10戒その5「謀殺してはならない」
私はいつも通り、はっとするような面白い講義が売りの旧約聖書学の教授の授業を受けていた。
「あのね10戒のね、その5の「殺してはならない」ってやつなんだけど、これは凄く間違いでね、ある学者に言わせれば「謀殺してはならない」という話なんたよ。それは、中東社会ってさ、凄く暗殺が多い所でさ、イスラーム世界の指導者のカリフもよくそのターゲットになるんだけど、そもそも旧約聖書ではダビデは正統な王とされてるんだけど、その前にサウルって王様いたでしょ?彼がダビデに比べると正統でないのは、王位を簒奪(謀殺によって)したと言われてるからなわけよ。」
そんな話をふんふんと私は聞いていた。この話を聞いて、私は初期のイスラームのスンニ派とシーア派の話を思い出していた。預言者ムハンマドに近い血統とされるアリーは後のスンニ派の指導者となる者に暗殺されたとかなんとか。そこと地続き感があるとは。
それとオーバーラップするかのように教授はこう言った。
「あんま民族差別みたいで嫌なんだけどさ、この「謀殺」ってセム語族の風習みたいでさ、あんまヨーロッパとかでは好まれないよね。」
そう言うと、ガラッと椅子を引いて小柄な若い女の子が答えた。黒髪の巻き毛の子だ。
「それさ、私たちもそうだからさ。」
「アーニャ、君もそれわかるんだ。いやね、差別する気はなかったよ。」
「気にしてないから、そもそも私たちの国では政治は命をかけてやるもんさ」
「いやぁ、私みたいに長く西側の国にいると物騒な事ように感じるけどさ、中東行くとそうだからね。別にアラブ人の国だけじゃなくてさ、西洋文化にどっぷり浸かったイスラエルのユダヤ人も、西側の流血を伴わない民主政治というのを、何だか人を小馬鹿にしたショーか何かだと思ってる節があるね。あの人達は、やっぱ政治というものに別のリアリズムを感じてるとしか思えないのさ。彼らは肌感覚で民主主義を信用してるのか怪しいものだねぇ」
「教授、話の途中ごめんね。」
アーニャはそう言った。
「いや、いいさ。じゃ話を続けるね。」
教授の話の途中に発言した子はアーニャ。ロシア連邦出身のカザフ人で、小柄で黒髪の巻き毛、顔はパッと見た感じだと日本人と間違われる事が多々ある。
カザフ人だけでなく、ウズベク人などの旧ソ連の構成国出身の「〜スタン」が付く国には、日本人と間違われるような顔の人達が住んでいる。でもよく見ると若干、イランなどの中央アジアの国の人のような浅黒さがあるので、それでわかる感じだろうか。
アーニャはカザフ人のムスリマ(女性のイスラーム教徒)だ。旧ソ連圏のムスリマの中には、旧ソ連時代の非宗教的な政策のせいでスカーフをかぶらない人もいるが、近年のサラフィー主義(イスラーム原理主義)のせいでかぶってる人もいる。アーニャはかぶらない子の方だ。
アーニャというのはロシア風の名前である。本名が発音しづらいので、ロシア語のコミュニティが強いこの「とあるワールド」ではロシア語の愛称を名乗ってる。
アーニャというのは「アンナ」の愛称である。ロシアをキリスト教の国にしたウラジーミル大公は、東ローマ帝国から嫁いで来た「アンナ」という皇女と結婚した。
とある奇跡が起こり、キリスト教へと回心するきっかけが起こり、キエフ・ルーシはキリスト教国となった。西暦988年頃の事らしい(ロシアの教会暦はユリウス暦なのに注意。クリスマスは1月7日だ。)
なので「アンナ」の愛称のアーニャというのは、ルーシ民族(ロシア人だけでなくて、同じ東方正教を信じるウクライナやベラルーシの人達も)の信仰を伝えた「預言者」と見なされてるわけだ。ウラジーミル大公が、東ローマ帝国から「アンナ」を嫁に貰わなければ、キエフ・ルーシはキリスト教国にならなかったのだから。
アーニャはカザフ族でムスリマなのだけど、キリスト教徒でもあった。イスラーム圏では、ムスリムがキリスト教の洗礼を受けるという事はあまり珍しい事ではない。
オスマン帝国時代の旧ユーゴスラビアは金曜日にはモスクに行き、日曜日には教会に行くような人がいた。このような曖昧な宗教政策を、イスラーム神秘主義を奉じるオスマン帝国はわざと取っていた。
中央アジアでは、東方正教の司祭や修道士はムスリムの社会の中で一定の敬意を払われていた。単にイスラーム法の中で、キリスト教徒は「啓典の民」として市民権を認められてる以上の何かだ。キリスト教徒に何か「良いもの」を見てるとしか思えない。
そんなわけで、アーニャはロシアのナショナリズムを刺激する名前でありながら、ロシア系ではなかった。
アーニャは、私の隣の部屋の子だ。何故か気さくに付き合える子で、骨がある子だと思ってる。アーニャは20歳代で、私はもう中年なのである。親子ほど年齢が離れてるせいか、アーニャに出会ってからは、いつまでも若者のような感じだったのが、いきなり歳を取った気分になった。やっぱり、若い子に接しないと歳を取ったと実感するのは難しい。
アーニャの部屋には生女神マリア(聖母マリア)の金箔が貼ってあったイコンが部屋の角に飾ってあった。病気の時にイコンに触れると治るらしい。東方正教徒のイコンの信仰は凄いものだ。
カトリックと違ってロシアやギリシャのキリスト教の東方正教には立像がなくて、平面のイコンのみだ。それは過去に、イコンは旧約聖書が禁じる偶像崇拝に当たるかどうかと議論されたからだ。そこで、イコン賛成派が勝利したので、イコンは認められたが立像は認められなかったという経緯。
イコンの病気治しご利益はかなり「ガチ」で、これは体感しないとわからないものがある。
そんなこんなで、ロシアの「東方世界」が飛び込んできたのがアーニャだった。
東方正教徒の留学生は、ロシア連邦のみならず、ルーマニア、ブルガリア、モルドヴァ、ジョージア(グルジア)などから来た子達もいるし、その子達の宗教に配慮して敷地内に、東方正教(日本正教会)の教会まで建てた始末だ。
何となくルーマニアの民族調の木造教会のような内装で、ロシアの教会にあるような、多段イコノスタシス(イコンを嵌め込んだ壁)がない。
日本人司祭夫婦(東方正教ではカトリックと違って、高位聖職者でない一般の司祭は結婚する事ができる。)がそこの管理人をやっている。
彼女らが教会に行くときは、カラフルなスカーフを被り、日本ではあまり見ない色彩感覚の一張羅の服を着て行く。そして聖堂内部には、西側の教会と違って椅子がないのでずっーと儀式の間は「立ったまま」なのである。蝋燭の光に照らされたイコンはあまりに幻想的なのである。伴奏の楽器はなく、朗読するような単一旋律の聖歌は、東方の匂いを感じる。
イスラーム教徒の子達には、宗教的相談ができるための女性のイスラーム学者の相談窓口と礼拝室(モスクでの集団礼拝は主に男性中心なので、女性は表に出ない空間で祈る)などを備えてる。
他にも様々な宗教のバックグラウンドを持つ子達の宗教的支援体制を整えている。
復活祭の時にクリーチと呼ばれるケーキを貰ったりして、なかなか日本では体感できない世界を体感してる。
注釈 着想の元は「スパイファミリー」のアーニャではありません。




