作るための栄養が全く足りていないんだ。だから治ってもすぐに再発する。栄養は食事から摂るものだ。アシェルはいつもどんなものを食べている?」

「なにって……シャンドーレを1日3回。それから双角牛のミルクだよ」

「シャンドーレ?」


なんだそれ? 初めて聞く料理だ。カーネリア家のシェフは世界各国で修行していたらしく、多種多様な料理を作るが、“シャンドーレ”は食べたことがない。双角牛は前世でいう乳牛のようなもので、二本の長い角と分厚い毛皮が特徴的な生き物だ。首をかしげる俺にエイデンが懐かしそうに言った。


「シャンドーレか、子供の頃よく食べたよ。氷を細かく砕いて砂糖水をかけたものだ」

「氷と……砂糖水だと……」


言葉を失う俺に、アシェルは恥ずかしそうに視線を逸らしながら続けた。


「僕、小さいころは食べることが好きで、太ってたんだ。だからお世話係のばあやが、食事は全部シャンドーレにしなさいって……」

「ほう……?」

「そ、そんなにすっごく太ってたわけじゃないよ!でも、お腹のお肉がつまめるくらいになっちゃって、以前のズボンが入らないことがあって……」

「……アシェル、よくわかったよ。教えてくれてありがとう」


確かに子供の高度肥満は健康には良くない。だが腹回りにうっすら肉がつくくらい、正常の範囲内だ。子供の服があっという間にサイズアウトするのだって、いちいち騒ぎ立てるようなことじゃない。


そもそも、アシェルは歳の割に小さい。いまの身長なら体重が10kg以上増えたって足りないくらいだ。成長期の子供が必要とする摂取カロリーや成長発達に必須な栄養素に関する知識がないのは仕方がない。それでも、目の前の子供が起き上がれなくなるほど過度な食事制限を強いて、ここまで痩せさせるなんて……!!


「……アシェル、今すぐにその“ばあや”と話をしたいんだが、いいかな?」


にっこり。なんとか口角をあげて穏やかに見せかけるが、声はわずかに低くなる。すると、アシェルはきょとんとした顔で小さくうなずいた。


「う、うん。わかった」


アシェルが呼び鈴を鳴らすと、しばらくして扉から年配の女性が入ってきた。深夜に呼び出されたせいか、ばあやは気だるそうに欠伸をかみ殺していたが、アシェルの寝台を取り囲む俺達を見てはっと表情を強張らせた。


「な、なんですかあなた達は!?」







※この物語はフィクションです。健康上の問題や受診の判断・対応については、実在の医療機関にご相談ください。


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