【05話】咲良、秘境に帰る
中学校に近い位置にある、美和のアパートの駐輪場で美和と別れてから、さらに自転車で20分かけて帰宅。
中学校や美和のアパートの辺りは、スーパーや本屋さんなどがある、田舎ながらに栄えている場所なのだが、わが家の周りは、海と山と古墳しかないヘンピな場所なのだ。
でも、戦争してた頃は、日本軍の大きな基地が、この辺りにあったらしい。
わたしの生まれる前は、大きなお船の工場があって、そこで働く人向けだった公営住宅はいまも残っており、食料品や、雑誌や、お酒なんかも買える『なんとか商店』って名前のコンビニ的なお店も、あったとかなんとか……
昔はそれなりに栄えていたみたいだ。
……けど、今は何もなし。
あまりにも何もないので、小学5年生のころ、一度だけ遊びに来た美和を、案内したのが古墳だった。
「女子小学生が古墳で遊ぶ!それが田舎!!」
なぜか当時は、これが二人の間でめっちゃウケて、その日、一日中連呼していた。
理由は今でもわからない。本人なのに。
ちなみに神花山古墳という、大昔の女王が埋葬されていた古墳で、木花開耶姫命って神様が祀られている祠もあって、わたしは勝手に、神花山の女神様と呼んで、たまにお参りしている。
わたしは、その頂上から見渡す瀬戸内海が、大好きだった。
だから、親友の美和にも見せたかったのだ。
わたしだけの宝物の海の景色を。
だけど、その景色を観ようとすると、女神を祀る祠から頂上までの案内などない、急傾斜の道なき山道を登り、落ちたら海に落ちて死ぬような崖を、横目に見ながら進まなければならない。
夏は虫も多く、草もぼーぼー。
そんな苦労の末に登り切った、親友の感想は。
「景色は確かに素晴らしいが、5分で飽きる。ここまでの労力と釣り合ってない」
だった。
まったくその通りなので、それ以来、わたしの親友は、わたしの家に遊びに来ていない。
遊ぶのはいつも美和の住んているアパートの周り、いま通っている中学校の辺りや、もう少し足を延ばして、さらに栄えててショッピングモールもある柳井の辺りだ。
そんな田舎の中の更に秘境な、我が家の門扉を開けて、自転車を庭に停め、まずは郵便物のチェックをする。
「お、届いてる! 白百合の騎士のさんからのお手紙!」
わたしは、このお手紙が楽しみだった♪
手紙をもって自宅のドアを開けながら、
「ただいま〜!」
大きな声で言う。
この家は、母の兄である土建業の伯父さんが、伯父さんが家族と住むために、自ら建てたらしい。
この辺りではたまに見かける、鉄筋コンクリート製の2階建ての、白くて四角い外観の家だ。
白いケーキの大小2つの空き箱を、大きい箱の上に小さい箱を重ねたら、ほぼ再現可能なほど、簡単な形。
そしてそれは、この辺りで、昭和の頃に建てられた家の特徴でもある。
それよりも昔からある家は、木造で屋根が三角形で、瓦屋根のある家だ。
わが家の立地は、前が海、後ろが山なので、台風の時なんかは瓦屋根の家だと、結構な被害に遭う。
主に瓦が飛んで、屋根から雨漏り。
最近の家は瓦屋根でも、ちゃんとそのへん対策しているみたい。
その点ウチは、
「台風直撃! 裏山土砂崩れで埋まっても、中の人間の安全は保証するぞ! わっはっはっ!!」
と、伯父さんが豪語するほど、頑丈に作られているとのこと。(本人談)
さすがは、自分たち家族が住むつもりで作った家だ。
お母さんが、大阪からわたしを連れて戻った時に、伯父さんから譲り受けた。
ありがたい。
我が家は、お母さんとわたし、そしてネコのコロさんの二人と一匹暮らしだ。
地元の山口から就職で大阪に行ったお母さんが、大阪で出会った人と結婚して、わたしを産んで、
なんやかんやあってお父さんと別れた後、わたしを連れて実家のこの町に帰ってきたらしい。
3歳の頃の話なので、正直記憶にはない。
うっすらと、ここではない家で、知らない男の人と一緒にいた記憶があるが、それがお父さんなのかは、多分一生分からないだろう。
わたしはお母さんに確かめないし、それでよいと思っている。
現在時刻は13時半すぎごろ
わたしが帰宅したこの時間はまだ、お母さんは仕事から帰って来てない。
それは分かっているが、声をかけて、そして家の中を隅々まで見て回る。
お母さんには自律神経失調症の持病があり、わたしが小学生低学年の時に、学校から帰ったら家で倒れていた事があった。
その時は、お隣さんに大変お世話になった。
幸い大事には至らなかったが、各部屋の点検は、その日以来の習慣なのだ。
ちなみに今日も、何事もなく無事でした。
そして、ネコのコロさんも居ませんでした。
放し飼いなので、家にはいたりいなかったりなのです。
こんな秘境の家に、一人きりで……




