スカラベ博士の正体
「なにがあった?」
「子供がなにかのどに詰まらせたらしい」
「死んだのか?」
「いや、あの少年が助けたみたいだ」
「きれいな子だな。女みたいな顔だ」
「隣の男は恋人か?」
酒場の大人たちがざわめき、俺たちのほうをじろじろと見ている。やむを得ない状況だったとはいえ、ずいぶん視線を集めてしまった。出直したほうが良いかもしれない。
するとそこに、ひとりの男が静かに近付いてきた。首と腕に複雑な模様の刺青が入った、いかにもこの場にふさわしい風体の男だ。男はエイデンに目を向け、低い声で言った。
「……おい、あんたに聞きたいことがある。『血吸い蜂の縞は何本ある?』」
「えっ、なんだって?」
エイデンが戸惑った顔で聞き返すと、男は当てが外れたように肩をすくめ、そのまま立ち去ろうとする。俺は慌てて声を上げた。
「待ってくれ! 働き蜂は三本、女王蜂は四本だ!」
男の足が止まる。
「あんたがアイゼン博士なのか? まだ子供じゃないか」
上から下まで値踏みするような視線を向けられるが、エイデンが横から口を挟んだ。
「ただの子供じゃないのは、君も見ていただろう?」
「ま、まぁな……。あの子たちはうちで働いてる給仕の子供だ。助けてくれて礼を言うよ」
「たまたま居合わせただけだ」
「約束しているのはひとりのはずだが、そっちの男は護衛か?」
「彼は友人だ。俺だけじゃ来られないから着いてきてもらった。まさか、君がスカラベ博士じゃないよな?」
違うとは思ったが、男は苦笑しながら首をふった。
「もちろん違うさ。俺はあんた達を“彼女”のところに案内するよう頼まれたんだ」
「“彼女”?」
男に案内されて店内の奥にある重い扉を開き、さらに奥へと進む。扉の向こうは先ほどまでの喧騒が嘘のように静かで、外とは隔てられた別世界のようだった。木の香りが漂う落ち着いた部屋の中央、木目のテーブルの向こうに、銀色の髪をひとつに結んだ女性が座っている。
今度はすぐに分かった。彼女がスカラベ博士だ。
「初めまして、ジゼ……っ、ナオ・アイゼンです」
名前を言おうとした瞬間、エイデンに目にも止まらぬ速さで肘鉄された。結構痛い。抗議するようにエイデンを睨むと、彼は俺の方を見ずに小さく首をふった。まだ名乗るな、ということか。女性はゆっくりと顔を上げ、わずかに目を細めた。
「来てくれてありがとう。ヘレナ・ロングスウェルよ。貴族とは思っていたけど、こんなに若いとは予想外だったわ。神童ってやつね」
「お前が初めて論文を出したのも、これくらいの歳だった」
からかうように肩をすくめる男に、ヘレナ・ロングスウェルはわずかに眉をひそめて言った。
「ビクター、やめて。ごめんなさいね、てっきり大人の男性だと思ったから、もっと落ち着いた店に案内するべきだった」
「悪かったな、落ち着かない店で」
「少なくとも、淑女の皆様がお茶の時間を楽しめる店ではないでしょう」
「淑女ねぇ、虫の観察ばかりしている変な女しか来ないな」
「なら商売が下手なのね。お客さまにまともな飲み物ひとつも出さないんだもの」
おとなしそうな見た目の女性が、治安の悪い刺青男にずけずけと物を言う様子は、なんとも心臓に悪い光景だったが、ビクターと呼ばれた男は楽しげに笑うと、奥へ引っ込んでいった。
「ビクターは私の兄なの。ここは兄の店よ」
「兄妹仲がいいんだな」
「血は繋がってないけどね。私は養女なの」
「そうなのか」
なんだか一気に色々な事情を明かされているが、複雑な家庭の事情を打ち明けられるのは外来ではよくあることだった。顔色には一切出さず、なんでもないことのようにうなずいておく。
それよりも横に座っているエイデンの様子がおかしい。なにか気になることでもあるのか、ちらちらと俺の様子をうかがっている。
その不自然な空気を破ったのはヘレナだった。
「アイゼン博士、そちらのご友人は、どういったご関係かしら」
「あ、あぁ……えっと」
答えに詰まる俺の代わりにエイデンが朗らかに答えた。
「初めまして、僕はエイデン・リサーチだ」
「まぁ、あなたが。ご活躍はかねがね。アカデミーの俊英にもお会いできるなんて光栄だわ」
「僕もスカラベ博士の研究は注目しているよ。君の『血吸い蜂を用いた採血法』は素晴らしい。最近で言うと『腐食ミミズの小型化と農耕土壌への利用』は興味深かったね」
「ありがとう。小型変異種の安定化には時間がかかったけど、虫の生態を利用して産業効率を高めるのが私の生涯のテーマなの」
ヘレナは曖昧に微笑んだが、エイデンは不思議な表情で彼女を見つめていた。彼女の顔をまっすぐ観察し続け、やがて確信したように口を開いた。
「ヘレナ・ロングスウェル。君は、王の隠し子だよね?」




