アニマルセラピー
驚いたことに、ヘレナが手紙で言っていた“患者”というのは皇族の子供だという。
「少し前から、研究助手として皇室に出入りするようになったの。そこでたまたま話し相手を頼まれて、様子を見ていたんだけど……」
ヘレナが関わることになったのは本当に偶然だったそうだ。正妃の子供ではなく、他国から嫁いできた側室の息子。歳は十二歳。生まれつき身体が弱かったが、二年前から症状が始まって以来、ほとんど部屋にこもりきりらしい。
側室の息子ということは、ヘレナにとっては異母姉弟ということだ。普通であれば距離を置いてもおかしくない関係だが、ヘレナは本心から彼を気にかけているらしい。
ヘレナは声を落として申し訳なさそうに言った。
「実は、今回のことは正式に許可されていないの。裏口から見張りの兵士に見つからないようにこっそり入って、皇子の部屋へ向かうことになるわ」
「そ、そうか……」
またしてもスパイの真似事をすることになりそうだ。今夜は本当に色々なことが起こる。エイデンは目を輝かせて言った。
「面白いことになってきた! 皇城に入るのは初めてだ。ジゼルは行ったことがあるかい?」
「えーっと……」
正確に言えば、ある。
記憶を取り戻す前、まだ小さかった頃になにかの式典に参加した記憶がぼんやりと残っている。退屈で呪文のような説法を聞き流しながら、壁の装飾を数えていた朧げな映像が脳裏をよぎる。
だが、“今の俺”になってからはずっと屋敷に引きこもっていたし、なぜか招待された第一皇子の誕生日会には結局行けなかった。
俺の微妙な表情にエイデンも察するところがあったのか、それ以上の追及はせず話題を切り替えた。
「それじゃ、さっそく出発しよう。病気の皇子様を助けるために、皇宮にこっそり潜入だ! 一歩間違えれば逮捕されるけど、ワクワクするね!」
「ジゼル。エイデン博士ってなんだか……個性的な人ね」
「うん……」
はしゃぐエイデンに、ヘレナは呆れたように言った。俺も同感だ。もとより研究者というのは一筋縄ではいかない人物が多いが、そのなかでもエイデンってかなり……その……変わってる。
「ビクター、ちょっと良いかしら」
ヘレナが奥の部屋に向かって声をかけると、少ししてビクターがお盆に飲み物と焼きたてのパイを乗せて戻ってきた。甘い香りが部屋の中にふわりと広がり、夕飯が喉を通らなかった俺の腹がぎゅうと鳴る。
「おいおい、もう出発するのか? さっきの子供の母親がお礼にアップルパイを焼いたぜ。食べていかないのか?」
「もう行かないと、約束の時間に遅れちゃうわ」
「仕方ないな、辻馬車を捕まえるには遅い時間だから、“ラグニル”に乗っていこう」
「……ラグニル?」
聞き慣れない言葉に首をかしげるが、見れば分かると外へ案内された。ビクターと共に店の裏に回ると、その正体はすぐに分かった。
簡素な馬屋のような場所に、馬くらいの大きさの生き物が数頭繋がれている。ロバに似た体つきだが、耳は異様に長く垂れ、尻尾は三つに分かれてゆらゆらと揺れていた。
「こいつらがラグニルだ。荷運び用に飼っているんだが、鞍と鐙をつければ乗り心地も悪くないぞ。そっちの兄さんはヘレナと乗ってくれ。“お嬢ちゃん”は俺が一緒に乗ろう」
「ビクター、違うわ。ジゼルは男性よ」
ヘレナが苦笑して訂正すると、ビクターは心底驚いた顔で目を丸くした。
「えっ、そうなのか。あんまりきれいな顔してるもんだから、お忍びの貴族令嬢かと思ったぜ。悪かったな」
「……気にしないでくれ」
俺の顔が母親譲りの女顔で、体格も華奢なのは事実だ。最近は三食しっかり食べ、思春期の子供が必要とするカロリー摂取と睡眠、適度な運動を心がけているが、もともとの体質もあるのか、男らしさとはほど遠い。
「……これに乗るのか」
「貴族の子供はラグニルには乗らないよな。見るのも初めてか?」
「うん……」
鼻を鳴らすラグニルにおそるおそる手を伸ばすと、くん、と匂いを確かめるように近づいてきた。手のひらに生温かい鼻息があたり、くすぐったい。
差し出された鼻先に触れると、ラグニルは嬉しそうに鼻を鳴らし、すり寄ってきた。少し硬めの毛を掻くように撫でてやりながら、あごの下のやわらかい余った皮の部分を優しくたぷたぷ撫でると、うっとりした顔で気持ち良さそうに目を閉じている。
うっ、か、かわいいじゃないか……!
無心でラグニルを撫でくりまわして癒されていると、周囲の三人が黙ったまま、こちらを見つめていることに気付く。
「んン゛っ……すまない、出発するんだよな?」
誤魔化すように咳払いして姿勢を正すと、三人同時に目を逸らされた。な、なんだよ。不満げに見つめ返すと、沈黙を守るロングスウェル兄妹の代わりにエイデンがくすりと笑って言った。
「ジゼルは動物好きなのか? そんな無防備な顔、初めて見た気がするよ」
「……そうだけど」
そうだよ、俺はもふもふした生き物が好きなんだ! 前世じゃ陰キャすぎて犬猫にも懐かれなかったが、一睡も出来なかった当直の明け方は、可愛い動物の動画を見て癒されていたんだ。別にいいだろう!!
「だ、だって体温のある生き物を撫でるとストレスが軽減されることはアニマルセラピーの有効性によっても示されているし、別に俺だって……ひゃぁっ!?」
反論しかけた俺の頬に、ラグニルが濡れた鼻先をぐいっと押し付けてくる。くうう、やっぱり可愛い……っ!




