第五話<月の夜の下で>-5
「てぇぇぇいやぁぁぁぁぁ!」
蘭子が声を辺りに響かせると同時に、異型の犬に向かって拳を突き出す。
犬は紙一重のところでかわし、噛み付こうとした。
しかし琴和の蹴りが犬の横腹に決まり、吹き飛ばす。
「大丈夫か?」
「うん、助かった。」
蘭子の身を案じた琴和だったが、無事だったようで少し安心をした。
しかし目の前の犬は再び立ち上がり、闘志を剥き出しにしている。
「何で急に襲い掛かってきたんだろう。さっきまであんなにおとなしかったのに。」
「分からない。でも追ってきて襲うくらいだから、
やっぱり俺たちのことが気に入らないんだろうな。」
その犬は、先ほど遭った白い異型の犬であった。
しかしその様子は豹変しており、闘争本能を剥き出しているようであった。
「蘭子ちゃん、小田原さん!」
白い犬とにらみ合いが続いているところに、
上空から櫻子が戻ってきた。
「この犬は!?」
「・・・いきなり追ってきて、襲われているんですよ。仕方なく今戦っています。」
琴和がそう言うと、櫻子は困惑と驚愕を合わせた表情になる。
「そんな、大変なの!最初に遭った黒い犬もすごい形相でこっちに向かっているの!」
「えーーーーーーーー!?」
その言葉に驚いた蘭子は思わず大声で反応してしまった。
「さすがに二匹相手はきついな・・・。」
「どうする?逃げる?」
「無理っぽいよな、足も速そうだし、鼻も利くだろう。」
「じゃあ、今のうちに一匹片をつける?」
「名案だ。」
お互いを見つめ、目を合わせる琴和と蘭子。
その様子を見ると櫻子はまた危ないことをするのではないかと不安になった。
「ちょ・・・ちょっと二人とも?」
「大丈夫ですよ、早く済ませて帰りましょう。」
蘭子は笑顔で櫻子にそう言うと、
メリケンサックを装着した右手を強く握り締めた。
「俺から突っ込む、隙を見つけて思いっきり殴って。」
「了解!」
そう言うと琴和は、異型の犬に向かって突進をする。
それに立ち向かうように犬も飛び掛ってきた。
噛み付こうとする犬を体を左へそらすことにより、
闘牛士のように避けた琴和。しかし、避けることに
精一杯で、体勢が若干崩れ反撃は出来なかった。
一方、飛び掛り攻撃を避けられた犬は、着地すると同時に琴和の方へ
体をターンさせていた。そして、間髪を入れずに
再び飛び掛る。その時である。
蘭子が犬の背後から、背中に目掛けて拳を突き立てる。
すると、犬は地面に叩きつけられ転がった。
「今だ!!」
琴和はその隙に犬に飛び掛る。そして地面に転がった犬の首目掛けて
強く踏みつけた。すると犬は強く仰け反った後、決して大きくは
ないのだが、なんともいえない叫びのような奇声を上げ、動かなくなった。
その時である、夢中で戦っていた興奮状態の心に犬の断末魔の叫びが響き渡った。
すると、目の前の残酷が頭の中に焼きつき、
急に青ざめるような罪悪感が心に覆いかぶさってきた。
「やったの?」
蘭子が琴和に近づく。
すると少し落ち着きを取り戻した琴和は目をそらして、つぶやいた。
「あ・・・ああ。」
「どうしたの?どこか怪我したの!?」
「いや、大丈夫。」
「そんな、大丈夫そうには見えないよ?」
問い詰められた琴和は恐る恐る犬の死体に視線を移動させてつぶやいた。
「やっぱり可愛そうだよな・・・これ。」
自己防衛、あるいは蘭子を守るためだったとはいえ
犬の死骸を、自分の行った結果を目に入れるのはあまりにも苦痛だった。
たった一言ではあったが、その様子から
蘭子は琴和の心境を何となく察することが出来た。
「仕方ないよ、そんなに気にしないで。」
何て言っていいか分からなかったが、蘭子がとりあえず慰める。
自分は”怪物”と割り切っていたので、そこまで気にしていなかったが、
琴和は命を奪い取るということを敏感に
反応していたのだと気がついた。
「二人とも、今は逃げませんか?」
櫻子が様子を窺いつつ提案をする。
彼女も琴和の様子見て、心配になっていた。
だから琴和のためにも、もう怪物とは戦いたくないと思っていた。
「今ならまだ、黒い犬から逃げ切れるかもしれないから・・・だから、ね?」
そう言うと琴和は無理して笑顔を作ってこう言った。
「いえ、犬は鼻が利くのでここでやっちゃいましょう。
それっこそ蘭子の家まで嗅ぎ付けられたら厄介ですから。
「でも・・・。」
櫻子の心配にありがたいと思う中、琴和は手に持ったナイフを強く握り締めた。
「大丈夫ですよ、俺は。それに・・・もう遅いようです。」
そう言うと、黒い犬が恐ろしい形相でこちらを睨み付けていた。
しかし琴和は口では言うものの、心には物凄いストレスが
のしかかっていた。
『もうあの感覚は嫌だ。』
連日から続いている手にナイフを突き刺した感覚が、足に踏み殺した感覚が蘇る。
そのせいか吐き気に襲われ始め、軽くうつむいてしまう。
しかし目の前には避けられそうにない脅威が立ちはだかっている。
やるしかない、でもやりたくない。
その思いが頭を占拠すると、白くフェードアウトするように意識が遠のいていった。
「小田原さん!?」
蘭子の声が頭に響くと琴和はハッとする。
「あれ?俺は今何を?」
「大丈夫なの?今、力が抜けていたようになっていたよ。」
「え?」
蘭子からは急に琴和が無気力になったように見えていた。
心配そうな表情をしながら、今さっきの自分の状態を聞かされると、
琴和はあることに気がついた。
『また、以前のように意識が飛んだのか・・・。
でも今回は何も頭によぎらない。』
そう考えていると、存在を思い出させるかのように
黒い異型の犬が視界に入っていることに気がつく。
『そうだ、こいつをどうにかしないと』
まだ、意識が少しぼやけているせいか、ようやく目の前の
重要な事を再認識した。
「同じ要領で行こう。」
蘭子にそう伝えると琴和は身構える。
「分かった・・・。でも本当に平気なの?とても辛そう。」
蘭子の声を聞くと、琴和は不思議に思う。
『何でそんな心配をするんだ?』
その時の琴和にとっては、それが何故か理解できなかった。
だが、よく判らなかったがとりあえず一言「大丈夫。」と笑顔で残し、
再び異型の犬に向かって突進をした。




