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軍人さんと緊急クエスト

…………………


 ──軍人さんと緊急クエスト



 リーゼ君たちがファルケンハウゼン子爵の騎士と共に城に向かったとき、嫌な予感がしていた。騎士の様子は見るからに危険を予知させていたし、この病気の流行る季節に錬金術師であるエステルたちが呼ばれるというのも不穏だった。


 何事もなければいいがと思っていたが、そうはいかなかったようである。


 リーゼ君たちの帰りは遅く、明らかに問題が起きている兆候だった。


「遅いですねえ、リーゼさん、エステルさん」


「そうだな。何かトラブルがあったのかもしれない」


 そのトラブルがどのようなものなのか。


 ファルケンハウゼン子爵家の誰かが病に倒れたか。それはありえる。だが、それを治療するのにトールベルクのような大都市ではなく、このヴァルトハウゼン村のような小都市を選ぶ理由は分からない。


 いや。エステルは優れた錬金術師だ。彼女にしか治療できないような病が発生したのかもしれない。


 この世界の今流行している病気を見てみたが、それは風邪かあるいはインフルエンザのような症状であった。高熱と咳、肺へのダメージ。


 今のところエステルたちはそれを治療できている。この病は既存のポーションでどうにかなる問題のようだ。それにエステルたちは予防方法もちゃんと心得ており、マスクの着用を欠かしていない。


 そういう点ではこの世界の病に対する知識はそれなり以上のものだと分かる。


 だが、そのそれなり以上の知識でもどうにもならない病が発生していたら?


 結核や肺炎という重度の病気を患った場合、この世界の医療技術で対処できるのだろうか。リーゼ君たちの作っていた肺病治癒ポーションは有効なのだろうか。


 生憎にして、俺の医療知識はほぼ外傷のそれに限られている。兵士たちは戦地に赴く前に念入りにワクチン接種を行うし、ナノマシンによる免疫強化措置も受ける。だから、日本情報軍のオペレーターたちが病に倒れるということはほとんどない。


 故に俺には知識がない。結核の治療方法などいくつかの抗生物質を混合して使う、程度の知識しか持っていない。その抗生物質にしたところで、どのように製造しているのかは見当もつかない。


 リーゼ君とエステルはどのような病に直面しているのだろうか。病に陥ったのはファルケンハウゼン子爵家の誰だろうか。それは治療できるものなのだろうか。


 そこまで考えて俺は我に返る。


 何を俺はそこまで心配する必要があるのだ?


 俺は一時的な滞在場所としてここを選んだだけだ。俺はファルケンハウゼン子爵の家臣というわけでもないし、この世界の人間ですらない。俺は基本的に必要最小限の接触を除けば、この世界のことなどどうでもいいはずだ。


 それなのに俺は心配をした。


 それは俺のナノマシンによる感情のフィルタリングが上手くいっていないのか、それとも生き残る術としてこのような心配が必要であると判断されたためだろうか。


 分からない。俺にはまだ何も分からない。


 ナノマシンは半世紀は故障しないという保証付きのものだ。それが故障するということはあり得ない。だからと言って、生き残るためにこの世界の住民に気をかけるというのはどうなのだろうか。本当にそれは必要なのか?


 まあ、いいだろう。俺はリーゼ君、エステルを生き延びていくのに必要な存在であるという以上の存在として認識していることは既に分かっている。彼女たちと必要最小限の接触で済ませるには、もう時間が経ちすぎている。


 ファルケンハウゼン子爵家にしたところでフィーネ嬢には手間をかけさせられるが、好奇心旺盛な子供として快く受け入れている。


 俺はインターネット通販、ファーストフード、そして電子書籍が恋しいが、それ以上にこの村に愛着を持ち始めているようだ。


 要は軍人の現地人化だ。長期の潜入任務や民兵組織の訓練の過程でその土地の文化に触れすぎて感化されてしまう軍人というのは存在する。祖国の日本への忠誠よりも、その土地に暮らす人々の幸せを願うような輩だ。


 そういう輩は一度任務から解いて、落ち着くまでカウンセリングとナノマシンの再設定が行われる。これでほとんどの軍人は再び祖国日本の利益のために戦い続けるようになるのでである。


 正直なところ、俺は現地人化するような者たちをばかげた存在だと見做していた。何を好き好んで、遅れた世界で幸せを見出すんだろうかと。


 だが、今ならば分かる。


 現地人化した存在は俺のように現地人との間に深いコミュニケーションを通わせ、彼らと打ち解けていったのだろう。現地人の名前を覚え、顔を覚え、特徴的な性格を把握するうちに、見捨てられない存在になったのだ。


「リーゼ君たちは無事だろうか……」


 俺も既に現地人化している。リーゼ君やエステルのことが気がかりだ。


 玄関の扉が開かれたのはそんなことを俺が思っていたときだった。


「おかえり、リーゼ君、エステル」


「たたいまです、ヒビキさん」


 リーゼ君たちの表情も険しい。やはり何かあったようだ。


「ヒビキ。ファルケンハウゼン子爵のお嬢様が白熱病を患った。これから4日以内に治癒ポーションをつくらなければならない。そのためにはミノタウロスの角と肝臓が必要になってくる。任せられるかい?」


「俺は大丈夫だが、レーズィ君たちの意見を聞かなければ」


 パーティーのことは全員が揃って決める。これは前々から決めていたことだ。全会一致でないと、クエストは受注しないことにしている。


「レーズィ君。大丈夫だろか」


「お任せあれ! このレーズィが一肌脱ぎますよう!」


 レーズィ君の意気込みは本物だ。


「では、冒険者ギルドに向かうとしよう。そこでユーリ君とミーナ君に話す」


 俺はそう告げて、レーズィ君と共に冒険者ギルドに向かう。


「ヒビキさん! 十分に気を付けてください! 冬の山の中は危険ですからね!」


「理解している。そのことはユーリ君とミーナ君にちゃんと伝える」


 リーゼ君は心配そうにこちらを見ている。


 確かに冬の山は危険だ。だが、俺も冬季戦闘訓練は受けている。冬の山の中で生き延び、生還する術は身に着けている。


 問題はミノタウロスを倒すと言うことだろう。


 越冬に失敗した魔獣は、同じように越冬に失敗したヒグマのように狂暴になると聞いている。ただでさえ危険な魔獣がより危険になるのだから、注意を怠らないようにしなければならない。


 俺がそんなことを考えながら冒険者ギルドの扉を開くと、ユーリ君とミーナ君が背後を振り返った。


「ヒビキの兄ちゃん! 今、すげえ報酬の依頼が貼りだされたぜ! これは俺たちが受けるしかないよな!」


「そうだな。だが、危険は大きいぞ。そのことはちゃんと理解しているだろうか?」


「もちろん! どんなに危ないクエストでもヒビキの兄ちゃんと一緒なら、乗り越えられるというものだぜ! 派手にかましてやろう!」


 早速依頼は貼りだされていた。求む、ミノタウロスの角と肝臓。クエスト報酬100万マルク。確かに凄い金額のクエスト依頼だ。


「では、これを受けよう。他に受けようとするものもいないようだしな」


 冒険者ギルドの中は嘘のように静かだ。


 彼らはクエストの少ない冬のヴァルトハウゼン村を離れて、都市部で依頼を受けている。ヴァルトハウゼン村に残った冒険者たちは俺たちを含めても片手で数えられるだろう。それだけこの季節は依頼がないのだ。


 そこに不意に現れた高額依頼。


 だが、クエストの目的はミノタウロスの角と肝臓の採取。並みの冒険者では、この手のクエストを受けるわけにはいかない。


 すると必然的に俺たちが引き受けることになる。


「クリスタ。この依頼を受けたい」


「このクエストですね。危険なクエストであることは把握していますか?」


「ああ。冬の山も、ミノタウロスも危険だ。だが、これには人命がかかっている」


 クリスタが尋ねるのに俺はそう告げて返した。


「では、クエスト受注手続きに入ります。ひとつ、言っておきたいのですが」


「なんだろうか?」


 クリスタが真面目な表情でそう告げるのに、俺は首を傾げた。


「死なないでください。冒険者ギルドはあなたのような優秀な冒険者を失うことを望んでいません。生還して、またクエストを受注していってください」


「理解した。そのように努力する」


 ここまで率直にクリスタが頼み込んだのはこれが初めてだ。


 恐らく冬の山というのはそれなり以上の脅威なのだろう。


 だが、俺はいかなければ。フィーネ嬢の命がかかっている。


 無論フィーネ嬢の命のために仲間たちを危険に晒すつもりはない。俺はナノマシンをフル稼働させて、自分たちを待ち受ける脅威に備える。そして、現代技術の恩恵を以てして、ミノタウロスを討伐して連れてこよう。


 俺たちならばやれる。そのはずだ。


…………………

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