第55話 闇の日は休む日
◆イリス視点
十二の間には、窓ぎわのすみに、私の席がある。
丸い部屋なのに、すみがある。机のはしと壁のあいだの、日の当たらないところ。私は毎日そこに座って、フードを深くかぶっている。
だれも、話しかけてこない。
それで、いい。
セレスタ聖国では、闇の魔法は禁じられている。生まれつき闇を持つ子は、教会の奥で、だまって暮らす。光をけがすから、と言われる。
私の家は、私を国の外へ出した。留学、という名前で。
アルディアでは、闇は「縁起が悪い」くらいだそうだ。だから最初は、ほっとした。
でも、どこの国でも、同じだった。
名前を言うと、みんな一歩下がる。属性を聞くと、もう一歩。
それで、いい。下がってくれたほうが、楽。
* * *
あの子のことは、入学の日から知っていた。
魔力0.3の、ティオ。
うるさい子だった。技の名前を、大きな声で叫ぶ。叫ばなくても魔法は出るのに。クラウスに毎回「叫ぶ意味はない」と言われて、毎回むくれている。
つぎはぎの制服。獣人の従者。だれよりも少ない魔力。
なのに、あの子のまわりには、いつも人がいた。
最近は、放課後になると、東の棟の空き教室に人が集まっている。ベルントの噴水が止まった。ノエルの治癒が変わった。セシリアまで通っている。
私は、廊下の角から、それを見ていた。
笑い声が、廊下まで聞こえてくる。ベルントの「お腹すいたよぉ」。ドミニクの「がはは」。セシリアの「説明なさい」まで。
あの教室だけ、いつも明るかった。
三日。
入らなかった。入れなかった。
闇の子が来たら、みんな一歩下がる。せっかく集まっているのに、下がらせたくない。
四日目の夕方は、光の日だった。明日は、闇の日。学園の休みの日。
空き教室には、もう二人しかいなかった。ティオと、従者のリル。
リルが、先に私に気づいた。鼻をひくりと動かして、こっちを見た。
「ティオさま。だれか、います」
ティオが、戸のほうを振り向いた。
「お、イリスか。入れよ」
あっさりだった。
私の名前を、ふつうに呼んだ。
* * *
空き教室は、ほこりと、土のにおいがした。
私は、いちばん後ろの椅子に浅く座った。ティオは、黒板の前の机に腰かけている。行儀が悪い。
「……ここで、何を教えてるの」
「魔力の回し方。あとは、たとえ話」
「……闇も、教えられる?」
「無理だ。俺は土しか使えない」
ティオは、首をかしげた。
「でも、回すのは同じだと思う。腹の下から、ゆっくり回す。闇でも水でも、たぶん変わらない」
やってみろ、と言われた。
私は目を閉じた。闇の魔力は、いつも重い。胸の奥に、冷たい石があるみたい。国では、それを動かすことさえ、悪いことだった。
腹の下から、胸へ。胸から腕へ。
ゆっくり。
冷たい石が、ことりと動いた。
目を開けると、教室のすみが、うっすら暗くなっていた。
私は、あわてて魔力を止めた。
「……ごめん」
「なんで謝る」
「……闇は、悪いものだから」
ティオは、すぐには答えなかった。
窓の外で、夕日がしずみかけていた。机の脚の黒い線が、床に長くのびている。
「イリス。明日、何の日だ」
「……闇の日」
「みんな、何してる」
「……休んでる」
「だろ」
ティオは、机から飛び降りた。
「闇は悪じゃない。光がないだけだ。夜があるから、みんな寝られる。闇の日だって、休みの日だろ。みんなが休む日の名前が悪いものだったら、変じゃないか」
私は、何も言えなかった。
そんなことを言った人は、今までいなかった。
国の教会の人も、家の人も。闇は、光の反対で、光をけがすもの。ずっと、そう聞いてきた。
光がないだけ。
それだけ。
「……そう」
声が、うまく出なかった。
* * *
ティオの机の上に、ノートが開いたまま置いてあった。
汚い字で、言葉がたくさん並んでいる。
『終焉の黒壁』『深淵の流砂』『大地の鎖』。
ぜんぶ、技の名前らしい。
その中に、線で消してある名前がいくつかあった。
『闇黒の城壁』。消してある。『影縫いの鎖』。消してある。『闇夜の剣』。消してある。
消した横に、新しい名前が書いてあった。『黒曜の剣』。
ノートを見て、ティオを見た。
それから、黙ってノートを指さした。
「あっ、それは見るな!」
ティオが、あわててノートを閉じた。
「……闇の字、消してる」
「べ、べつに。土の技だし。土の技に闇は合わないだろ。それだけだ。名前ってのは、技の形を決めるもんで、だから字の響きと中身がずれると――」
早口だった。
耳が、赤かった。
リルが、窓わくの外から、ぼそっと言った。
「ティオさま、照れてます」
「照れてない!」
私は、知っていた。
入学の日。最初の自己紹介で、私は「闇」と言った。教室のみんなが、一歩下がった。
あのとき、あの子だけが、下がらなかった。
それから、あの子の叫ぶ技の名前に、闇の字が一つも入っていないこと。影の字も入っていないこと。私は、気づいていた。
気のせいだと思っていた。
気のせいでは、なかった。
私は、フードのふちに指をかけた。
ゆっくり、上げた。
ほんの少しだけ。夕日が、目に入るくらいまで。
まぶしかった。
ティオは、ノートを胸にかかえたまま、まだ赤い耳で、そっぽを向いていた。
「……ティオ」
初めて、名前を呼んだ。
ティオは、そっぽを向いたまま、「おう」とだけ言った。
夕日の中で、私の足もとから、影がのびていた。
長くて、黒くて、静かな影だった。
はじめて、きれいだと思った。




