7.マリア、分からなくなる
ベンチに座ったマリアが、そんなことを考えながら、ボーっと海をながめていた、そのとき。
「おねえちゃん!」
後ろから、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「待ちな、コレット! そんなに走ったら転んじまうよ!」
続いて聞こえてくる、懐かしい声。
目を見開いて振り向くと、女の子が元気よく走っていく姿が見えた。
それを、汗を拭きながら追いかける、中年の女性。
(コレット! サラ!)
そして、その走っていく先を見て、マリアは思わず立ち上がった。
そこにいたのは、自分の元の姿・宿屋の娘マリアだった。
紺色がかった髪をお洒落に編み込んでおり、見たことのない白いワンピースを着ている。
女性は紫色の目を細めると、駆け寄ってきたコレットの頭を優しくなでた。
「コレットちゃん、あまり走ると危ないわよ」
「あたし、ころばないよ!」
むくれるコレットの頭を、女性が優しく撫でた。
「ええ、転ばないわ。でも、他の人にぶつかったら危ないでしょう?」
「……はあい」
女性の微笑む顔を見て、マリアは目を見開いた。
(……何て幸せそうなの)
それは、記憶の中で1度も見たことのないほど、幸せと喜びに満ちた表情だった。
呆然とするマリアの目の前で、
サラが息を切ってコレットと女性に合流した。
「まったく、どんどん足が速くなるねえ。それで、買えたかい?」
「はい、買えました」
女性が腕に提げていた袋を開けて見せると、サラとコレットがうっとりした顔になった。
「おいしそう!」
「ああ、美味しそうだねえ」
そこに、髭を生やした大柄の中年男性がやってきた。
(ディック!)とマリアが目を見張る。
彼は3人の横に立つと、持っていた袋の中を嬉しそうに見せた。
「こっちも買えたぞ」
「まあ、美味しそうですね」
「コレット、おなかすいた!」
幸せそうな4人を見て、マリアは雷に打たれたように立ちすくんだ。
脳天をガツンと殴られたような衝撃を覚え、思うように頭が働かない。
そんな彼女の目の前で、嬉しそうに微笑み合う4人。
「海岸で食べようか」と話し合うと、マリアのいるベンチとは逆方向に歩き始めた。
「……っ」
思わず、待ってという風に、手を伸ばすマリア。
声を掛けようと口を開くが、目の前の幸せそうな4人の姿と、目の奥にチラつく女性の幸せそうな笑顔に、声が出せない。
そして、4人の姿が角に消えるのを見て、彼女はその場にしゃがみ込んだ。
心臓が激しく動悸し、息が上手く吸えない。
彼女は片手で顔を覆った。
間違いなくチャンスだった。
さりげなく話しかければ良かった。
それなのに、どうして、自分は動けないどころか、声も出せなかったのか。
「……シャーロット!」
そのとき、遠くから大きな声が聞こえてきた。
顔を上げると、血相を変えたカルロスが駆け寄ってきた。
「どうした、大丈夫か」
「あ、うん、大丈夫。……買えたの?」
「いや、見ていたら急に座り込んだから、慌てて走ってきた」
彼はマリアをそっとベンチに座らせると、自分に寄りかからせた。
「気分が悪いのか?」
「……大丈夫、少しびっくりしてしまって」
「そういえば、何かを見て驚いた顔をしていたな」
「……知り合いがいたの。……でも、声を掛けられなかった」
「そうなのか」
マリアは目を潤ませて、コクリとうなずいた。
「……すごく幸せそうで、声を掛けるのが正しいか、分からなくなっちゃった」
カルロスが黙ってマリアを抱き寄せて、頭をポンポンとなでる。
彼女はカルロスの肩元に顔をうずめた。
自分でも、自分の心が分からない。
その後、何とか自分を立て直して街を周るものの、
宿ふくろう亭にはどうしても行けず。
「きっと疲れたんだ。残念だが早く戻ろう」
「本当にごめんなさい」
「気にするな、帰ってゆっくり休もう」
という会話を交わすと、心配そうに言うカルロスに連れられて、元の街へと戻っていった。




