居住棟にて
季節はもう初夏に入るのに、今年はいつまでも涼しかった。朝方にかけては寒いと思う程だ。エアコン無しで快適に過ごせるので有り難いと思う方がいい。何年かに一回は襲い来る猛暑で大変なことになった。特に寒い国から来た留学生には、日本の夏は衝撃的な体験となっただろう。
ひんやりした朝方の空気を感じながら、主人公は自室の寝床に腰掛けていた。自室の中では、基本的に飲料を除いて飲食不推奨かつ、教材や学習用具も基本的に持ち込み禁止だ。自習などは、学習スペースや共有スペースにて済ませる必要性がある。目的は、自室の中を足の踏み場もない程の雑然とした空間にする事を防止するためだった。
自室の中では、静寂の中でしばし内省的な時間を持つことの重要性をよく説かれる。自室は寝る以外はそのような用途で使われるように設定されていた。このような、内省的な時間の重要性をここではハッキリと生活の中で重要視される。
このような傾向はあまり「世間一般」では見られないかも知れない。こういった内的な部分のケアも深くされるのが「とある教育ユートピア」の特徴だ。人間関係にも注意が払われており、5年以上の歳月を過ごすが為に、どうしても通常だと人間関係が煮詰まってしまうので、先鋭化しないためにも、その辺りにも大変気遣いがされている。
なので見ようによっては、大変濃密かつハードな毎日かも知れないが、人間関係にあまり苦痛を感じることはないので、快適だと感じる人は多いだろうが。主人公もここに居つきたくなったのは、多分にそこに理由があるかも知れない。
1日のうちの何回か、静寂な時間を過ごす習慣がある為に、思考も深まり、自らを振り返る事もできるので、控えめかつ熟考した行動が取りやすくなった。
こういった習慣は、仮に卒業後に何らかの行動を起こした場合においても、とても有用な事かも知れない。状況に流されずに正確かつ適切な判断ができるのだから。
何よりも、電子機器は学習で使用しても、「世間一般」とは違った、ゆったりとした静寂のある時間が良かった。
ここに来るまでは、本当にぼーっとした暮らしを送っていたのだなと。仕事はしていたものの、何というか頭の中は結構漠然としており、都会の洪水のような雑然さの波に流されていた気がするのだ。
随分と思考が明晰化した上に、深く物事を考えるようになった。人との思考の関連線も想像できるようになり、人間関係もだいぶ良好になっているような気がする。
ここの朝は割りかし早い。来たばかりの頃には、早起きに閉口していた。いつも遅く起きて、夕方から焼き鳥屋のシフトに入っていたからだ。
ここに来た準備期間の間は、早寝早起き。対人関係の改善などを徹底的に訓練された。割と職場でも、人の輪から離れてぽつんとしてる事が多かったので、対人関係の改善は青天の霹靂のような体験であった。
そのような経緯から、人の輪の中心とまではいかないが、多少は泳げるようになった(かも知れない)
毎日ではないが、試験や特別な日にはドレスコードが指定される時もある。その日は正装になってちょっとした異世界感がある。
自室を含む共有スペース他の設備がある居住棟の中では、冬場は常夏のハワイのような暖かな空間で、そこではいつだってTシャツに緩めのレーヨンのハーフパンツなどの極めてラフな格好をしていた。
自室を含む居住棟では、居室のみならず、食堂や教室や図書館などのパブリックな空間以外のありとあらゆる設備が揃い、居住棟の中ですべてが集約されて完結していた。
この「とある教育ユートピア」では、教室や食堂、図書館などのパブリックなスペースと、居住空間などのプライベートなる領域に属する空間は、極めて峻別されており、生活の中でのオン・オフの切り替えがし易いようになっていた。
「世間一般」と比べると集約型なのが良かった。
入口は概ねひとつだけしかなく(外に向かう出口は別)、手首に巻いたスマートウォッチをタッチするだけでゲートが開いた。セキュリティも万全なのである。居住棟ではあまり人目を気にすることなく過ごせるような配慮がされていた。
この「とある教育ユートピア」では、ありとあらゆる事が全てほぼワンタッチでできるように設計されており、いらない仕事に振り回されるという事がない。
細部に渡って、ここでは人が人間関係まで含めて、快適に感じられるように配慮されていた。教員もスタッフもやるべき事に集中できるようになっている。
学生達のみならず、教員やスタッフ達も「世間一般」の喧騒を離れてとても濃密な事に取り組める環境は、東国の山奥の中にある稀有なお宝かも知れない。「世間一般」は何もかもが忙しく、雑事に煩わされずに済む事はありえない。
そこを最小限にしてるからこそ、燃え尽きずに、目的を見失う事なくできるのであろうか?
さて、主人公はそろそろ静けさの中に満たされた自室を出て、朝一番の準備をし始めてるのだった。夜型だったので早起きはなかなか慣れない。意識して起きる必要があった。気を抜くといつまでも寝てしまうが、実家にいた頃よりも睡眠の質が改善していた。
この「とある教育ユートピア」の凄みは、何と言ってもまず第一に「睡眠の質が良くなること」、次に「とある教育ユートピア」の中には、そのまま昼寝をすると最高であろうと思われるような「眠くなる静寂な空間」が割りかし多かった。そこにいれば、自然と脳が休まりそうなのである。朝早くてもそこで疲れが取れてるのかも知れないと思った。
主人公は「とある教育ユートピア」に来る前は、繁華街にほど近い焼き鳥屋に勤めていた。夜のピークタイムとあらば、仕事帰りのサラリーマンでごった返して、焼いても焼いても追っつかない位だ。時々、昼下がりから串打ちに駆り出される事があるが、基本忙しくなる夕方からホールに入っていた。
夕方からのシフトに入ってたのは、昼過ぎまでゆっくり寝れるからだ。人が働く時間にゆっくりできるのは、何だか得した気になれる。そして、洪水のような客捌きで忙しいとあっという間に時間が過ぎるのも良い。
人情味のある焼き鳥屋の大将の元、昨今の生き馬の目を抜くご時世にあっては、割とぼっーとした毎日を過ごしていたのだった。そこに勤める70代のパートのおばちゃんなどを含めて、西国の都会の繁華街にエアポケットのように存在している「昭和」だった。
「昭和」と言えば、旧ソ連圏の「東側陣営」から来た留学生達の雰囲気の中には、「昭和」の時代の残像を感じる事があった。
さて、そろそろ支度して出ないといけない。主人公はそそくさと自室を出ていった。主人公が自室を出ると同時に照明が落ち、戸は閉まった。各種消し忘れがないのはエコだとしか言いようがない。お昼ご飯を挟んだ授業終了まで居住棟には戻ることはなかった。(口頭試験などの過度なストレスに晒されてる何かある時のみ開かれていた。)
特に何か特別な理由が申請されない限り(忘れ物など)は、時間外には居住棟のゲートは開くことがない。
朝昼晩の食事をする食堂は、居住棟の外にあり、基本パブリックスペースに属する。それ以外の飲み物や軽食やおやつなどは、共有スペースの棚に置かれており、そこで基本済ます。
この「とある教育ユートピア」は、授業料を含めて生活費も全部「無料」なのである(すべて狸の持ち出し)。その代わり、全ての設備は「共有財産」で、ここの中にいる限りは「私有財産」を持たずに生活できる。(ここに来る時に持ち込んだ私物はロッカーに厳重に保管され、夏休みなどの「世間一般」に戻る際に返却される。)
人を選ぶかも知れないが、非正規雇用や生活保護などで消費社会の片隅に埋没するより有意義だと感じられる人も多いだろう。非正規雇用にしろ、生活保護にしろ貯蓄する程収入があるとは思えない。
金を使うよりも何かを「する」事が好きな人間には、「世間一般」ではちょっと小金がないと出来なかったり、人数がいる事も挑戦しやすかった。
そして人と協力する事で大きな力になるという事を体感できる空間でもあった。この人と協力する体験は、なかなか忘れられるものではない。かけがえのないものがここにはある。
打ち捨てられた山奥の神社の御祭神の狸の理想郷には、「世間一般」から消えつつあるお宝の輝きが住人たちを満たしてるのであった。




