4.マリア、雨に打たれる
マリアが公爵邸から戻ると、館内はすでに暗く、静まり返っていた。
門の横にある小屋から、門番が慌てて出て来た。
「てっきりお泊りになるかと思って、申し訳ありません」
まあ、もう12時近いものねと思いながら、マリアは微笑んだ。
「ええ、私のワガママで帰ってきたので気になさらないで下さい」
「すぐに家の者を起こします」
「大丈夫よ、もう遅いし、先に馬を何とかしてあげて下さる? 私は自分で行くから、ランタンだけ貸して下さるかしら」
「はい、分かりました」
マリアは1人門の中に入った。
前庭を通り、邸宅の玄関の前に立つ。
そして、呼び鈴を鳴らそうとして、「はあ」とため息をついて胸に手を当てた。
心が今までにないほど騒がしい。
(……少し歩いてから帰ろうかな)
彼女は踵を返すと、ランタンを片手に庭を歩き始めた。
落ち葉を踏みしめながら、フラフラと林の中を歩き回る。
そして、いつもの空き地に到着すると、ため息をついて丸太の上に座った。
(疲れた……)
空を見上げると、月も星もなく、どこかどんよりとしており、今にも雨が降ってきそうだ。
(早く家に入らないと)
そう思いながらも、彼女の足は動かない。
そのうちポツポツと雨が降ってくるが、体が鉛のように重く、動けない。
ボーっと考えるのは、先ほどの父の言葉と、黄泉の川で会ったときのシャーロットのこと。
そして、雨脚が強くなり始め、マリアが「もうそろそろ戻らないと」と思いながらも、ボンヤリとランタンに降る雨をながめていた、そのとき。
「シャーロット!」
突然背後から驚いた男性の声が聞こえてきた。
バサッと何かが被せられるのを感じて見上げると、そこにはこれ以上ないほど心配そうな顔をしたカルロスが立っていた。
「どうしたんだ。……濡れているじゃないか」
カルロスが、慌ててハンカチを差し出してくれる。
「あれ、カルロス? どうしてここに?」
ハンカチを受け取りながら首をかしげると、彼は軽く目をそらした。
「……眠れなくて、散歩をしていた」
庭を歩いていたところ、ぼんやりとした光に照らされたシャーロットが見え、
只事ではないと、急いで塀を飛び越えて来たらしい。
ちなみに、カルロスは風魔法の結界が使えるため、雨は気にしないでいいらしい。
「魔法って便利ね」
「そうだな」
その後、カルロスは小枝を集めてくると、魔法で火を灯した。
周囲が柔らかい光に包まれる。
マリアは、カルロスの大きな上着をギュッと握った。
何だかとても安心する。
彼は「ちょっと待っていてくれ」と、闇に消えると、
どこからか大き目の袋を持ってきた。
中に入っていたのは、薬缶にお茶、ケーキやマドレーヌのスイーツだ。
「どうしたの、これ」
「屋敷に戻って、見繕ってきた。前に、元気が出ないときは甘い物が一番だって言っていただろう?」
やっぱりこの人、大泥棒になれるわと、内心おかしく思いながら、お湯が沸くのをながめる。
そして、2人は丸太の上に並んで座ると、熱々のお茶を飲み始めた。
「このマドレーヌは料理長の会心の出来だそうだ」
「ありがとう。いただくわ」
枯れ葉の上に雨が落ちる音を聞きながら、美味しいマドレーヌを食べるマリア。
彼のお陰で、気持ちが少し落ち着く。
しばらくして、カルロスが気遣うように尋ねた。
「無理には話さなくていいが、何かあったのか?」
何でも聞くぞ、という真摯な姿勢に、マリアは微笑んだ。
「ありがとう。……なんて言うか、ちょっとやりすぎちゃったなと思っていて」
「そうなのか」
マリアはこくりとうなずいた。
「私、親しい友人がいるの。年が少し下の、優しくて責任感の強い女の子」
カルロスが黙って話を聞く。
「今日、その子の父親に会ったのだけど、その父親に『娘の幸せに興味はない』って言い切られて、すごくショックで腹が立って。それで、つい色々言ってしまって……」
「……後悔している、というところか?」
「ええ……、さすがに言い過ぎたと思う」
冷静になった今、マリアは後悔し始めていた。
シャーロットのことを本当に考えれば、あそこは無難に済ますべきところだった。
カルロスが、ふっと笑った。
「君は情に厚くて真っすぐだからな。そういうのが許せなかったのだろうな」
「……そうかもしれない」
カルロスが微笑んだ。
「でも、その友人はそこまで親身に怒ってもらって嬉しかったんじゃないか。俺が同じ立場なら嬉しいと思う」
「……そうかしら」
「ああ、そう思う」
そう言いながら、カルロスはお皿にケーキを分けてくれた。
「これも料理長の自慢のレシピだそうだ」
「ありがとう」
マリアは感謝の目でカルロスを見た。
荒れていた心が、徐々に落ち着いていく。
ケーキを美味しく食べながら、マリアは頭を働かせ始めた。
あの父親の表情と言葉から察するに、きっと何かしてくるに違いない。
正直、あんな父親に従うなんて御免だし、
せっかくここまでやってきた卒業研究を、王子様にめちゃくちゃにされるのは嫌だ。
(どうすればいいかしら……)
考え込むマリアを、静かな目で見守るカルロス。
そして、熱々だったお茶が少し冷たくなったころ。
俯いていたマリアが、決心したように顔を上げて、彼を見た。
「相談があるのだけど、聞いてくれる?」
カルロスが力強くうなずいた。
「ああ、もちろんだ」
*
翌日の昼前。
仕事用の眼鏡をかけた兄クリストファーが、憂鬱な表情で馬車に乗っていた。
「まったく、あの子は一体何をやらかしたんだろうねえ」
手元にあるのは、「当主命令書」。
この絶対とも言える命令書には、シャーロットが王都から出ることを禁止すると書かれていた。
(確か、明日には王都を出る予定だったはず)
クリストファーは思案した。
このタイミングでの命令書を出すということは、何か条件を付けようという腹だろう。
そして、恐らくその条件は、シャーロットが嫌がることだ。
「父上もえげつないねえ」
嫌な役目を押し付けられたなと思いながら、シャーロットの住む屋敷に到着する。
案内されて家の中に入ると、シャーロットの専属メイドのララが出迎えた。
「お久し振りです、クリストファー様」
「久し振りだね、元気だったかい?」
「はい、お陰様で。……あの、お嬢様に御用ですか?」
「ああ、もしかして、今学校かい?」
「いえ、今朝出発されました」
「……は?」
クリストファーは目をぱちくりさせた。
「出発ってどこに?」
「視察旅行です」
クリストファーは、思わずといった風に吹きだした。
まさかもう出発したとは!
ララによると、
諸事情により前倒しになったと言って、今朝早く出たらしい。
「ははっ、あの父上が先手を取られたって訳か。これは傑作だ」
お腹を抱えて笑うクリストファーを、ララが気味悪そうに見つめる。
そして、彼はひとしきり笑うと、涙をぬぐいながら、引いた顔のララに笑顔で言った。
「いないなら仕方ない。すまない、邪魔したね」
そして、
「さあて、とりあえず街で昼食でも食べて、ゆっくり戻ることにしますか」
とつぶやきながら、上機嫌で馬車へと戻っていった。




