【Another Side】シャーロット、気が付いてしまう
シャーロットが、宿屋の娘マリアの体の中に入って、5カ月目。
小鳥の声が聞こえ始める頃、
シャーロットは宿屋の2階にある部屋で目を覚ました。
ベッドから起き上がって、服を着替えると、慣れた手つきで身支度を整える。
そして、部屋を出て階段を下りると、まっすぐ1階の厨房に向かった。
厨房は既に明かりがついており、ディックが下ごしらえをしている。
シャーロットは元気に声をかけた。
「おはようございます」
「おう、おはようさん」
笑顔で挨拶を交わすと、すぐに洗い場に置いてある籠に入ったニンジンの皮を剥き始める。
「今日は何ですか?」
「ニンジンサラダとオニオンスープだ。昨日市場でニンジンが安かったんだ」
市場の様子などの話をしながら、それぞれの作業を進めていく。
そして、サラダとスープが出来上がると、サラが現れた。
「今日もありがとね。コレットのこと頼めるかい?」
「はい」
いつも通り、2階に寝ているコレットを起こして身支度を手伝い、
厨房のテーブルで朝食を済ませる。
その後、シャーロットは2階のプライベートスペースにコレットを連れていくと、彼女を膝に乗せて絵本を見ながら、文字の読み方を教え始めた。
コレットが得意げに、文字を指差した。
「あたし、これよめる! くま、でしょ?」
「ええ、そうよ。じゃあ、これは?」
「ええっと……、りす?」
「正解よ」
「わーい!」
絵本を読み終わると、海岸で拾ってきた小さな貝殻を使って簡単な算数を教える。
そして、頃合いを見て下に降りていくと、最後の客が、サラに見送られながら出ていったところだった。
「お客様、全員帰られたのですね」
「ああ、じゃあ頼めるかい」
「はい、もちろんです」
シャーロットは、受付の奥の金庫を開いて、お金と帳簿を出すと、
お金を数えながら、宿泊人数などを帳簿に書き込み始めた。
その様子を、サラが感心したように覗き込んだ。
「この帳簿は便利だねえ、書き込みさえすれば、簡単に計算できちまう」
ちなみに、シャーロットが導入したのは、学園の生徒会で会計を行う際に使っていた形式だ。
今までメモのような帳簿を付けていた宿屋にとって、超画期的なものだったらしい。
「ありがとうね、あんたはすごいねえ」
「いえ、もともとあったものを持ってきただけです」
サラに褒められ、シャーロットが照れながら返事をする。
帳簿を付け終わって計算を済ませると、掃除を手伝い始めた。
「コレットもてつだう!」
「ありがとう」
コレットに物をどかすなど手伝ってもらいながら、1階を箒ではき、モップをかける。
そして、昼食に、ディックの作ってくれた美味しいフレンチトーストを頂き、片付けが終わると、彼女はサラに声を掛けた。
「わたくし、調べ物をしてきますわ」
「ああ、分かった、頼んだよ」
シャーロットは、洗い場でよく手を洗うと、てぬぐいで丁寧に水気を切った。
2階の自室に上がると、クローゼットの奥から、丁寧に布に包まれた分厚い本を取り出した。
本のタイトルは『精神と魔法における考察』だ。
馬車で3時間ほどのところにある、このあたりの中心都市ラムズの大図書館で借りてきた専門書だ。
借りるためには、宿の稼ぎ半年分を保証金として支払わねばならなかったのだが、
ディックが「2人のためだ」と思い切って出してくれた。
絶対に失くせないし汚せないので、普段はクローゼットの奥に入れておいて、読むときは必ず手を洗って触っている。
シャーロットはベッドの上に座ると、本を丁寧に開いて読み始めた。
(恐らくだけど、精神と魔法の関係が、戻る手掛かりになるはずだわ)
そう思い始めたのは、約2カ月前。
うっかり包丁で指を切ってしまったときのこと。
シャーロットは、自分がマリアの体に入っていることを忘れ、慌てて治癒魔法を使った。
使った瞬間「魔法を使えないのを忘れていたわ」と思ったのだが……
「……え?」
指先がほんの少しだけ温かくなったのだ。
(マリアさんは、魔法が使えないのでは……?)
色々試した結果、魔法が使えるという訳ではないようだが、魔力回路が閉じている状態だということは分かった。
(開いてみたらどうかしら)
そして、中庭のベンチに腰掛けて、小さい頃に行った魔力回路を開く訓練を行ったところ、
「……まさか!」
何と、彼女は黄泉の国に立っていた。
その後、寝ているのを見つけたコレットに呼ばれて元に戻ったものの、この体験はシャーロットに、とある可能性を気が付かせた。
(もしかして、魔力回路を開く訓練をすれば、黄泉の川に行くことができて、そこでマリアさんと会うことができれば、元に戻れるのでは?)
そこでシャーロットは、ディックに頼んで隣町の図書館に出向き、
関係すると思われる専門書を借りて来た、という次第だ。
黄泉の川に行くのは危険が伴う。
マリアには、戻れる確証が得られてから手紙を書くつもりだ。
――そして、読み込むこと数時間。
ふと顔を上げると、外は既に夕方の気配が漂い始めていた。
窓の外に見える、ややオレンジ色にキラキラと輝く海を見て
「綺麗だわ」とつぶやくシャーロット。
タナトスに来て初めて海というものを見たが、
こんなに雄大で美しいものだとは思わなかった。
街には明かりが灯り始め、どこからか夕食を作っているらしい良い香りが漂ってくる。
家に帰る途中の子どもたちのにぎやかな声を聞きながら、シャーロットが独り言ちた。
「……いいところだわ」
そして思った。
わたくしは、元に戻ったら一体どうするのかしら。と。
以前のシャーロットは、家族や婚約者に愛されようと必死だった。
気に入られようと頑張り、それが出来ずに絶望した。
愛されない自分のような人間など生きている意味がないと。
でも、ここに来て。
「ありがとう」と感謝される喜びを知った。
親から子ども《コレット》に対する、惜しみない無償の愛情というものを知った。
そして、それと同類の愛情が3人から自分に注がれ、精一杯それを返そうと必死になっているうちに、彼女は、疑問を持つようになった。
あの人たちは、自分を愛す気など、なかったのではないだろうか。
彼らに愛を求めたこと自体、間違っていたのではないだろうか。
「……っ」
シャーロットは苦しくなって胸を押さえた。
考えるだけで、心臓が早鐘のように打ち始める。
しかし、彼女は顔を上げると、考えを振り払うように首を横に振った。
(考えても仕方ないことだわ、わたくしは公爵家に生まれてしまったのだから)
公爵家の人間である以上、幾ら疑問を持っても、
父や義母、ダニエル殿下に従って生きる以外ないのだ。
(でも……)
彼女は、窓を見上げると、紺色の空に浮かぶ白い月をながめた。
1度疑問を持ってしまったら、もう元には戻れない。
元に戻った自分は、一体何を考えて、どんな生活をするのだろうか。
――と、そのとき。
パタパタと軽い足音がして、ノックの音と共にドアが開いて
コレットが小さなニコニコ顔をのぞかせた。
「おねえちゃん、ごはんだって!」
「ありがとう、すぐに行くわね」
「きょうは、しちゅーだよ!」
「まあ、楽しみね」
パタパタと楽しげに遠ざかっていく足音を聞きながら、
マリアは本を丁寧に布に包んだ。
クローゼットの奥に仕舞うと、ググーっと伸びをする。
そして、再びオレンジ色の海をながめたあと、ゆっくりと部屋を出ていった。




