第46話 助けを呼ぶ声
黙り岩の名前は、思っていたより早く広まった。
次の闇の日。迷宮の入口で、知らない冒険者に手を上げられた。
「よう、黙り岩」
俺は、黙ってうなずいた。
うなずくと、相手は「ほんとにしゃべらねえ」とうれしそうに笑って去っていく。
次の人も、その次の人も、同じだった。
「黙り岩だ」
「今日もしゃべらねえのか」
「うなずいたぞ、今」
……なんだか、名物の置き物みたいになってきた。
(漆黒の地導師への道が、遠い)
リルは、手を上げられるたびに、フードの下でうれしそうに耳を動かしていた。
「あるじ、ゆうめい」
「名前が違う」
「でも、ゆうめい」
その日も、俺たちは二層を回った。
小技で足首を巻き、リルが仕留める。
昼すぎには、腰の小袋がゴブリンの小魔石でずっしり重くなっていた。全部で二十個ある。ハンスさんの値段なら、銀貨四枚にはなる。
リルが、鼻歌まじりに袋をぽんぽん叩いた。
苔の少ない岩のくぼみで、昼を食べることにした。
黒パンが二つ。リルが従者部屋で作った、干し肉をはさんだやつだ。仮面は口が出ているので、こういうとき便利だ。
「あるじ。ハンスのおじさん、いいひと」
「ああ。声はでかいけどな」
「お酒の人たちも、いいひと、いた」
「そうだな」
リルは、パンをもぐもぐしながら、天井の苔を見上げた。
「おうと、こわいとこだと、おもってた。でも、いいひとも、いる」
俺は、うなずいた。
王都に来てから、リルはずっと冷たい目にさらされている。学園では「獣人の従者」、ギルドでは「獣人の奴隷」。それでも、いい人を数えている。
リルのそういうところを、俺は尊敬している。口に出したことはないけれど。
「さ、行くか。夕方までに、袋をもう一つ埋めるぞ」
「うん」
立ち上がって、パンくずを払った。
そのときだった。
「誰か! 誰か、いないか!」
洞窟の奥から、男の声がした。
「助けてくれ! 仲間が、けがを!」
俺とリルは、顔を見合わせた。
声のほうへ走る。
苔の明かりがうすい、行き止まりの小部屋だった。男が四人いた。
一人は、壁にもたれて座りこんでいる。太ももに布を巻いていて、その布が赤くにじんでいた。
ほかの三人が、その男を囲んでいる。
いちばん大きな男が、俺たちに気づいて振り向いた。日に焼けた顔に、太い眉。頬に古い切り傷がある。
「おお、助かった! あんた、黙り岩だろ。噂は聞いてるぜ」
男は、人のよさそうな顔で笑った。
「俺はブルーノ。Dランクだ。仲間がゴブリンの毒矢にやられちまってな。手持ちの薬を、もう使いきっちまった。……ちょっと、分けてもらえねえか」
「いてえ……いてえよ……」
座りこんだ男が、うめいた。
俺は、腰の薬袋に手をやった。
ロウエンを出るとき、ペトラさんが持たせてくれた傷薬だ。「ちゃんと持っていきなさいよ」と、三つ。
リルが、俺の袖を引いた。
「……あるじ」
小さな声だった。
「血のにおい、うすい」
うすい?
俺は、座りこんだ男を見た。布は赤い。顔は青い。うめき声も本物っぽい。
でも、リルの鼻は、俺の目よりずっと正しい。
(なら、傷は浅いか、うそかだ。布をほどけば、分かる)
俺は、リルに小さくうなずいた。分かってる、の合図だ。
それでも、このまま背中を向ける気にはなれなかった。もし本当に毒が回っていたら。ここで疑って、見捨てて、それで死んだら。
どぶ坂で、熱を出したまま、春を待たずにいなくなった子の顔が、頭をよぎった。
あんなのは、もう二度と見たくない。
俺は、男の前にしゃがんだ。目は、太ももの布から離さなかった。
薬袋から、傷薬の小瓶を出す。巻いた布をほどこうと、手を伸ばした。
「おお、ありがてえ、ありがてえ」
ブルーノが、俺の肩に手を置いた。もう一人が、後ろから俺の背中をぽんと叩いた。
「いい人だなあ、黙り岩は」
「噂どおりだ。腕もいいし、心もいい」
座りこんだ男が、俺の手から小瓶を受け取った。
「あとは自分で塗れる。ありがとよ」
男は、すっと立ち上がった。
足を、ひきずっていなかった。
「……え」
思わず、声がもれた。
ブルーノたちは、もう背中を向けていた。
「じゃあな、黙り岩! 恩に着るぜ!」
四人は、早足で通路の向こうへ消えた。
リルの耳が、フードの下で後ろに倒れた。低いうなり声が、のどの奥で鳴った。
「あるじ。ふくろ」
俺は、自分の腰を見た。
小袋のひもが、ぶらんと垂れていた。
ひもの先が、すっぱりと切られていた。
袋は、なかった。
二十個の小魔石が、まるごと消えていた。
背中を叩いた、あの手だ。
ぽん、と叩かれたとき、ひもを切られた。肩に置かれた手は、俺の気をそらすためだった。「いい人だなあ」の声も、全部。
俺は、けが人のうそばかり見ていた。森の魔物は、仲間と組んでうそをついたりしない。
頭の中が、すうっと冷たくなった。
追いかけるか。いや、相手は四人で、迷宮の道を知りつくしている。足音は、もう二つ先の角を曲がった。
「あるじ、おいかける?」
リルが、低い声で聞いた。
俺は、首を横に振った。
今、怒りにまかせて追えば、燃料の配分も何もない。
通路の向こうから、四人分の足音が遠ざかっていく。
その足音にまじって、げらげらと笑う声が、洞窟の壁にはね返って聞こえてきた。




