8.マリア、視察旅行から戻って、それから
視察旅行は日程通り終わり、
マリアは、カルロスとバーバラと共に帰路に就いた。
帰りに「せっかくだし、もう1度タナトスに寄りますか」と尋ねられたが、体調不良を理由に断った。
心の整理ができておらず、どうすれば良いか分からなかったからだ。
バーバラは、マリアが落ち込んでいる理由が、タナトスをあまり観光できなかったからだと思っているようで、「また機会を作りましょう」と慰めてくれた。
カルロスは、思うところがあったようだが、「何かあるなら相談に乗る」と言うにとどめてくれた。
(私は良い友人を持ったわ)
2人に精神的に支えられながら、何とか笑顔で王都に戻ると、やけにご機嫌の兄に出迎えられた。
「いやいや、いい物を見させてもらったよ」
どうやら、彼的に、父が出し抜かれる様が相当面白かったようだ。
怒れる父については、何をどうやったか分からないが、何とかしてくれたらしく、呼び出されるようなことはなかった。
そして、父を何とかする過程で、ダニエル殿下も何とかしてくれたらしく、彼と学園の廊下をすれ違った時に
「お前の品のない研究など必要なかったな」
と嫌味を言われた。
どうやら兄が人材を手配したらしく、非常に満足しているらしい。
(お兄様って、何だかんだいって優秀よね)
見返りに何を要求されるのか考えると恐ろしいが、とても助かった。
その後、バーバラとカルロスと共に、視察旅行のレポートをまとめながら、マリアは思案に暮れた。
「どうして、私は、シャーロットに声を掛けられなかったのだろうか」
散々考えた末に出た答えは、
「罪悪感」、「喪失感」、「嫉妬」の3つだった。
(私はきっと、シャーロットの幸せを奪う気がしてしまったんだわ)
死を選ぶほど追い込まれた彼女が見せる、幸せそうな笑顔を見て、その笑顔を奪うことに、罪悪感を覚えてしまったのだ。
そのくせ、宿屋の3人と親しくする彼女を見て強く感じたのは、場所を奪われたという「喪失感」と、強い「嫉妬」。
(……矛盾しているわ)
恐らく、矛盾していたから、心の中がゴチャゴチャになって、声を掛けられなくなってしまったのだろう。
(でも、もう心の整理もできたし、次は大丈夫)
バーバラによると、来年の夏前に、新しい瓶詰工場がオープンする予定で、その式典に呼んでもらえるらしいので、その時にタナトスに行けばいい。
今後の方針が決まり、穏やかな気持ちで研究レポートの作成に没頭し始める。
ちなみに、生徒会の活動は、2年生に引継ぎ始めている。
毎年この時期になると、2年生に活動を引き継ぎ、年末パーティを経て、3年生は引退となるらしい。
来年の生徒会には、義妹のイリーナが入るようで、たまに生徒会室に現れるようになった。
引継ぎのため話すようになり、説明のために行動を共にすることも増えた。
イリーナは、どうやら涙腺が非常に弱いらしく、出来ないとすぐに泣くという面倒なところがあるものの、
前のように意地が悪いことを言ってくる訳でもないので、なるべく親切に対応している。
――そして、タナトスから戻ってきて、1カ月後。
冬の気配が感じられる休日の早朝。
厚着をしたマリアが、屋敷の敷地内にある林の空き地で、丸太に座ってベーコンポテトエッグを作っていた。
斜向かいに座ってお茶を淹れているのは、同じく厚着をしたカルロス。
彼のたっての希望で、ベーコンポテトエッグを作ることになったのだ。
調理が進み、ベーコンが焼ける香りが周囲を漂う。
そして、パンが香ばしく焼き上がると、
彼らは朝靄の中、「いただきます」と手を合わせて、食べ始めた。
「やはり美味いな、卵の半熟具合が丁度良い」
「カルロスの持ってきてくれたパンも、すごく美味しいわ」
美味しく朝食を食べ終わると、マリアは、彼が持ってきてくれたイチジクのケーキを食べ始めた。
「はあ、カルロスのところの料理長は天才だわ」
「伝えておこう」
フォークでケーキを切って口に運びながら、マリアはそっと彼を見た。
(こうやって、2人でゆっくり話すのは久し振りね)
タナトスへの旅行以来だろうか。
最近は、マリアもカルロスも忙しく、生徒会とレポートの件で集まって、業務的な話をするくらいだった。
2人でゆっくり話をしたいなと思っていたので、ベーコンポテトエッグをリクエストされて丁度良かった。
(この人と一緒にいると、やっぱり落ち着くわ。空気感とか、そういう感じかしら)
そんなことを考えながら、ケーキをもぐもぐ食べるマリアを
カルロスが優しく見つめる。
その後、2人は取り留めなく会話をし始めた。
話題は、研究レポートのことと、2週間後に迫った卒業パーティのこと。
「途中で出した研究レポートが、かなりの高評価を受けているらしいぞ」
「そうなの?」
「ああ、最優秀候補に挙がっているらしい」
「次の生徒会になる2年生は、とても優秀ね。あっという間にパーティの手配を済ませてしまったわ」
「彼らがいれば問題ない」
ちなみに、パーティは、楽団の演奏を聴きながら食事と会話を楽しめる、自由な立食形式で、途中からダンスも楽しめるようになっているらしい。
カルロスが、ふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、ダンスはどうするんだ?」
ダンス? と首をかしげながら、シャーロットの記憶を探るマリア。
そして、
『正式なパーティの際、伯爵家以上の子女は、1曲目に必ず踊らなければならない』
という謎の貴族ルールを発見し、げんなりした顔をした。
(……これって、王子に恥をかかされる可能性が高いってことよね)
最近の王子は、マリアを徹底的に無視して、イリーナとイチャついている。
恐らく1曲目で婚約者のマリアではなくイリーナと踊るつもりだろう。
そして、記憶によると、1曲目で踊る相手がいないのは、高位貴族女性の最大の恥らしい。
(……私自身は気にしないけど、シャーロットの顔に泥を塗ることになるわね……)
暗い表情の彼女を見て、カルロスが気遣かわしげに目を細めた。
「渋い顔をしているな」
「ええ、気分はあまり良くないわね。殿下はイリーナと踊る気でしょうし」
カルロスが、「そうか」と、一瞬怒りの表情を浮かべる。
そして、考えるように黙り込んだ後、ゆっくりと口を開いた。
「君さえ良ければ、俺と踊ってくれないか?」
「……え?」
マリアは目をぱちくりさせた。
「それは、1番最初の曲で、ということ?」
「そうだな。君と殿下が1番に踊るのであれば、俺は2番目になるが、そうでなければ、結果として1番になるだろうな」
マリアは、思わず噴き出した。
それは確実に1番になる。
「でも、いいの? カルロスは色々言われるのではなくて?」
彼は、笑って首を横に振った。
「たかが学園でのパーティの話だから、問題にもならないと思うぞ。しかも、元を正せば、問題なのは殿下だからな。それに……」
それに、俺は君が悲しむ姿を見たくない、と小さな声でつぶやく。
「ごめんなさい、何て言ったの?」
マリアが聞き返すと、彼は「なんでもない」と立ち上がって、マリアの前にひざまずいた。
「パーティで、どうか私と踊っていただけませんか」
初めてされるダンスの申し込みに、戸惑うマリア。
そして、どこか熱のこもった、その優しい青い瞳を見つめながら、思った。
私も、この人と踊りたい。
彼女は、カルロスの大きな手の上にそっと自分の手を置くと、頬を赤く染めながら小さな声で言った。
「……よろしくお願いします」
カルロスは「ああ」と破顔すると、嬉しそうにマリアの手をそっと握った。




