第十五話<駆け巡るそれぞれの想い>-14
甲子郎たちが修也と遭遇してから一時間後、
蘭子はバイトの時間が終わり、更衣室に向っていた。
部屋にはロッカーの他、小さな机が二つに
椅子がそれぞれに三つずつ設置されている。
この部屋は、着替えだけではなく休憩時間や、
待機する時に利用もされている。
蘭子が部屋に入ると、そこにはバイト仲間の女性が二人座っていた。
二人とも蘭子と同世代で、活発そうな雰囲気である。
ショートとポニーテールの二人組は、
書類を見ながら何かを話し合っているようだ。
「おつかれさま。」
「あ、おつかれー。」
蘭子が部屋に入るなり挨拶をすると、明るい声で返事が返ってくる。
「何やってるの?」
二人が何かをしているようなので不思議に思い覗きこむ蘭子。
するとショートの方が書類を見せてくる。
「何って、テストよ。
ここの範囲から出るらしいんだけど、難しくってさ。」
「テスト?ああ、二人とも大学生だからテストあるんだね。」
蘭子が納得をすると、もう一人が呆れた顔で話しかける。
「いや、私は無いんだけどね。
この子ったら単位やばくてさ。それで泣きの再テスト。
この時期にテストって普通ないもの。」
馬鹿にするようににやけて説明すると、ショートの娘は不貞腐れる。
「・・・仕方ないじゃん。にしても難しすぎ!」
「あはは、大変そうだね。」
蘭子が苦笑いをすると、ため息が返ってくる。
「ホント大変だよ。お願い蘭子、教えて!」
そう言って問題集を見せてくる。
「いやいや、私は勉強してないから!」
そう言いつつも、どんな問題をやっているのか目を通す蘭子。
すると数秒間、黙り込む。
「ん?これ何処が分からないの?」
「えっと、とりあえず一番目。」
「これってさ、ここに公式を当てはめるだけだよね?」
「え?分かるの?」
「・・・あれ?」
蘭子がすんなり解法を導き出す事に予想外の展開を感じる二人。
しかし驚きの表情を見せているのは蘭子も同じだった。
「すごいじゃない、よく分かるわね。」
ポニーの娘が笑顔で称賛するが、蘭子は戸惑った様子だった。
『何で、私分かるの・・・?
しかも難しい計算なのに暗算で解ける・・・。』
今、見ている内容は数学で、それなりに勉強をしないと解けない内容である。
しかし、蘭子はパッと見ただけで答えまで導くことができた。
彼女の記憶の中には大学レベルの数学を勉強した事は無い。
それにも関わらず、問題が解けた事に、蘭子は狼狽する。
『また・・・自分の分からないことが・・・。
英語が分かったのと同じだ。』
「どうしたの?」
蘭子の表情が曇った事が気になり、ショートの娘が話しかける。
「あ、ううん、何でもないよ。」
慌てて切り返しながら、問題集を返す蘭子。
すると、ポニーの娘が問題集を受け取り、机に置く。
「まあいっか。
そういえば昼にさ、金髪の子が来ていたよね。
蘭子の親戚なの?」
来店していた琳とのやり取りを見ていたようで、興味があるように聞かれると、
軽く首を振って否定をする蘭子。
「ううん、違うよ。
あの子はちょっとした知り合い。可愛いでしょ?」
「えーナニナニ?何の話?」
二人の会話が分からないようで、話に入ってくるショートの娘。
「そっか、アンタはバイトがこれからだからあの時居なかったんだね。
昼にね、お人形さんみたいな金髪の女の子が来たの。」
「へー、見たかったな。その子が蘭子と知り合いなの?」
「うん、そうらしいよ。
てっきり私は妹かと思ったよ。」
「妹って、髪の色からして違うでしょ!」
思わず突っ込む蘭子。
「いやいや、染めているから地毛の色、分からないから。」
「地毛は黒だよ・・・ちょっと茶色に近いけど。
一体私を何処の国と人だと思ってたワケ?」
「そういえば、蘭子って出身は何処?」
「えっと、長野・・・え?」
スッと口から答えが出たが、途中で固まる蘭子。
その様子に二人は戸惑ってしまう。
「・・・どうしたの?」
「あ、ううん何でもないよ!」
笑ってごまかそうとする蘭子だったが、頭の中では混乱していた。
『何で長野って言ったんだろう。
長野に住んでいた実感が無いのに、反射的に答えていた。』
そう思いながら、一生懸命過去の事を思い出そうとする蘭子。
住んでいた場所の光景は頭にぼんやりとは浮かぶが、
霧に包まれたようなイメージでハッキリとそこが何処でどんな場所だったかを
思い出すことは出来なかった。
『マイッタな・・・。物忘れにも程があるよ。』
深く考えると、また不安に襲われそうだったので
楽天的に考える蘭子。気持ちを切り替えるために、
目の前の二人との会話を続けることにする。
しかし、ショートの娘が不安そうな顔をして見つめている。
「長野ってさ、今大変な事になっているけど
ご家族や家は平気なの?」
一瞬固まる三人。
「・・・家族。・・・もういない?」
口に手を当てて答える蘭子。
この答えもスッと頭をよぎった答えだった。
「ゴメン。」
まずい事を聞いてしまったという素振りで謝るショートの娘。
しかし蘭子は、謝罪の言葉を聞く余裕が無かった。
今自分が出した答えが、同様にぼやけて、はっきりとした記憶から出たものでは
無かったからである。
『・・・家族の事なんて考えたこと無かった。』
小さく震える蘭子。その様子を見ると、不安になる二人。
「蘭子?」
ポニーの娘が心配そうに、そっと蘭子の左腕に手を添えると
ハッとし我に返って、無理に笑顔を作る蘭子。
「ああ、ゴメンゴメン。大丈夫だよ。」
「本当に、ごめんね。」
「え、ああゴメン、本当に気にしないで。
今のは違う事考えていただけだから!」
言った事を後悔していることが良く分かる雰囲気でショートの娘が誤ると、
蘭子は慌ててしまう。
少し気まずい空気が流れ始める更衣室。
と、その時蘭子のロッカーから電話の着信音が聞こえてくる。
「あ、電話。」
ロッカーを開けて鞄の中から携帯を取り出すと
着信が甲子郎からと気が付く。
「もしもし?蘭子です。」
「ああ、俺だ。今大丈夫か?」
「え、はい。どうしたんですか?」
「櫻子はそこにいるか?」
「いえ、いませんけど・・・どうかしたんですか?」
「やっぱりそうか。いや、気にしないでくれ。」
「はあ。」
「じゃあ、もし・・・いや、何でもない。
今日はまた琴和の家にいくんだよな?」
「はい、そのつもりですけど。」
「そうか、分かった。」
「甲子郎さんは今日来ないのですか?」
「いや・・・実はその時、話がある。」
「何です?」
「その時話すさ。じゃあな。すまなかった。」
「あ、はい。」
簡単に事を済ますと電話を切る甲子郎。
『櫻子さん、どうかしたのかな?』
甲子郎からの電話は、蘭子にとって疑問が残るだけのものであった。
そして櫻子の事を気にし出すと、
ふと夢の事を思い出す。
『やっぱりあの時、何かあったのかもしれない!?』
そう思うと、さっきまで自分の事が不安でいっぱいになりそうであったが、
急に櫻子の事が心配になってくる。
思い立ったように琴和に電話を掛ける蘭子。
「あ、琴和君?私。
・・・そう、今終わった。
それより櫻子さん、そこに居る?
・・・やっぱり。
いや、急に甲子郎さんから櫻子さんが居るかって聞かれてさ、
何かあったのかなって思って。
それに今日、変な夢・・・っていうか、ちょっと変な事があってさ。
・・・うん、それは後で話すよ。
・・・・・・一応16時に待ち合わせはしているけど・・・。
うん、そうしよう。
あ、矢子ちゃんも居る?
うん、一緒に来て。」
琴和と話をして、待ち合わせ前だが櫻子を探しに行くことにする蘭子。
携帯をたたみ、着替えを急いで始める。
急に慌ただしく動き始めるたので、言葉を失って固まる二人。
「ゴメン、もう私帰るね。
テスト頑張ってね。」
「え・・・あ、うん。」
手を振って更衣室から出る蘭子。
それに答えるように、二人も手を小さく振って見送るのであった。




