第7話 街への一歩と、二人の未来のために
ナギとミナが隠れ家で暮らし始めてから、何日かの穏やかな時間が過ぎていた。
その間、俺は日本とこちらの世界を何度か往復していた。日本へ渡った際には弁護士事務所へと足を運び、この世界で調達したポーションなどの薬品類を日本へ持ち込み、事業化を目指すことに法的な問題がないかを専門家に相談していた。
異世界のポーションを日本で正式に取り扱うとなれば、未知の成分分析や製造環境の証明、さらには薬機法や輸入規制など、クリアすべきハードルは山のようにあるらしい。一朝一夕で結論が出る話ではないが、知識もないまま違法行為に走るよりは遥かに賢明だ。この世界で手に入る貴重な成果を日本で安全に活用できる道筋を探るため、慎重に準備を進めていくつもりだった。
一方で、隠れ家での三人暮らしにも嬉しい変化が現れ始めていた。
ナギとミナの二人は、出会った当初の硬い警戒心が嘘のように表情が柔らかくなっている。朝夕の食事の準備を嬉しそうに手伝ってくれたり、気になることを素直に尋ねてくれたりと、自発的に行動する場面が格段に増えてきた。まだどこか遠慮がちな部分は残っているものの、この温かな空間に少しずつ馴染んでくれているのが肌で感じられた。
そして今日、俺は意を決して、二人を連れて初めてガレリアの街へ出かけることにした。
「二人とも、今日は街まで一緒にお出かけしようと思うんだけど、準備はバッチリかな?」
「はい、アレンさん!」
「わたしも大丈夫です!」
二人は日本で買ってきた新品の綺麗な服に身を包み、身支度を整えて隠れ家の玄関までトコトコとやってきた。
「忘れ物はない?」
「はい、大丈夫です!」
「それじゃあ出発しようか。街の中に入ったら、絶対に俺から離れないようにね。人がすごく多いから、迷子になったら大変だからね。」
「はい!」
「わかりました!」
元気いっぱいの二人の返事を確認し、俺たちは隠れ家をあとにした。
◇
大都市ガレリアの巨大な門前では、通行人の身分確認と入街料の徴収が整然と行われていた。
俺は胸元から冒険者ギルドの金属プレートを提示する。すでにギルド登録を済ませている俺自身は入街料が免除されるため、ナギとミナの二人分の料金だけを速やかに手渡した。
無事に手続きを終えて重厚な城門をくぐり抜けると、二人は目をくりっくりに丸くさせて街並みを見回した。
「わあ……人がいっぱいいますね……!」
「そうだね。今日は一段と賑わっているみたいだね。」
活気に満ちた通りには威勢の良い商人の呼び声が響き渡り、重厚な荷車が人々の間を優然と進んでいく。店先には新鮮な野菜や見たこともない果物、焼き立ての香ばしいパンがズラリと並び、露店では不思議な魔導具や煌びやかな装飾品が売られていた。
ナギは行き交う多様な人々へ興味深そうに視線を送り、ミナは露店に並ぶ可愛らしい小物類に目を奪われている。
「気になるものや食べたいものがあったら、遠慮せずに教えてね。今日は二人の買い物もたくさんするつもりだから。」
「えっ……本当にいいんですか……!?」
「もちろん! 生活に必要なものも揃えたいし、二人が欲しいと思ったものも一緒に見てみようね。」
「ありがとうございます、アレンさん……!」
そう答えたナギの表情が、パッと明るく華やいだ。
二人にとって、こんな賑やかな街を歩くのがどれほど久しぶりのことなのかは分からない。俺のすぐ隣にぴったりと寄り添いながらも、通り過ぎる人々の視線をどこか気にしている様子もうかがえた。無理に急がせることなく、二人の小さな歩幅に合わせてゆっくりと進んでいく。
まず俺たちが向かったのは、大通り沿いに佇む冒険者ギルドだった。
先日登録を済ませたばかりだが、今日はクエストを受注しに来たわけではない。保護したナギとミナの今後について、信頼できる受付嬢のクラリスさんに色々と相談しておきたいことがあったのだ。
◇
「こんにちは、アレンさん! ……あら、今日はお可愛らしいお連れ様もご一緒なんですね……!?」
カウンターの受付にいたクラリスさんが、俺と二人の少女の姿に気づいて驚いたように目を瞬かせた。
「こんにちは、クラリスさん。実はちょっと大事なご相談がありまして、二人を連れてきたんですよ。」
「そうだったのですね……! 本当にかわいらしいお二人ですね。初めまして!」
「初めまして……! ナギです。」
「ミナです……! よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますね! 私は受付のクラリスと申します。何か困ったことがあれば、いつでも遠慮なく私を頼ってくださいね。」
クラリスさんは驚きを優しく収めると、二人と目線を合わせて柔らかく微笑みかけた。
ナギとミナも少し緊張しながらも、丁寧にお辞儀をして挨拶を返している。こうして少しずつでも、二人が俺以外の親切な人間と接する機会を持てるのは非常に良いことだ。
「ご相談に入る前に、クラリスさんへこれをどうぞ。東方のお菓子で、シュークリームとエクレアというんですよ。」
俺はアイテムボックスから取り出した特製の菓子箱をカウンターに置いた。
「まあ、ありがとうございます! いつもいつもお気遣いいただいてしまって、すみません。」
「いえいえ、ほんの感謝の気持ちですよ。お仕事の合間にぜひ召し上がってくださいね。」
「嬉しいです! あとで楽しみに頂戴いたしますね!」
クラリスさんは箱を宝物のように大切そうに抱えると、受付の奥へと丁寧に保管した。
「それで、今日はどのようなご相談でしょうか……?」
クラリスさんがキリッと表情を引き締め、改めて俺たちに向き直る。俺は後ろでじっと控えているナギとミナの首元へ、そっと視線を誘導した。
「まずは二人の首に嵌められている、この鉄の輪についてなんです。安全に解除できるものなのか、一度腕の確かな専門家に確認してもらいたくてね。」
クラリスさんの視線が、ナギとミナの首元に巻きついた異様な金属へと向けられた。
「……これは、『隷属の首輪』……ですね……。」
「ええ。俺が素人考えで無理に外そうとして、二人の身体に何か危険があってはいけませんからね。」
「そのご判断は極めて適切だと思います! 首輪に刻印された魔術回路の構造によっては、外部から無理な衝撃を加えることで呪いが暴走する危険性がありますから。素人目では判断できませんし、魔導具や特殊拘束具に精通した信頼できる職人に見てもらうのが一番確実です。」
「やはり専門家に鑑別してもらう必要がありますよね。」
「はい! 私のルートで、腕が確かで口の堅い信頼できる専門家を探してみますね。首輪の内部構造を正確に調べてもらい、安全に解除できる方法があるか確認してもらいましょう。」
「助かります。よろしくお願いします。」
首輪の呪縛を解くことは、二人にとってもトラウマを払拭する大きな意味を持つはずだ。だが、焦るあまり安全性を損なうわけにはいかない。絶対に失敗のない確実な手順を踏むことが何より先決だった。
「それからもう一つ、二人の法的な保護権についてもご相談したいんです。実は数日前に魔の森で衰弱して倒れていたところを保護しまして……。現在は俺の隠れ家で匿っている状態なんですが、このままで法的に問題はないでしょうか?」
「そうですね……。」
クラリスさんは指先を顎に当て、言葉を慎重に選びながら説明を始めてくれた。
「現在のように一時的に保護されている状態と、公的に所有権・保護権が登録されている状態とでは、法的効力がまったく異なります。今後、悪質な第三者や奴隷商人から二人の身柄について不当な権利を主張された場合に備えるのであれば、正規の奴隷商人を介して正式な魔力契約を結び、登録を完了させておいた方が確実です。」
「正式な保護契約を結んでおいた方が、二人を守る防壁になるということですね。」
「はい。ただ、その手続きを行うにあたっては、絶対に信用できるクリーンな商人を選ぶことが不可欠です。悪質な相手を選ぶと、足元を見られて余計なトラブルに巻き込まれる危険もありますから。」
「そのあたりも含めて、クラリスさんの見極めで信頼できる裏のない奴隷商を紹介していただけないでしょうか?」
「承知いたしました! こちらで責任を持って探してみますね。二人のこれからの人生に関わる重大な件ですから、慎重に厳選させていただきます。」
「ありがとうございます。頼りにしています。」
首輪の安全な解除方法は専門職人に調べてもらう。正式な保護者としての権利登録は、信頼できる奴隷商を介して進める。どちらも二人の安全のために必要な手続きだ。
俺は一度振り返り、ナギとミナの表情を確かめた。
二人は静かに俺たちの話に耳を傾けている。自分たちの首輪や立場に関わる重大な会話だから不安がないわけもないだろう。それでも、二人は全幅の信頼を寄せるような目で俺を見つめてくれていた。
そして、俺にはもう一つ、絶対に有耶無耶にできない重要な確認事項があった。
「それからクラリスさん、二人がここに辿り着くまでに遭った『事件』についても、詳しく調べていただきたいんです。」
「二人に関係する事件……ですか?」
「ええ。二人は理不尽な『奴隷狩り』の被害に遭っているんです。ご両親も一緒だったのですが、抵抗した際に命を落とされたと聞いています……。二人自身も捕らえられ、奴隷商人へ売破られるために馬車で移送されていたんです。」
クラリスさんの顔から柔らかな笑顔が消え、厳しい表情へと変わった。
「……ご両親まで、ですか……。」
「ええ……。二人が命からがら逃げ出せたのは、移送の途中で森の強力な魔物に馬車が襲われ、奴隷狩りの連中が全滅しかけたからです。その大混乱に乗じて、幼い二人だけで逃げてきたんですよ。」
語っている間、ナギとミナは一言も発しなかった。
俺が二人に視線を向けると、ナギは静かにうつむき、ミナは首元の冷たい鉄輪にそっと指先を重ねていた。辛い過去の記憶を何度もほじくり返したいわけではない。だが、二人を脅かす根本的な悪意を排除するためには、ギルド側にも背景を正確に把握してもらう必要があったのだ。
「二人を襲った奴隷狩りの連中が一体何者だったのか、俺は組織の根っこまで突き止めたいんです。他にも同じような被害に遭った人々がいるのか、暗躍する奴隷狩り組織や、その背後にいる黒幕の存在まで……。これを冒険者ギルドへの正式な『調査依頼』として受けていただけませんか?」
クラリスさんは即答せず、真剣な面持ちで暫し思案に暮れた。
単なる噂話の確認ではなく、公的な機関であるギルドへ正式な調査を依頼するとなれば、相応の重みと手続きが発生するからだ。
「分かりました! 正式な調査依頼として受理できるよう、速やかに手続きを進めさせていただきますね。ただ、奴隷狩りのような地下組織が関わる事件は、ギルドの表立った情報網だけでは全体像を把握しきれないケースも多々あります。ギルド内の資料を確認するだけでなく、必要に応じて外部の特別な協力者を頼ることになるかもしれません。」
「外部の協力者、ですか?」
「はい。ギルドの正規ルートでは追いきれない裏の情報を専門に扱う者たちが存在します。こうした地下事件に精通した信頼できる『情報屋』に協力を要請することも、有効な選択肢の一つとなります。」
「なるほど、裏の情報屋ですか……。」
「ただし、誰にでも頼めるわけではありません。情報の真偽やリスクの管理が極めて重要になりますから、相手の信用性を厳重に見極めた上で手配いたします。」
「ええ、もちろんそれで構いません。無理に急ぐ必要はありませんから、確実で安全な調査方法を講じてください。」
「承知いたしました! まずは依頼内容を詳細に書類へ整理し、ギルド内で正式に調査を開始できるように手配いたしますね。必要な費用や調査範囲の詳細につきましては、情報がまとまり次第、改めてアレンさんへご相談させてください。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
クラリスさんは手元の公式な依頼記録用紙を取り出し、羽ペンで丁寧に記載を進めていった。
俺は二人を襲った奴隷狩りの一味について、把握している情報を可能な限り詳細に伝えた。捕縛された場所の状況、移送されていたルート、そして魔物に襲われた経緯。現時点で判明している手がかりは限られているが、プロの調査員ならそこから何かを導き出せるかもしれない。
クラリスさんは一つひとつの証言を頷きながら、慎重に記録へ残していった。
「これで、ひとまず調査依頼の正式な受付手続きは完了いたしました。何か新しい進展や情報が入りましたら、すぐにお知らせいたしますね!」
「よろしくお願いします。俺の方でも、二人が何か思い出したり新しい手がかりが得られたりしたらすぐに報告しますね。」
「はい! 首輪の専門職人と信頼できる奴隷商の選定についても、引き続き最優先で手配を進めておきますね。」
「ありがとうございます、助かります。」
これで、二人を縛り付ける過去と未来の問題をクリアするための第一歩が踏み出せた。
首輪の安全な解除、保護者としての公的登録、そして両親の仇でもある奴隷狩り組織の調査。どれも一朝一夕で解決する問題ではないが、混迷していた糸口は着実に解解き解ほぐされつつあった。
「アレンさん……。」
手続きが一段落したところで、ナギが衣服の裾をちょこんと引っ張りながら、小さな声で呼びかけてきた。
「どうしたの、ナギ?」
「私達のために、こんなにたくさんお願いしてしまって……本当にありがとうございます。」
「気にしなくていいんだよ。二人がこれから何にも脅かされず、安心して暮らせるようにするために絶対に不必要なことだからね。」
「でも……。」
「ナギとミナが申し訳なく思う必要なんてどこにもないんだよ。俺が二人を守りたくて、自分の意志でやっていることなんだからね。」
ミナも大きな瞳を潤ませて俺を見上げていた。
「それにね、これから先、三人でずっと楽しく暮らしていくためにも、今のうちに嫌な問題は全部綺麗に片付けておいた方がいいだろう? 二人が何の心配もなく笑っていられるようにね。」
「はい……!」
二人の強張っていた表情が、すっと柔らかな笑顔へと変わった。
クラリスさんも、その微笑ましい光景を優しく見守っていた。
「お二人の健やかな未来のために、私達ギルドも全力でお手伝いさせていただきますからね! 何か不安なことがあったら、いつでも私を頼ってくださいね。」
「ありがとうございます、クラリスさん……!」
ナギとミナは揃って、丁寧にペコリとお辞儀をした。
◇
ギルドの重厚な扉を押して外へ出ると、大通りの活気ある喧騒が再び俺たちを包み込んだ。
俺は二人の手を優しく引きながら歩き、今日クラリスさんと交わした相談内容を頭の中で整理していた。
首輪の解除、正規の保護契約、そして奴隷狩り組織の追跡調査。どれも二人にとって極めて重要な課題だ。特に奴隷狩りに関しては、二人の両親の命が奪われている。単なる過去の悲劇として不問に付すつもりは毛頭なかった。
「アレンさん、次はどこへ向かうんですか……?」
ミナが俺の手をキュッと握り返しながら尋ねてきた。
「これから武器や防具を扱っているお店を見に行こうと思っているんだよ。俺自身の装備をもう少し整えておきたくてね。」
「アレンさんの武器ですか……?」
「うん。いざという時に、二人を完璧に守れるようにしっかり準備しておきたいからね。」
「アレンさんも戦うんですね……!」
「必要な時にはね。でも、無茶な危険には絶対に近寄らない主義だから安心しておくれ。」
「それが一番良いと思います……!」
ナギが真剣な顔で頷き、ミナもコックンと深く同意した。
「お店を見終わったら、二人の新しいお洋服や可愛い小物も見て回ろうね。欲しいものがあったら遠慮なく教えておくれよ。」
「私達のものまで、いいんですか……!?」
「当たり前じゃないか。せっかく街に来たんだから、二人のお気に入りもたくさん揃えようね。」
「ありがとうございます……!」
二人の声からは、街に着いたばかりの頃のような緊張や恐怖のの色は完全に消え去っていた。
中央市場を通り抜け、武具店や工房が立ち並ぶ鍛冶屋街へと足を向ける。周囲の景観は次第に変わり、カンカンと金属を叩く鎚音や職人たちの威勢の良い声援が響いてきた。
剣や槍がズラリと並ぶ武具店、頑丈な革鎧が吊るされた防具屋、精密な金属パーツを扱う工房。店ごとに扱う製品の特色が異なっているようだった。
俺はいくつかの店先を眺めながら、自分にとって扱いやすく実用的な装備を探していた。
その時、通りの少し奥まった場所で、他店とは明らかに異質な異彩を放つ建造物が目に飛び込んできた。
掲げられた重厚な看板には、『アルトマン魔導機関工房』と刻まれていた。
(魔導機関工房……?)
ただの剣や鎧を売る武具店とは明らかに毛色が違う。強烈に男の好奇心をくすぐられた俺は、二人へ優しく声をかけた。
「ちょっと面白そうなお店があるから、中を覗いてみようか。」
「はい!」
重厚な扉の向こう側から、精密な金属加工音と蒸気が吐き出されるような独特な駆動音が聞こえてくる。
一体どんな高度な魔導技術や兵器を扱っている工房なのだろうか。
俺たちは足を止め、看板をもう一度見上げてから、好奇心に胸を躍らせてその扉へと歩み寄った。




