第59話 的の真ん中
修行会がなくなって、四日がたった。
放課後の空き教室は、静かだった。戸の前に「使用禁止」の札がかかっている。寮監のじいさんの字だ。
ベルントは、あれから、魔法を使っていない。
授業で水を出すように言われても、首を振った。「ぼく、また、あふれちゃうから」。それだけ言って、うつむいた。
俺は、毎晩、天井を見ていた。
(栓を抜かせたのは、俺だ)
俺は、何年もかけて、ちょっとずつ腕を上げてきた。倒れるまでやって、起きて、またやって。それを当たり前だと思っていた。
ベルントの樽は、俺のお茶わんとはちがう。コップ一杯を百回は、ベルントにとっては、樽の栓を百回抜くことだった。一回閉め忘れたら、洪水になる。
人に教えるっていうのは、自分のやり方を押しつけることじゃない。
……そんなこと、ラノベの師匠キャラは、誰も教えてくれなかった。
四日目の夜、寮の窓を開けると、下の植えこみにリルがいた。いつもの場所だ。
「ティオ。ねむれない?」
「……ちょっとな」
リルは、しばらく黙って、月を見ていた。それから、ぽつりと言った。
「ベルントは、ティオじゃない」
「分かってる」
「ベルントは、ベルントの歩き方。……リルも、ティオの歩き方、まねしたら、転ぶ」
リルの足は、俺よりずっと速い。俺に合わせて歩くと、いつもつんのめりそうになる。
俺は、窓わくにあごをのせた。夜の風が、ほんのり土のにおいを運んできた。
* * *
五日目は、実技の的当てだった。
演習場に、木の的が並んでいる。人の頭くらいの丸い板に、赤い円が描いてある。
「はーい、自分の属性で、的を撃つことー。真ん中に近いほど点が高いわよー。外れても、壊しても、点はあげないけどねー」
マギー先生は、日よけの下の椅子で、のんびり手を振った。
セシリアの氷の矢が、真ん中に刺さった。レオンの火の玉が、的ごと焼いた。点はなし。レオンは「なんでだ!」と叫んだ。
クラウスの風は、的の端を揺らしただけだった。でも本人は、なぜか満足そうだった。
ノエルは光で的を照らして、先生に「それは撃つって言わないのー」と言われた。
ドミニクは、魔法を使わずに石を投げた。的が割れた。点はなし。「がはは、壊れた!」と笑っていた。
ミレイユは、的のそばの雑草をのばして、的をくすぐった。イリスの番では、的のまわりがほんの一瞬だけ暗くなった。誰も、下がらなかった。
俺の番。
俺は、つま先で、地面を二回、とんとんと叩いた。
足もとの土から、豆つぶくらいの土の玉が浮く。ぎゅっと固めて、指ではじいた。
こつん。
的の、赤い円の外側に当たった。
もちろん、わざとだ。真ん中を狙えば、真ん中に当たる。でも、魔力0.3が的の真ん中を撃ち抜いたら、目立ちすぎる。
「0.3、六点ー」
先生は、帳面に何か書いた。それから、ちらっと俺の足もとを見た。
……気のせいだと思うことにした。
次が、ベルントだった。
その瞬間、学友たちが、ざざっと後ろへ下がった。
「おい、下がれ下がれ! 噴水が来るぞ!」
「また洪水か?」
レオンなんか、柵の外まで逃げていた。
ベルントは、的の前で、真っ青な顔をして立っていた。手が、震えている。
「せ、先生。ぼく、やめときます。また、みんなを、ぬらしちゃうから……」
「やめるのは自由ー。でも、点はゼロねー」
大きな体が、もっと小さくなった。
俺は、柵のそばから、声をかけた。
「ベルント」
丸い顔が、振り向いた。
「百回じゃなくていい」
ベルントの目が、揺れた。
「一回だ。コップ一杯、一回だけ。それでいい」
しばらく、ベルントは俺を見ていた。
それから、前を向いた。
目を閉じる。
腹の下から、ゆっくり回している。胸。腕。指先。顔を見れば分かる。あの空き教室で、何十回も見た顔だ。
右手の人差し指を、的に向けた。
指先に、水が生まれた。
小さい。
ぶどうのつぶより、もっと小さい。豆つぶくらいの、水の玉。
それが、ぴたりと止まった。
――ひゅっ。
音は、それだけだった。
水の玉が、まっすぐ飛んだ。
的の、赤い円の、ど真ん中。
そこに、小さな穴が一つ、開いていた。
向こう側の景色が、穴から見えた。
演習場が、しんとなった。
誰も、何も言わない。風の音だけがする。
柵の外で、レオンが、口をぽかんと開けていた。セシリアが、目を細めて、的の穴を見ていた。
撃った本人が、いちばんぽかんとしていた。
「……え?」
マギー先生が、椅子から立ち上がった。
的の前まで、ぶらぶら歩いていく。指で、穴のふちをなぞった。
穴は、まん丸だった。ふちが、すっぱり切れている。
「……ふーん」
先生は、ベルントを見た。それから、柵のそばの俺を見た。
「0.3。あんたたち、放課後、空き教室で何かやってたんだってー?」
「……はい」
「寮監のじいさんから、苦情が来てるのよねー。めんどくさいったら」
先生は、あくびをした。
「空き教室、使っていいわよー。私の名前で、届けを出しとくから。寮の部屋で修行するのは、なし。それだけ守ってねー」
俺は、言葉が出なかった。
「先生ぇ……!」
ベルントが、叫んだ。
マギー先生に、じゃなかった。
まっすぐ、俺のほうへ走ってきた。
「先生、先生! ぼく、できたよぉ! 真ん中だよぉ!」
「待て、先生はあっちだ。俺は先生じゃな――」
ベルントの大きな体が、両手を広げて飛んできた。
受け止めきれるわけがない。
二人そろって、演習場の砂の上に、ひっくり返った。




