第60話 決闘状
修行会は、戻ってきた。
しかも、前より大きくなって。
空き教室の戸には、マギー先生の名前の札がかかった。「使用許可」。字がすごく雑だ。
放課後になると、学友が勝手に集まってくる。
ベルントは、今日も豆つぶの水の玉を指先に浮かべている。一回ずつ、ていねいに。俺のことを「先生」と呼ぶのは、何度言ってもやめない。
「先生、今日は五回できたよぉ」
「先生はやめろ」
「じゃあ、師匠?」
「もっとやめろ」
ノエルは、図書塔から借りてきた体の本を読んでいる。ドミニクは、小魚の干物をかじりながら腕立て伏せをしている。
クラウスは、毎朝、空気の重さを帳面につけはじめた。今のところ、三回中三回、天気を当てている。
ミレイユの植木鉢は、三つに増えた。イリスは、いちばん後ろの席で、フードを少し上げて座っている。
オリヴィアは、俺の手もとをのぞきこんで「それ、どうなってるの?」を一日に二十回は言う。
セシリアは、相変わらず「監視」だ。いちばん前の席で、本を読むふりをしながら、指先でこっそり霜の花を咲かせている。俺が見ると、すぐに消す。
「……別に。手が冷えただけよ」
窓の外の植えこみでは、リルが、セシリアのほうを見張っていた。耳が、ずっと後ろを向いている。
「ティオさま。あの人、また、つめたいにおい」
「霜の花のにおいだろ」
「……花じゃない。つめたいだけ」
リルとセシリアは、目を合わせない。合わせないのに、ずっと相手のほうを向いている。器用な二人だ。
一人だけ、いなかった。
レオンだ。
「あいつは来ない。計算するまでもない」
クラウスが、帳面から顔を上げずに言った。
「どうして」
「意地だ。ブラント家は騎士の家だそうだ。騎士の家の次男が、魔力最低の平民に頭を下げるとは思えない」
俺は、窓の外の夕日を見た。演習場のほうから、ぼっ、ぼっと、聞き覚えのある音がしていた。
* * *
レオンは、演習場にいた。
夕日の中で、一人で剣を振っていた。剣に火をまとわせて、打ちこみ台に叩きつける。何度も。何度も。
台はもう、真っ黒にこげていた。
「レオン」
俺が柵の外から声をかけると、レオンの剣が止まった。
「……なんだ、0.3」
「修行会、来ないのか。みんな来てるぞ」
「行かねえ」
レオンは、背を向けたまま言った。
「ベルントが的のど真ん中を撃った。セシリアまで、最近、氷の形が変わった。みんな、お前の変な修行のおかげだって言ってる」
「言ってるだけだ。やったのは、あいつらだ」
「同じことだろ」
レオンが、振り返った。
汗まみれの顔だった。目が、怒っていた。いや、怒っているのとは、ちょっとちがう気がした。
「俺はな、0.3。親父みたいな騎士になるんだ。剣と火で、街を守れる騎士に」
レオンの剣に、火がぼっとついた。本人は、つけたつもりがないみたいだった。
「その俺が、魔力0.3に習うことはない!」
声が、演習場に響いた。
四月の実技で、俺はレオンの火を一度も受けなかった。流して、足を止めて、時間切れにしただけだ。判定はレオンの勝ちだった。
でも、レオンは、たぶん、勝ったと思っていない。
「……そうか」
俺は、柵から離れかけて、足を止めた。
「レオン。お前の火、まだ剣の振り下ろしの半拍あとに来てるぞ」
「……は?」
「四月から変わってない。だから流せたんだ」
レオンの顔が、真っ赤になった。剣の火が、ごうっと大きくなった。
「うるせえ! 帰れ、0.3!」
俺は、帰った。
(言わなきゃよかった。……いや、言ってよかったのか?)
寮へ戻る道で、さっきのレオンの言葉を思い出していた。
親父みたいな騎士に。
あいつの「親父」がどんな人かは知らない。でも、あの火の音は、毎日聞いている。朝も、夕方も、演習場から。
魔力の量は、俺の何十倍もある。それでも毎日、こげるまで台を叩いている。
悔しいけど、かっこいいと思った。口が裂けても言わないけど。
背中のほうから、また、ぼっ、ぼっと火の音が聞こえてきた。レオンが、剣を振りはじめたのだ。
* * *
その夜。
男子寮の三階の廊下は、もう乾いていた。床板に、うっすら水のしみが残っているだけだ。
隣のベルントの部屋からは、大きないびきが聞こえていた。今夜のは、ただのいびきだ。水の音はしない。
自分の部屋の前で、俺は足を止めた。
戸に、何かが刺さっていた。
食堂のフォークだった。
フォークが、一枚の紙を、戸の板に縫いとめている。かなりの力で刺したらしく、先が半分まで木にめりこんでいた。
俺は、フォークを引き抜いて、紙を広げた。
廊下のランプの明かりで、字を読む。
でかい字だった。下手な字だった。紙からはみ出しそうなくらい、力いっぱい書いてある。
『勝負だ』
それだけ。
名前は、どこにも書いていない。
俺は、紙を持ったまま、しばらく廊下に立っていた。
ランプの火が、じじ、と鳴った。
ふと、紙を鼻に近づけてみた。俺の鼻も、ちょっとはきく。
インクのにおい。食堂のフォークの、油のにおい。
それから、もう一つ。
こげくさい。
名前は、書いていなくても分かる。
紙のはしが、ちょっとだけ焦げていた。




