第57話 地底湖と古い棚
光の日の放課後、俺は図書塔にいた。
学園の裏にある、細長い石の塔だ。中はぐるぐると階段が続いていて、壁という壁が本棚になっている。紙とほこりのにおいがした。
調べたいことが、二つあった。
一つ目は、魔物図鑑だ。
明日は闇の日。七層迷宮の、三層に初めて下りるつもりだった。
三層の名前は、地底湖。大きな地下の湖と、その岸。出てくるのは大トカゲと水ヘビ。図鑑によると、大トカゲは寒さに弱い。のどの下がやわらかい。皮は高く売れる。
(よし。皮に傷をつけずに倒せば、銀貨二枚)
一つ目は、すぐに終わった。
問題は、二つ目だった。
俺は、塔の上のほうの、古い棚の前に立っていた。契約と、魔法の紋についての本が並んでいる棚だ。
リルと契約したとき、契約師のじいさんは言った。
――こんな紋は、見たことがない。
あれから、ずっと気になっていた。
リルの鼻のよさが、俺にも写った。契約しただけで、相手の力が自分にも使えるようになる。そんな話は、ラノベならよくある。でも、この世界で聞いたことは一度もない。
俺が勝手に名前をつけた力は、まだ俺しか知らない。
一冊ずつ、引っぱり出して、めくっていく。
奴隷契約の結び方。紋の種類。契約石の作り方。主が死んだら紋はどうなるか。
どこにも、ない。
「……何を探しとるのかね、坊や」
後ろから、しわがれた声がした。
司書のおじいさんだった。腰が曲がっていて、眼鏡が鼻の先までずり落ちている。
「主従の契約で、主のほうに、相手の力が写るって話。本、ないですか」
「ほう」
おじいさんは、眼鏡を指で押し上げた。
「主従写し、かね」
心臓が、どくんと鳴った。
「あるんですか」
「いや。おとぎ話だよ。わしが子どものころ、ばあさまから聞いた。昔々、家来の力をみんな写して、たった一人で国を守った王さまがいた、とな。そういう昔話さ」
「記録は」
「ないねえ。わしは、この塔に四十年おる。棚の本は、だいたい読んだ。そんな記録は、一冊もなかったよ」
おじいさんは、のんびりと笑って、階段を下りていった。
俺は、古い棚の前に、しばらく立っていた。
主従写し。
おとぎ話の、王さまの力。
(……眷属共鳴のほうが、名前としては上だな)
そう思ってみたけど、胸のざわざわは消えなかった。
* * *
次の日、闇の日。
仮面をつけ、黒く染めた外套をはおる。リルはフードを深くかぶる。
一層と二層は、もう慣れた道だ。角ウサギもゴブリンも、相手にせずに通りすぎる。
二層の奥の、下りの階段の前で、リルが立ち止まった。
迷宮でも、二人きりなら、リルは「ティオ」と呼ぶ。
「ティオ。三層、はじめて」
「ああ」
「……わくわくする」
外套のすそで、リルの尻尾がもぞもぞ動いている。
「作戦は、昨日言ったとおりだ。俺が足を止める。お前がのどを打つ。皮は傷つけない」
「のど。はい」
階段を下りるにつれて、空気がしめっていった。
七層迷宮の三層は、ひんやりしていた。
洞窟の天井が、ものすごく高い。その下に、黒い水がどこまでも広がっている。湖の岸は、ぬかるんだ泥と、ごろごろした石だった。
「……つめたいにおい。水と、トカゲ」
リルが、鼻をひくつかせた。
俺は、ぬかるみの手前で、つま先を二回、とんとんと落とした。
「大地の囁き」
泥の下から、揺れが伝わってくる。
重い。四本の足。湖の中から、まっすぐこっちへ来る。
「来る。正面、水の中」
ざばっ。
水面がもり上がった。
大トカゲだった。
馬より大きい。灰色のうろこが、ぬらぬら光っている。あごが開くと、黄色い歯がずらりと並んでいた。
大トカゲは、岸に上がってきた。
ぬかるんだ泥を、ずぶずぶと踏みしめて。
(いいぞ。そこだ)
俺は、もう一度つま先を鳴らした。
「大地の鎖!」
要するに、泥で足をつかんで、固めただけだ。
大トカゲの四本の足のまわりで、泥が、ぎゅっと縮んだ。水がしぼり出される。泥が、石みたいに固くなる。
大トカゲが、がくんと止まった。
前に出ようとして、出られない。体をよじる。尻尾で岸をばしんと叩く。でも、足は抜けない。
「リル!」
「はい」
フードの小さな体が、石の上を跳んだ。
大トカゲが、大きな口を開けて首を振る。リルは、その下にすべりこんだ。
のどの下。
図鑑に書いてあった、やわらかいところ。
リルの拳が、まっすぐにそこへ入った。
ずん、と重い音がした。
大トカゲの目が、ぐるりと回った。そのまま、固まった泥の上に、どさりと倒れた。
皮には、傷一つない。
「……計算通りだ」
(図鑑を読んだだけだけど)
* * *
皮をはいで、袋にしまったあと、二人で岸の石に座って、干し肉をかじった。
黒い湖が、しんと静かだった。
人前じゃないので、リルはフードを外している。灰色の耳が、ぴんと立っていた。
「リル」
「ん」
「お前の紋さ。どこの本にも、載ってなかった」
昨日の図書塔の話をした。
リルは、黙って聞いていた。
それから、自分の左手の甲を見た。
土色の紋が、薄く浮かんでいる。
「……変な力かもしれない。俺も、よく分かってない」
リルは、紋を指でなぞった。
ゆっくり、一回。
それから、顔を上げた。
「リルは、ティオの紋、すき。なんでも」




