症例 息切れ、倦怠感
思いっきり泣いたせいか、どっと疲れた。
それにお腹も空いた。
一緒に夕食を食べないと拗ねるお兄様もいないので、早めに夕食をとり、なにか言いたげなレナードを尻目にさっさと床につくことにする。
翌朝、目が覚めると俺に一通の手紙と小包が届いていた。どちらもスカラベ博士からだった。
『拝啓 親愛なる友、ナオ・アイゼン博士
早々、血吸い蜂の羽音が賑やかな季節となったが、博士におかれてはますます健勝のことと拝察する。緊急の要件につき、時候の挨拶はここまでにして本題に入らせていただきたい。
私の知人が、二年ほど前から体調不良を訴えている。ひどく疲れやすく、少し動いただけで息切れを起こすのだ。
治癒魔法士による治療も受けているが、効果は一時的であり、三ヶ月ほどで再び同様の状態に戻ってしまう。現在は寝たきりの状態が続いている。
先日、教会の上級治癒魔法士による“完全治癒”も施されたが、結果は同様であった。原因も判明せず、この先も定期的に治癒魔法を施して症状を抑え続けるしかないとのことである。
治癒魔法の応用および再構築を試みているアイゼン博士であれば、本件について新たな見解を提示できるのではないかと考えた次第である。
突然の依頼で恐縮であるが、もしも助力を得られるのであれば、三日後の夜、皇都東区の酒場“黒針亭”にてお待ちしている。
先んじて患者の血液検体も同封した。査収されたい。
敬具
スカラベ
追伸
この際だから白状するが、スカラベは偽名である。私は本来であれば貴族との手紙のやりとりなど許されない身分の人間である。アイゼン博士が貴賤よりも相手の本質を重んじることは理解しているが、身分を偽っていたことについては深く謝罪する。
無礼を承知で願い出るが、患者はまだ幼い子供である。どうか助けてほしい。』
最後の数行の文字は震えていて、何度も書き直した跡があった。
「助けて欲しい、か……」
スカラベ博士が虫以外のことを語らないのはいつものことだ。しかし、いくら俺だって黄金虫が偽名であることくらい、最初からわかっていた。俺もカーネリア家の名と素性を隠している身だし、お互い様だ。気にすることないのに。
「子供の患者、2年前から続く症状と……」
疲れやすい、息切れ、倦怠感。
喘息や肺炎でないなら、まず考えるべきは先天性の心臓病だ。心室中隔の欠損や肺高血圧、弁膜症も考えられる。もちろん血液疾患や結核、膠原病などの病気も疑うべきだろう。
しかし、身体の異常をすべて修復する“完全治癒”が行われたのなら、そのような臓器の異常は改善しているはずだ。なぜ繰り返し発症する?
「……身体の外に原因があるのか?」
例えば生活環境、衛生状態や食べている物。こればかりは本人に話を聞かないとわからないから、詳しい情報を得るのは本人に会ってからだ。差し当たり今の俺に出来ることをしていこう。
スカラベ博士から送られた小包を開けると、中には保存魔法がかけられた小瓶に新鮮な血液が入っていた。
「うん、凝固もしてないし、きれいなままだな」
この検体保存容器は黄痩病の調査にあたり試作したものだ。スカラベ博士からいくつか欲しいと言われた時は虫の研究で使うのかと思っていたが、こんなところで役に立つとは。
「サング ヴォキュトス(血液成分 測定)」
俺の指先から淡い光が走り、魔法が血液へと浸透する。次の瞬間、測定結果が空中に淡く浮かび上がった。
分離魔法と商業用の計数魔法を応用して先日完成した測定魔法だ。血液中の細胞の数と成分を種類ごとに分類し、濃度と比率を測定できる。
「なるほど、血液中の赤血球とヘモグロビンの値が低いな」
ヘモグロビンは赤血球中に含まれるタンパク質で、酸素の運搬を行う。これが少なければ全身への酸素の供給がうまくいかない。おそらく息切れや疲れやすさは貧血が原因だろう。
治癒魔法で一時的に貧血が改善しても、赤血球は三、四ヶ月で寿命を迎え体内で処理される。貧血の原因そのものに対処しないと再発するというわけだ。
「あとは赤血球の形態に異常がないかを確認したいな」
続いて俺は、スポイトで血液をほんの少し取り出して薄いガラス板の上に載せると、顕微鏡のステージに置いた。レンズを覗き込みながら微調整ネジでピントを合わせていく。
「ふむ……」
赤血球は血流にのって全身の血管を移動する。髪の毛ほどの細さの毛細血管内も通過するため、単純な丸い形ではなく中央が凹んだ円盤状の形をしている。
この患者の赤血球の形に大きな異常はない。だが、全体的にやや小さく、厚みも薄くなっている。
赤血球数とヘモグロビンの低下、小さく薄くなった赤血球。これらは典型的な鉄欠乏性貧血の所見だ。
「なるほどな」
鉄不足による貧血ならば、差し当たっての治療は簡単だ。鉄を補充すればいい。しかし、上級治癒士を呼べるほどの財のある人間が鉄不足になる理由がわからない。
……慢性出血か、吸収障害か?
年齢と性別が分からないが、女児であれば過多月経も考えられる。
「ま、会ってみれば分かるだろう」
博士との約束は三日後の夜だ。
だが、その前に大きな問題がある。
よりにもよって、スカラベ博士が指定した待ち合わせ場所は酒場。お兄様と出掛けた時も、東区のあたりは治安が悪い場所だから近づくなと、口を酸っぱくして言われている。
屋敷からほとんど出たことのない生粋の引きこもり貴族少年の俺が、そんな場所に行けるのか?




