第5話 ガレリアへの足取りと、ギルドの受付嬢
隠れ家を出る前に、俺は居間の壁際にある棚の奥、隠し収納の扉を開いた。
前世で愛用していた『リド=ダガー』を取り出したあの場所だ。中には古びた探索用の装備品のほか、ズッシリと重みを感じる革袋が保管されていた。
袋の口を解いて中を覗き込むと、鈍い銀色の光沢を放つ大銀貨が数枚入っている。
旧ヴァルフラム王国時代に流通していた最高額紙幣ならぬ最高額貨幣だ。歴史が大きく動いた今のガレリアでそのまま通用するかどうかは分からないが、一文無しのまま街へ下りるわけにはいかない。
俺は大銀貨を数枚選び取り、腰の小袋へ納めた。残りは再び隠し収納の奥へ戻しておく。
大都市へ入るには、入街料や身分改めが必要になるはずだ。貨幣価値や制度が変わっていたとしても、まずは現地で確かめるしかないだろう。
続いて、アイテムボックスの中身を最終確認する。
食料とミネラルウォーターの備蓄は十分だ。俺が不在の間、留守番をする姉妹がひもじい思いをしないよう、すぐに食べられるパンや缶詰類も分かりやすい場所へ出して置くことにした。
隠れ家の奥では、ナギとミナが木製の椅子に並んで座っていた。昨日と比べれば表情は柔らかくなってきたものの、見知らぬ男の隠れ家に残される不安からか、わずかに緊張の色を覗かせている。
「二人とも、ちょっといいかな。」
「はい、アレンさん。」
ナギが姿勢を正して返事をし、ミナも不安そうにこちらを見つめてきた。
「今日は俺一人で街へ行ってくるよ。今のガレリアがどういう状況になっているのか、まずは俺の目で確かめておきたいんだ。二人を連れていくのは、街の安全を確認してからにしたいと思っているよ。」
「私達は、ここで待っていればいいんですね。」
「ああ。食べ物とお水はしっかり置いていくから、心配しなくていいよ。万が一何かあっても、絶対に外へ出ないでここでじっとしていてね。」
「分かりました。」
ナギは素直に頷いたが、ミナは何かを迷うように小さく指先をこねくり回していた。
「あの……アレンさん、私達にできる手伝いはありませんか……?」
「できる手伝いかい?」
「ここを掃除しておきます。まだ、あちこちに埃が残っていますし。」
「私もお姉ちゃんのお手伝いします……!」
ミナも弾んだ声で妹らしく続いた。
二人はここで温かく助けられたばかりだからこそ、居候として何か自分たちにできる役目を果たしたいのかもしれない。その健気な気持ちが伝わってきて、胸が温かくなった。
「そうだな……。お掃除をしてくれたら本当に助かるよ。でも、絶対に無理はしないでね。疲れたらすぐに休んでいいんだからね。」
「はい!」
「分かりました……!」
ミナは嬉しそうに返事をし、ナギも誇らしげに少しだけ表情を和らげた。
「それと、これを二人にね。」
俺はアイテムボックスから小さな色鮮やかな包みを二つ取り出した。
「これは何ですか……?」
「キャラメルだよ。すごく甘くて美味しいお菓子だから、お掃除の合間にでも二人で食べてね。」
「た、食べてもいいんですか……!?」
「もちろん。二人のために用意したんだからね。」
ミナは両手で大切そうに包みを受け取り、宝石でも見るように興味深く眺めている。ナギも遠慮がちに受け取った。
「ありがとうございます、アレンさん。」
「大事に食べます……!」
「そんなに大事に飾っておかなくても大丈夫だよ。せっかくのお菓子なんだから、美味しく食べてくれたら俺も嬉しいからね。」
俺が優しく微笑んで言うと、ミナは包みを両手で胸元に抱え、にっこりと花が咲いたような笑顔を見せてくれた。
改めて食料と水の置き場所を説明し、必要なものがあれば遠慮なく使っていいと伝える。そして、安全のため隠れ家の外へは一歩も出ないことを念押しした。
「夕方までには必ず戻ってくるからね。」
「気をつけて行ってきてくださいね。」
「アレンさん、いってらっしゃい……!」
「ああ、行ってくるよ。」
二人の愛らしい見送りを受け、俺は隠れ家を後にした。
◇
森を抜け、岩山を下りながら、遠方に見える大都市ガレリアを目指す。
道中の景観は、前世の記憶にあるものとはまるで様変わりしていた。街道の舗装状態も、森の植生すらも時の流れを感じさせる。
一体、俺が命を落としてからどれほどの年月が経過してしまったのだろう。今の俺には見当もつかない。
やがて、街を頑強に囲む高大な城壁が近づいてきた。遠目から見上げた時よりも、その圧倒的なスケール感が肌で伝わってくる。巨大な城門の前には大勢の旅人や商人が列をなし、物資を山積みした馬車や装甲車両が何台も並んでいた。
まずは入街の手続きだ。
俺は大人しく列の最後尾に並び、順番を待つ。前の人々は門番に身分証を提示したり、通行料を支払ったりしていた。
やがて俺の番が巡ってくると、重装備の門番がギロリとこちらを見下ろしてきた。
「次。入街の目的は?」
「街の中で用事を済ませたいのですが、入街料はおいくらでしょうか。」
「一人なら銅貨三枚だ。身分証は持っているか?」
「いえ、持っていません。」
「そうか。それなら入街料を払えば通れる。長く滞在するつもりなら、冒険者ギルドなどで身分証を作っておくといい。何かと便利だからな。」
「ありがとうございます。」
俺は腰の小袋から、旧ヴァルフラム時代の大銀貨を一枚取り出して差し出した。
門番はそれを受け取ると、指先で表面の刻印や側面の手触りを丁寧に確かめた。しばらくまじまじと眺めていたが、急に目を見開いて表情を変えた。
「これは……かなり古い型の大銀貨だな。少し確認させてもらってもいいか?」
「ええ、構いませんよ。」
門番は近くにいた鑑定係と思われる同僚を呼び寄せ、二人で大銀貨の吟味を始めた。片方が重量を精密な秤で計測し、もう片方が拡大鏡で刻印の純度を調べている。
やがて門番がこちらに戻ってきた。
「待たせてすまない。これは旧ヴァルフラム王国時代に精錬された真正の大銀貨だな。銀の含有率が現代流通している大銀貨より遥かに高い。現在の大銀貨五枚分として換算できるぞ。」
「五枚分ですか……!?」
俺は思わず驚きの声を漏らした。
「ああ。もちろん、金属価値を正当に評価した上での換算だ。入街料の銅貨三枚を差し引いて、残りは現在の貨幣でお釣りを出そう。」
門番はそう丁寧に説明すると、現在流通している銀貨や銅貨を綺麗に数えて手渡してくれた。
「こちらがお釣りだ。確かめてくれ。」
「ありがとうございます。助かりました。」
「いや、こちらこそ珍しい逸品を見せてもらった。ただ、今後街で使うなら、商店などで一度に出しすぎない方がいいぞ。店によっては正しい価値を見抜けず、買い叩かれる可能性もあるからな。」
「なるほど……。親切に教えていただき感謝します。」
「それじゃあ、ガレリアへようこそ! 何か困ったことがあれば、街の者に遠慮なく尋ねるといい。良い滞在になるといいな。」
門番は気さくな笑顔を浮かべ、通行を促してくれた。
「ありがとうございます。」
俺は深く礼を述べ、重厚な城門をくぐり抜けた。
旧ヴァルフラムの大銀貨は、現代の貨幣よりも純度が高く、五倍もの価値で評価されるらしい。
思いがけず、当面の活動資金に大きな余裕ができたのは幸運だった。とはいえ、門番の言う通り、どこでも正当に評価してもらえるとは限らない。今後の買い物や換金の際には注意が必要だろう。
城門を抜けた先の街並みは、前世の記憶を遥かに凌駕する活気に満ち溢れていた。通りには多様な商店が立ち並び、様々な種族の人々が行き交っている。蒸気機関を搭載した車両や馬車の音が響き、威勢の良い呼び込みの声が飛び交っていた。
まずは目的である身分証の確保と情報収集のため、冒険者ギルドへと向かうことにした。
◇
冒険者ギルドの建物は、街の中心を貫く大通り沿いに堂々と佇んでいた。
重厚な扉を押して中へ入ると、吹き抜けの広大な空間が広がっていた。掲示板には無数の依頼書が貼り出され、武具を携えた冒険者たちがテーブルを囲んで酒を酌み交わしている。
受付カウンターへ向かうと、そこには上品で落ち着いた雰囲気を纏う女性スタッフが座っていた。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドへようこそ! 本日はどのようなご用件でしょうか?」
「冒険者としての新規登録をお願いしたいのですが。」
「新規登録ですね。では、こちらの用紙に必要事項をご記入ください。」
差し出された用紙を受け取り、手渡されたペンで記入を進める。現世の姓と前世の名前を組み合わせ、『アレン・シノノメ』として登録を行うことにした。
受付の女性は記入された用紙を丁寧に手元で確認し、手際よく手続きを進めてくれた。
「確認いたしました。それでは、ギルドの規約と登録についていくつかご説明させていただきますね。」
彼女は冒険者のランク制度、依頼の受注手順、報酬の受け取り方法などを分かりやすく順序立てて説明してくれた。
俺は一つひとつ頷きながら集中して耳を傾ける。現代のギルドのルールや社会構造を把握するには、格好の機会だった。
「ご不明な点がございましたら、いつでも受付でお気軽にお尋ねくださいね。」
「丁寧にありがとうございます。非常に助かりました。」
「私はクラリスと申します。今後ともよろしくお願いいたしますね、アレンさん。」
「こちらこそ、よろしくお願いします。クラリスさん。」
無事に登録手続きが完了し、金属製のギルドプレートを受け取ったところで、俺はアイテムボックスから小さな紙包みを取り出した。
「それと、よかったらこれをどうぞ。」
「え……? こちらは何でしょうか……?」
「チョコレートというお菓子です。東方の珍しい品なのですが、お口に合うかどうか。よろしければ召し上がってください。」
クラリスは手渡された包みを見つめ、パチクリと目を丸くさせた。
「私に、ですか……!?」
「はい。これから色々とお世話になると思いますので、お近づきの印として。」
「まあ、ありがとうございます! そんなお気遣いをいただかなくてもよろしいのに。」
「いえ、ほんの感謝の気持ちです。受け取っていただけたら嬉しいです。」
「それでは、ありがたく頂戴いたしますね! どんなお味なのか、あとで楽しみにいただきます!」
クラリスはパッと表情を華やがせ、実に魅力的で柔らかい笑顔を見せてくれた。
これで、ギルドの中に顔の利く強力な相談相手を一人確保できた。今後、この街で本格的に活動していく上でも非常に心強い成果だ。
◇
ギルドを後にした俺は、活気ある通りを歩きながら商店の品揃えをじっくりと観察して回った。
目的は単なる買い物ではない。今のガレリアで何が流通し、人々がどのような物を求めているのかという『市場調査』のためだ。
食料品店には豊かな穀物や乾物、保存食がズラリと並び、道具屋には丈夫な調理器具や精巧な工具が置かれている。薬屋の店頭には、様々な効能を持つ薬草や鮮やかなポーションの小瓶が整然と陳列されていた。
(なるほど……日本で手に入る高品質な日用品や便利グッズを持ち込めば、かなりの需要が見込めるな。)
逆に、こちらで採取できる魔法素材やポーションを日本へ持ち帰るビジネスも十分に現実的だ。
だが、勢いだけで無計画に手を出すわけにはいかない。
どのような品が最も高く売れるのか。どの程度の相場で取引されているのか。安全な輸送ルートや換金方法はどうするのか。調べるべき課題は山積みだ。
今はまだ、焦らずに可能性の種を撒いておく段階だろう。
俺は薬屋に立ち寄り、緊急時用の体調回復ポーションと魔力回復ポーションを数本購入した。その際、店主に品質の違いや相場についてさりげなく質問を投げかけ、貴重な情報を聞き出すことにも成功した。
店を出る頃には、空が綺麗な茜色に染まり始めていた。
街の調査をもっと進めたい気持ちもあったが、今日はここまでにしておくべきだろう。隠れ家では、ナギとミナが首を長くして待っているはずだ。
◇
森を通り抜け、夕闇が迫る隠れ家へ戻ると、室内からはパチパチと薪が爆ぜる音と拭き掃除の音が聞こえてきた。
「ただいま。」
「あっ、アレンさん……!」
ミナが雑巾の手を止めてバッと振り向いた。ナギも掃除用具を置いて、パッと表情を明るくしながら駆け寄ってくる。
「お帰りなさい。お疲れ様でした、アレンさん。」
「ただいま。二人とも、隠れ家を掃除してくれてありがとうね。途中で疲れたりしなかったかい?」
「大丈夫です! 思っていたより、ずっと綺麗になりましたよ。」
ナギがそう言って、二人で磨き上げた室内を誇らしげに見せてくれた。
無垢材の床からは埃が消え去り、壁際の棚も美しく整理整頓されている。俺が留守にしていた短い時間で、二人が一生懸命働いてくれた証だった。
「本当だ……! 見違えるほど綺麗になったね。二人とも本当にありがとう。」
「えへへ……。私、いっぱい頑張りました……!」
ミナが誇らしげに胸を張り、ニッコリと笑った。
「キャラメルもいただきました。すごく甘くて、とっても美味しかったです。」
「そうかい、それはよかった。まだたくさん残っているから、明日もまた食べていいからね。」
「本当ですか……!?」
「もちろん。二人のおやつだからね。」
ナギも嬉しそうに小さく微笑んだ。
俺は二人に、今日の街での出来事を話せる範囲で聞かせてやった。冒険者ギルドに無事登録できたことや、街の買い出しでポーションを手に入れたことなどを話すと、二人は目を輝かせて夢中で聞き入っていた。
「街は、どんなところでしたか……?」
「人がたくさんいて、すごく活気があったよ。珍しいお店もたくさん並んでいた。ただ、まだまだ調査したいことが山積みだけどね。」
「私達も、いつか街へ行けますか……?」
「もちろんだよ。そのためにも、まずは二人の首輪の問題を解決しないとね。安全に街へ出られるように、一つずつ準備を進めていこうね。」
「はい!」
ナギは真剣な瞳で力強く頷いた。ミナも姉の隣で、コックンと深く頷いている。
焦る必要はどこにもない。この幼い二人が心から安心して過ごせる環境を作ることが、今の俺にとって何よりも最優先のミッションなのだから。
今日一日で多くの収穫があった。旧ヴァルフラムの大銀貨が破格の価値を持つこと、ギルドに登録してクラリスという協力者を得たこと、そしてこの世界にはまだまだ開拓の余地があるということ。
日本とアルヴェリア。
二つの世界を繋ぐこの特別な力を、どう活かしていくか。
明確な答えはこれから見出していけばいい。一歩ずつ、確実に道は開きつつあった。
「さて、それじゃあ美味しい夕飯にしようか。」
「はい……!」
ミナの元気いっぱいな返事が、温かな隠れ家に心地よく響き渡った。
まずは目の前にある小さな幸せと、この場所での温かな暮らしを大切に育てていこう。




