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地球と二世界往復サバイバル 〜 前世の異世界へ帰還したら、魔素欠乏症が治った件 〜  作者: Fランク冒険者


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第4話 温かな朝食と、二人の事情

 隠れ家へ戻った俺は、まず二人が少しでも安心できるように居心地の良い休息スペースを整えた。


 ナギとミナは、部屋の隅の木壁に背を預けて並んで座っている。ミナは姉の肩にコテンと頭を預けて目を閉じていたが、眠っているわけではないらしい。俺が道具を動かしたり荷物を整理したりするたびに、二人のびくっとした視線がこちらへ向けられた。


(まあ、初対面の相手を簡単に信用できるわけもないか。)


 俺は寝床の準備を済ませると、二人から少し離れた場所に腰を下ろした。


「お腹は空いていないかい? よかったら、何か食べようと思うんだけど。」


「……何を作るの?」


 ナギが尋ねた。


「おかゆにしようと思っているんだ。普通の食事より食べやすいだろうし、今の二人にはちょうどいいと思う。」


「おかゆ?」


「米を水で柔らかく煮たものだよ。味は薄いけれど、胃にも優しいからね。」


 ナギは少し考えるように黙った。ミナは姉の服を握ったまま、俺の手元を見ている。


 俺はアイテムボックスから米と鍋、カセットコンロ、ガスボンベを取り出した。続いてミネラルウォーターと器、スプーンを二つ用意する。


 米を洗って鍋に入れ、水を加えて火にかける。あとは焦げつかないように時々かき混ぜながら、じっくり煮込めばいい。


 青い炎の上で鍋が温まり、やがて小さな泡が浮かび始めた。


 現代日本の道具は、本当に便利だ。薪を集める必要もないし、煙が室内にこもる心配もない。もっとも、ガスや水を使い続ける以上、物資の管理は欠かせない。便利だからといって、無駄遣いはできなかった。


 そんなことを考えながら鍋を見ていると、ふいに小さな声が聞こえた。


「……いい匂い。」


 振り返ると、ミナがこちらを見ていた。


「もう少しでできるよ。楽しみにしていてね。」


「……うん。」


 ミナは小さく頷いた。ナギは妹の肩に手を置き、何かを囁いている。ミナは少し迷った様子だったが、やがて姉に頷き返した。


 食べたい気持ちはあるのだろう。それでも、見知らぬ人間が用意したものを口にするのは不安なはずだ。


 俺は余計なことを言ず、米が十分に柔らかくなるまで待った。


 最後に少しだけ塩を加え、火を止める。器によそって、熱が落ち着くまでしばらく置いた。


「できたよ。熱いから、ゆっくり食べてね。」


 俺は二人の前に器を置いた。


 ナギはすぐには手を伸ばさなかった。ミナも、湯気の立つおかゆをじっと見つめている。


 俺は自分の分もよそい、少し離れたところに座った。


「俺も一緒に食べるから、心配しなくていいよ。」


 スプーンでひと口すくい、息を吹きかけてから口に運ぶ。


「うん。ちょうどいい。」


 それを見て、ようやくナギが器を手に取った。スプーンで少量すくい、慎重に口へ運ぶ。


 しばらくして、彼女は俺の方を見た。


「……何が入っているの?」


「米と水と、少しの塩だけだよ。」


「それだけ?」


「そう。ほかには何も入れていないよ。」


 俺は米の袋と塩の容器を見せた。ナギはそれらを確かめてから、もうひと口食べた。


 ミナも姉の様子を見て、そっとスプーンを動かし始めた。


 二人とも、最初はゆっくりだった。けれど、温かいものが胃に入って落ち着いたのか、少しずつ食べる手が進んでいく。


 ミナは器を空にすると、姉の顔を見上げた。


「……ナギ。もう少し食べたい。」


 ナギは一瞬驚いた顔をしたあと、俺に視線を向けた。


「おかわり、ある?」


「ああ、まだあるよ。遠慮しなくていいからね。」


 俺は鍋からおかゆを取り分けた。


「急がなくていいから、ゆっくり食べてね。」


「……ありがとう。」


 ミナの声は小さかったが、今度ははっきり聞こえた。


「どういたしまして。」


 おかわりを食べ終えたミナは、少しだけ表情が和らいでいた。ナギも、先ほどよりは落ち着いているように見える。


 食器を片づけようとしたとき、ふと思いついた。


「そうだ。食後に、ちょっと甘いものでも食べる?」


 二人が同時に顔を上げた。


「甘いもの?」


 ミナが聞き返す。


「ああ。チョコレートとキャラメルがあるんだ。少しだけだけど、食べてみないか?」


 俺はアイテムボックスから、小さなチョコレートと個包装のキャラメルをいくつか取り出した。包装を開けず、そのままテーブルに置く。


 ミナは見慣れない包みを不思議そうに眺めていた。


「……これは、食べ物?」


「そうだよ。こっちがチョコレートで、こっちがキャラメル。どちらも甘いんだ。」


「甘い……。」


 ミナは小さく呟いた。


 ナギはすぐには手を伸ばさず、包みと俺の顔を見比べている。


「毒は?」


 思わず苦笑しそうになったが、俺は真面目に答えた。


「入っていないよ。俺も食べるから、気になるなら見ていてくれていいよ。」


 そう言ってチョコレートの包みを開け、一かけら口に入れた。


 ミナは俺の様子を見てから、ナギを見上げた。


「……食べてもいい?」


「……少しだけなら。」


 ナギの許可を得て、ミナはチョコレートを一つ手に取った。包装をどう開けるのか分からず、しばらく指先でつまんでいたので、俺が開け方を見せる。


「ここを剥がせばいいんだ。」


「……こう?」


「そうそう。上手にできたね。」


 ミナは包みを開け、チョコレートを小さくかじった。


 その瞬間、目がわずかに見開かれた。


「……甘い。」


「だろ?」


 ミナはもうひと口かじり、口の中でゆっくり溶かしている。さっきまでの疲れた表情に、ほんの少しだけ明るさが戻った。


「おいしい……。」


「気に入ってくれたならよかった。まだあるけど、一度に食べすぎないようにね。」


 ミナは頷いたものの、残ったチョコレートを大事そうに見つめていた。


 ナギも、ようやくキャラメルを一つ手に取った。包装を開けて口に入れると、しばらく何も言わずに味わっている。


「……これも甘いね。」


「キャラメルっていうんだ。チョコレートとは、ちょっと違う味でしょう?」


「……うん。」


 ナギは短く答えた。それでも、先ほどより表情は柔らかかった。


 俺は残りをテーブルに置いた。


「残りは、あとで食べてもいいよ。無理に今食べなくてもいいからね。」


 ナギは一度、包みを見た。それから、ミナの分を一つだけ取り、妹の前に置いた。


「これは、あとでね。」


「……うん。」


 ミナは素直に頷いた。


 甘いものを食べたからといって、二人の事情が変わるわけではない。俺への警戒が消えたわけでもないだろう。


 それでも、ミナが小さく笑ったのを見て、俺まで少し嬉しかった。


 今は、それで十分だった。


 ◇


 食事を終えた二人は、木製の椅子に座ってしばらく休んでいた。


 この隠れ家の内部は、前世でアイテムボックスを駆使して持ち込んだ上質な木材やレンガを使い、時間をかけて普通の家のようにしっかりと作り込まれている。外から見れば無骨な岩窟だが、一歩足を踏み入れれば、木の温もりに満ちた快適な空間が広がっていた。


 ミナは眠気に負けたのか、姉の肩に頭を預けている。ナギも疲れているはずなのに、妹の様子を気にかけ、時折こちらへ視線を向けていた。


「眠かったら、遠慮せずに寝ていいからな。何かあれば、すぐに声をかけてくれればいい。」


「……でも。」


「どうした?」


 ナギは少し迷ってから、口を開いた。


「私たち、何も返せない。」


 俺は彼女の顔を見た。


「食べ物も、寝る場所も……ただじゃないでしょう?」


 その言葉には、簡単には聞き流せない響きがあった。


「そうだな。用意するには手間もかかる。」


 俺が答えると、ナギの表情が強張った。少し言い方を間違えたかもしれない。


「でも、今すぐ何かを返してほしいわけじゃないよ。二人とも、まずはゆっくり休んで体力を戻してほしいんだ。」


「……本当に、それだけ?」


「ああ。今はそれだけでいい。何かを返すことなんて考えなくていいからね。」


 ナギは俺の顔をじっと見つめていたが、やがて視線を落とした。


「……分かった。」


 納得しきったわけではないのだろう。それでも、今は休むことを選んでくれたらしい。


「寝る場所を用意するから、少し待っていて。」


 俺は壁際からキャンプ用のマットと寝袋を二つ取り出した。綺麗に整えられた木の床にマットを敷き、その上に寝袋を並べる。


「これを使ってくれ。床に直接寝るよりは楽だと思うよ。」


 ナギは寝袋を見つめ、そっと布地に触れた。


「……これ、どうやって使うの?」


「中に入って寝るんだ。こういう感じだよ。」


 俺は自分の寝袋を広げて見せた。


 ミナが、少しだけ身を乗り出す。


「……ふかふか。」


「そうだろ。少しは暖かく眠れるはずだよ。」


 二人が使いやすいように位置を調整してから、俺は部屋の反対側へ移動した。


「俺はあっちにいるから、何かあったらいつでも声をかけてね。」


「……どこにも行かないの?」


 ナギが尋ねた。


「今日はここにいるよ。外の様子も気になるし、二人を置いて出ていくつもりはないから安心してね。」


「……そう。」


 ナギはそれ以上尋ねず、ミナを寝袋へ入れた。ミナは横になると、すぐに目を閉じた。よほど疲れていたのだろう。しばらくすると、静かな寝息が聞こえてきた。


 ナギは妹の顔を確かめてから、自分も寝袋に入った。それでも、すぐには眠らず、何度かこちらの様子をうかがっていた。


 俺はランタンの明かりを少し落とし、使った鍋や器を片づけた。


 今は、無理に話しかけない方がいいだろう。


 信頼は言葉で求めるものではない。約束を守り、必要以上に踏み込まず、できることを続けていく。それしかない。


 ◇


 翌朝。


 目を覚ました俺は、二人の様子を確認した。


 ミナはまだ寝袋の中で眠っていた。ナギはすでに起きていて、俺が顔を向けると少しだけ肩を強張らせた。


「おはよう。少しは眠れた?」


「……うん。昨日よりは。」


「それならよかった。ミナはもう少し寝かせておこうか。朝ご飯を作るから、お腹が減っていたら一緒に食べようか。」


 俺は調理道具を取り出した。米はまだ十分にある。昨日と同じようにおかゆを作ればいいだろう。


 米を洗い、鍋に入れて水を加える。火にかけてから、焦げつかないように時々かき混ぜた。


 しばらくすると、背後から声がした。


「……何か、手伝えることはある?」


 振り返ると、ナギが立っていた。


「もう少しでできるから、今は座っていてもいいんだよ。」


「でも、何もしないのは……。」


 ナギは言いかけて口を閉じた。


 昨日も、食事や寝床を用意したことを気にしていた。何もせずに与えられることが、落ち着かないのかもしれない。


「それなら、器とスプーンを並べてもらえるかな? あそこにある分だけでいいよ。」


 ナギは少し驚いた顔をした。


「……それだけ?」


「ああ。それだけで十分だよ。まだ本調子じゃないんだから、無理はしないでくれ。」


「……分かった。」


 ナギはテーブルへ向かい、器とスプーンを一つずつ並べ始めた。置くときも、音を立てないように慎重だった。


 俺は鍋をかき混ぜながら、その様子を横目で見ていた。


 大げさなことではない。けれど、自分から手伝いを申し出てくれたことは素直に嬉しかった。


 おかゆが煮上がる頃、ミナも目を覚ました。


「……おはよう。」


「おはよう。身体はどうだ?」


「昨日より、楽……。」


「それはよかった。でも、まだ無理はしないでくれよ。」


 ミナは小さく頷き、姉の隣に座った。


 俺は二人の器によそい、自分の分も用意した。


「いただきます。」


 まずは俺がひと口食べる。昨日と変わらない、薄味のおかゆだ。


 ナギもスプーンを手に取り、ゆっくりと口へ運んだ。


 ミナは少し食べてから、顔を上げた。


「……今日も、おいしい。」


「そうか。それならよかった。」


 ミナはほんの少しだけ笑った。


 昨日のチョコレートを食べたときと同じ、控えめな笑顔だった。俺はそれを見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。


(ああ、よかった。)


 助けたからには、できるだけ元気になってほしい。ただ、それだけだ。


 ◇


 朝食を終えると、ナギが食器を集め始めた。


「洗ってくる。」


「ありがとう。でも、一人で大丈夫?」


「うん。」


「それなら、一緒にやろうか。俺も片づけたいものがあるから。」


 ナギが顔を上げた。


「一緒に?」


「そう。洗い方を教えるから、できるところを手伝ってくれればいいよ。」


 俺は器を持って、水を入れた容器の前へ移動した。この隠れ家には水道もなければ、食器洗い乾燥機もない。使う水の量にも気を配る必要がある。


「まずは汚れを落として、最後にきれいな水ですすぐんだ。水を使いすぎないようにすればいい。」


 説明しながら器を一つ渡すと、ナギは慎重に汚れを落とし、すすいで布の上に置いた。


「……これでいい?」


「うん。十分だよ。丁寧に洗えているね。」


 ナギは少しだけ表情を緩めた。


 ミナはまだ疲れが残っているようだったので、椅子に座って休んでもらった。無理に手伝わせる必要はない。


 食器を片づけ終えると、ナギは木壁とレンガで整えられた室内を見回した。


「……ここ、ずっと一人で使っていたの?」


「ああ。昔、俺が使っていた場所なんだ。」


「昔?」


「しばらく離れていたけど、また使うことになったんだよ。」


 俺は簡単に答えた。前世のことをどこまで話すべきかは、まだ決めていない。今は俺自身、この世界がどれほど変わったのかを確かめている途中だった。


 ナギはそれ以上尋ねず、壁際の棚に目を向けた。


「……まだ、掃除するところがあるね。」


「そうだね。少しずつ片づけていくつもりだよ。」


「私たちも、手伝っていい?」


 俺はナギを見た。彼女は真剣な顔をしていた。


「もちろん。手伝ってくれるなら助かるよ。ただし、疲れたらすぐに休むこと。ミナも、まだ本調子じゃないからね。」


「……分かった。」


 俺たちは掃除道具を取り出した。俺が床の埃を集め、ナギが小さな棚を拭く。ミナには座ったまま、使い終わった布をまとめてもらうことにした。


 最初は少しぎこちなかったが、作業を続けるうちに短いやり取りが増えていった。


「そこ、まだ埃が残っているよ。」


「本当だ。ありがとう。」


「こっちの棚は拭いた。」


「助かるよ。じゃあ、次はこの辺りを頼めるかな?」


「……うん。」


 会話はまだ少ない。それでも、昨日のように俺の一挙一動を怖がる様子は薄れていた。


 信用というのは、一度親切にしただけで得られるものではないのだろう。食事を用意し、約束したことを守り、無理をさせない。そんな当たり前のことを積み重ねるしかない。


 ひと通り片づけたところで、俺は手を止めた。


「よし。今日はこのくらいにしておこうか。」


「もう終わり?」


「まだ残っているけど、続きは明日でもできるよ。二人とも、まだ身体が本調子じゃないだろう?」


「……私は、まだ大丈夫。」


「気持ちはありがたいよ。でも、無理をしてまた具合が悪くなったら困るからな。今日はここまでにしよう。」


 ナギは少し不満そうだったが、やがて頷いた。


「……分かった。」


 ミナも、ほっとしたように息を吐いた。


 俺は掃除道具を片づけながら、ふと思いついた。


「そうだ。昼飯は何が食べたい?」


 突然の質問に、二人は顔を見合わせた。


 少し考えてから、ミナが遠慮がちに答えた。


「……また、おかゆでもいい?」


「もちろん。気に入ってくれたなら、また作るよ。ほかにも食べたいものがあれば、遠慮なく教えてね。」


 ミナは小さく頷いた。


 その隣で、ナギもほんの少しだけ表情を緩めた。


 ◇


 昼食を終え、二人が少し落ち着いたところで、俺は改めて話をすることにした。


 昨日から気になっていたことがある。


 二人の首にある鉄の輪だ。


 森で見つけたときから気になっていたが、二人の体力が戻るまでは無理に聞くつもりはなかった。今なら、少しは話をしてくれるかもしれない。


「二人に、少し聞いてもいいかな?」


 ナギの表情が引き締まった。ミナも姉の顔を見ている。


「答えにくいことは、無理に話さなくてもいいよ。ただ、これから二人を守るためにも、少し事情を知っておきたいんだ。」


「……何を聞きたいの?」


「まず、二人の名前はナギとミナで間違いないよね?」


「うん。」


「二人は姉妹なんだよね?」


「そう。私が姉で、ミナが妹。」


「二人は歳はいくつ?」


 ナギは少しだけ迷ってから答えた。


「十歳。」


「私も十歳……。」


 ミナが小さく付け加えた。


「二人とも十歳か。」


 思っていたより幼い。


 見た目から、もう少し年上かもしれないと思っていた。だが、よく考えれば、あの森の中を二人だけで逃げ続けていたのだ。どれほど心細かっただろう。


「教えてくれてありがとう。次は、どうして森の中にいたのかを聞いてもいいかな?」


 ナギはミナの手を握った。


 しばらく沈黙が続いたあと、彼女は小さく口を開いた。


「……私たちは、捕まったの。」


「誰に?」


「奴隷狩りの人たち。」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の視線は二人の首にある鉄輪へ向かった。


 やはり、そういうことか。


 俺は前世でD級冒険者として活動していた。冒険者として街や村を巡れば、奴隷制度に触れる機会もある。奴隷商人の店を見たこともあれば、奴隷として働く人々を目にしたこともあった。


 そして、隷属の首輪の存在も知っている。


 あの首輪は、ただの拘束具ではない。魔法的な契約によって奴隷を主人に従わせ、主人への反抗を困難にするための道具だ。


 今まで二人の首輪を詳しく確認していなかったが、形状と刻まれた模様には見覚えがある。


(間違いない。隷属の首輪だ。)


 俺は顔に出さないよう気をつけながら、二人に尋ねた。


「捕まったとき、お父さんやお母さんも一緒だったの?」


 ナギの指に力が入った。


「……うん。」


「お父さんとお母さんは、どうなったの?」


 ナギはすぐには答えなかった。隣のミナが姉の手を握り返している。


「私たちを連れていこうとした人たちに、お父さんが抵抗したの。」


「お母さんも……私たちを守ろうとしてくれた。」


 ミナの声は震えていた。


「それで?」


 俺は続きを促しかけて、言葉を止めた。


 二人にとって、簡単に話せることではないはずだ。


「……無理に話さなくてもいいんだよ。」


 ナギは少しだけ首を横に振った。


「大丈夫。話すから。」


 彼女は一度息を吸い、ゆっくりと口を開いた。


「……殺された。」


 その言葉のあと、二人は黙り込んだ。


 俺はすぐに次の質問をしなかった。


 両親を目の前で失ったのか、それとも別の場所で殺されたのか。詳しい状況は分からない。だが、今それを問い詰める必要はなかった。


「そうか……。つらいことを話してくれてありがとう。」


 ナギは俯いたまま、小さく頷いた。


 しばらくして、彼女は再び話し始めた。


「私たちは、そのあと馬車に乗せられたの。奴隷商人のところへ連れていくって……。」


「途中で逃げたのか?」


「ううん。森を通っているときに、魔物が出てきたの。」


「魔物が?」


「大きな魔物だった。馬車が壊れて、人たちが……。」


 ナギは言葉を止めた。


「奴隷狩りの人たちは、どうなったの?」


「みんな、魔物に襲われた。私たちは、馬車から逃げて……。」


「それから二人で逃げ続けていたんだね。」


「うん。どこへ行けばいいのか分かったなかったけど、捕まるのは嫌だったから。」


 ミナが姉の手をさらに強く握った。


「……怖かった。」


「そうだね。よく二人で頑張ったね。」


 俺は二人の顔を見た。


 十歳の子供が、両親を殺され、奴隷狩りに捕まり、魔物に襲われた一団から逃げ出した。その後、森の中を二人だけでさまよっていたのだ。


 無事だったことが奇跡に近い。


「もう大丈夫。少なくとも、ここにいる間は二人を守るからね。」


 俺がそう言うと、ナギは少し驚いたように顔を上げた。


「……私たち、悪いことをしたわけじゃないのに。」


「ああ。二人は何も悪くないよ。悪いのは、二人を無理やり連れていこうとした人たちだ。」


「でも、捕まったらまた連れていかれる。」


「そうだね。だから、そうならないように俺ができることをするよ。」


 俺は二人の首輪を見た。


「その首輪についても、少し話をしておきたい。」


 ナギの顔がこわばった。


「……これ?」


「ああ。これは隷属の首輪だと思う。」


「知っているの?」


「前に見たことがある。奴隷を主人に従わせるための魔法具だ。主人に逆らうことが難しくなる。」


 ナギは首輪に触れた。


「外せないの?」


「すぐに外せるかは分からないんだ。無理に触ると危険かもしれないから、詳しい人に調べてもらった方がいいと思う。」


「……私たち、奴隷なの?」


 ミナの問いに、俺は少し考えた。


「奴隷狩りに捕まっていたのは間違いない。でも、今の二人には正式な主人はいないはずだ。」


「どういうこと?」


「奴隷の主人がいなくなった場合、発見した人間が一時的に保護者、つまり仮の主人として扱われる制度がある。正式な主人になるには、奴隷商人のところで魔法的な契約を結ぶ必要があるんだ。」


 ナギは俺を見つめた。


「じゃあ……あなたが、私たちの主人になるの?」


「制度上は、そういう扱いになる可能性がある。でも、俺は二人を奴隷にするつもりはないよ。」


「本当に?」


「ああ。本当だよ。二人を保護したのは、奴隷にするためじゃない。森の中で困っている二人を見つけたから、助けたいと思ったんだ。」


 ナギはすぐには答えなかった。


 それも当然だろう。昨日出会ったばかりの人間の言葉を、簡単に信じられるはずがない。


「首輪を外す方法も探してみる。すぐには難しいかもしれないけど、できることから調べていこう。だから、今は安心して休んでいてね。」


「……ありがとう。」


 ナギは小さな声で答えた。


 ミナも姉の隣で頷いている。


 俺は二人に無理をさせないよう、それ以上の話を続けなかった。


 ただ、胸の奥には一つの思いが残っていた。


(隷属の首輪か……。)


 前世でも奴隷制度は存在していた。冒険者として活動していた頃、奴隷を連れた商人や、奴隷を所有する貴族を見たことがある。制度そのものを変えることはできなかったが、少なくとも自分の目の前で理不尽な扱いを受けている人間を見過ごすつもりはなかった。


 それが、今度は十歳の姉妹か。


(まずは、この二人を守ることからだな。)


 ◇


 二人が休んでいる間、俺は少し離れた場所で考え事をしていた。


 この世界に戻ってから、まだ十分な情報を集められていない。街の様子も、現在の国の情勢も、前世の記憶とどれほど違っているのかも分からない。


 それでも、思い出したことがある。


 魔の森の奥にある、古代文明の遺跡だ。


 前世のアレンとして冒険者をしていた頃、俺はあの場所を発見していた。古代文明が残したおそらくは軍の施設らしく、周囲には通常の遺跡とは異なる構造物が残されていた。


 当時は危険も多く、十分な調査をすることはできなかった。だが、その存在だけは記憶に残っている。


(あそこが今も残っているなら、調べる価値はある。)


 古代文明の遺跡に何が残されているのか。設備が使えるのか、資材が残っているのか。まだ何も分からない。


 ただ、俺には以前の人生にはなかった能力がある。


 日本とこの世界を行き来できる、次元渡りだ。


 アイテムボックスもある。容量には限りがあるが、物資を運ぶこともできる。


(これを使わない手はないよな。)


 日本には、この世界にはない便利な道具や製品がいくらでもある。逆に、この世界には日本では手に入らないものがある。


 例えば、ポーション。魔物の素材。ミスリルのような希少鉱物。魔石や、特殊な性質を持つ資源もあるだろう。


 それらを日本へ持ち帰り、適切な方法で換金できれば、日本での生活資金を確保できるかもしれない。


 反対に、日本で購入した工具や生活用品、機械部品、医療・衛生用品などをこちらへ持ち込めば、異世界での活動にも役立つはずだ。


 単に物を運ぶだけではない。両方の世界で必要とされるものを調べ、需要と供給を結びつける。


(いわば、二つの世界を結ぶ物流だな。)


 まだ構想にすぎない。どんな物が売れるのか、どの程度の量を運べるのか、持ち込んだ品物に問題はないのか。確認しなければならないことはいくらでもある。


 それに、こちらの世界で商売を始めるなら、信用できる取引相手も必要になる。日本側でも、異世界の素材を扱える相手を探さなければならないだろう。


 最初から大きな商売をする必要はない。まずは少量の品物で試し、両方の世界で安全に取引できる方法を探せばいい。


(焦る必要はない。けれど、早めに動き始める価値はある。)


 俺は頭の中で、必要なことを整理していった。


 日本での生活を続けるにも、この世界で活動するにも、資金は必要だ。二つの世界を行き来できるという能力を、ただの移動手段で終わらせるつもりはなかった。


 もちろん、今すぐ取りかかるべきことは別にある。


 まずはナギとミナの安全を確保すること。首輪について調べ、二人が安心して暮らせる環境を整える。それから街へ出て、現在の状況を確認する。


 古代文明の工廠についても、いずれ調査する必要がある。


 やることは多い。


 だが、目標が見えてくると、自然と気持ちも前向きになる。


(せっかく二つの世界を行き来できるんだ。うまく活用していこう。)


 俺は二人の方へ目を向けた。


 ミナは寝袋の中で眠り、ナギはその隣で妹を見守っている。


 まずは、この小さな姉妹を守ることから始めよう。


 そのためにも、少しずつ、この世界での生活基盤を整えていかなければならない。

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