症例 異物誤嚥
各科の医者にとって、見るだけで悲鳴をあげ、どうかやめてくださいと懇願する行為がある。
例えば眼科医なら付けっぱなしのコンタクトレンズ、皮膚科医なら食べ物を荒れた肌に塗る行為、腎臓内科医は鎮痛剤の乱用、神経内科医は鳥の生食、糖尿病内科医は甘い飲み物の多量摂取。それぞれの医者の前でやってみたら、きっと泣きながら全力で止めに入るはずだ。
そして前世小児科医である俺にとって、最も恐ろしい光景、それは……
五歳未満の幼児が丸くて小さい食べ物をそのまま食べるところ!!!
酒場の片隅で、三歳くらいの小さな男の子と姉らしき子供が、丸い豆が浮かんだスープをすくって口に運んでいる。
このような光景を見ると、俺はその場を動けず、子供たちが食べ終わるまでじっと見つめ続ける不審者になってしまう。
「ジゼル?どうした」
「いや……」
い、いかんいかん。ここで声をかけて止めたりしたら、完全に不審者だ。万が一騒ぎにでもなったら、この場にいること自体を怪しまれてしまう。うう、だけど気になる……。
た、頼むから丸飲みしないでくれ。
よく噛んで!!小さくなるまでよく噛んで!!
ああああそんなに急いで食べちゃだめだ!!
「…………ケホッ」
皿を傾け口へ流し込んだ瞬間、男の子が喉を押さえて咳き込んだ。差し出された水を前に、首を振って息を吸おうとするが、うまくいかない。声にならない音だけが漏れる。
顔色がみるみる青ざめていく。
――まずい。
俺は反射的に駆け出していた。
「ジゼル!?」
背後でエイデンの声がしたが、止まってる場合じゃない。
「やめて! 弟になにをするの!?」
男の子の前に飛び出した姉が、怯えた目で俺を睨む。
「気道に豆が詰まったんだ。吐き出させないと」
「で、でもどうやって……!?」
答える暇はない。苦しそうに喉をかきむしる男の子を背後から抱き上げ、肩甲骨の間を強く叩く。数回繰り返すが、苦しそうに咳き込むばかりでうまく吐き出せない。今度は両腕を腹部にまわし、みぞおちの下方に拳を当てる。
「……大丈夫だ。吐き出せる」
素早く突き上げるように腹部を圧迫する。激しい咳き込みとともに、口の中から詰まっていた豆が弾き出された。
「げほっ、げほっ……う、うわぁあん!!」
「エリック!!!」
「お、おねえちゃぁん!!」
子供の泣き声に、周囲の大人たちが一斉にこちらへ振り向いた。ざわめきが広がり、椅子のきしむ音が重なる。
「大丈夫か!?」
「何があったんだ……?」
背後からエイデンが駆け寄ってきて、視線から守るように俺の肩を抱いた。
「ジゼル、大丈夫か」
「ああ、問題ない」
姉は泣きじゃくる弟を抱きしめたまま、恐る恐る俺たちの方を見上げると、震える声で話しかけてきた。
「あのっ! 弟を助けてくれて、ありがとう……!」
「あ、あぁ……ちょっといいかな」
俺はしゃがみ込み、弟の顔を覗き込む。顔色は戻っているし、腹を痛がる様子もない。呼吸も落ち着いている。
大丈夫そうだ。
怖がらせないように、出来るだけ優しい笑顔をつくる。前世の俺と違って、ジゼルの表情筋はやわらかい。
「あのね、君ぐらいの小さな子供は、これくらいの大きさの食べ物が空気の通り道にすっぽりはまりやすいんだ。だから、ごはんを食べるときはよく噛んで。小さく切ってもらったり、そのまま飲み込まないようにね」
男の子は涙を拭いながらこくこくとうなずいた。隣の姉も真剣な顔で何度もうなずいている。
「わかったよ! 天使さま!」
「て、天使?」
なんだか覚えのある展開だ。
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※この物語はフィクションです。
窒息時の応急処置は年齢や状況により異なります。実際の対応は公的ガイドラインをご確認ください。健康問題や受診の判断に関しては、実在の医療機関にご相談ください。
物語中に登場した処置については、以下の文献を参考としています。
1.厚生労働省. 救急蘇生法の指針2015(市民用). 東京: 厚生労働省; 2016.
2.日本医師会. 気道異物除去の手順. https://www.med.or.jp/99/kido.html




