第40話 制御だけの変人
次の日、先生の部屋に呼ばれた。
先生は、成績表に何かを書きこんで、それをひらひらと振った。
「落第、なし」
「……本当ですか」
「ぎりぎりねー。小試験は全部最下位のまま。でも、実技の評価に『技』の欄があるの。そこだけ、満点にしといた」
先生は、酒をひとくち飲んだ。
「これで書類を書かなくてすむ。よかったわー、私が」
「先生がですか」
「私がよー」
先生は、本気でほっとした顔をしていた。
* * *
評判というのは、あっという間に広がる。
評価の次の日には、もう学園じゅうが知っていた。Sクラスの魔力0.3が、レオン・ブラントの火を、一発も食らわずに流しきった、と。
食堂で、廊下で、ひそひそ声が聞こえた。
「魔力は最低なんだって」
「でも、制御だけは、異常らしいよ」
「変な奴だよね」
十二の間でも、空気が変わった。
「ティオさん、見て見て!」
ミレイユが、鉢植えを俺の前に置いた。あの芽だ。葉っぱが四枚に増えて、色が濃くなっている。
「土をね、ほぐしてあげたの。そしたら、根っこが伸びて、この子、こんなに元気になったの!」
「……よかったな」
「うん! それとね、レオンくんのときの、斜めの壁。あれ、根っこが石をよけて伸びるのと、同じ形だったの!」
そうなのか。知らなかった。
ベルントは、約束どおり焼き菓子をくれた。ドミニクは、俺の背中をばしばし叩いた。痛い。ノエルは「えへへ、すごかったね」と笑い、リルの耳がまた寝た。
魔力最低、制御だけは異常な変人。
それが、俺についた呼び名だった。
(変人は、余計だ)
でも、悪い気はしなかった。
実力の全部は、見せていない。見せたのは、壁一枚と、流砂ひとつ。魔力が少ないのも、本当のことだ。
リストの十八番は、まだ守られている。たぶん。
レオンは、廊下ですれちがうたびに、俺をにらんだ。
「次は、勝つ」
「次があるのか」
「ある! 俺が決めた!」
言うだけ言って、どすどす去っていく。前より、ちょっとだけ、にらみ方がやわらかい気がした。
* * *
放課後、十二の間を出たところで、呼び止められた。
「あなた」
セシリアだった。腕を組んで、廊下の真ん中に立っている。
「説明なさい。あの砂」
「砂?」
「レオンが沈んだ場所。最初から、あそこだけやわらかかったわ。わたくし、見ていたもの。レオンの一歩目が、ほかの足あとより深かった」
背中が、ひやりとした。
この人は、よく見ている。
「……地面が、たまたまやわらかかった」
「演習場の砂は、毎朝、用務の人がならしているわ」
「じゃあ、ならし忘れたんだろ」
セシリアは、じっと俺を見た。
廊下の窓ガラスに、うっすら霜がついていく。
「……別に。いいわ」
セシリアは、くるりと背を向けて歩いていった。
霜は、しばらく消えなかった。
* * *
その夕方、寮へ帰る途中で、演習場の前を通った。
柵の向こうに、先生が一人で立っていた。
レオンが沈んだ場所だ。
俺は、思わず木のかげに隠れた。
先生は、靴のつま先で、砂をならしていた。ゆっくり、ていねいに。流砂の跡が、平らになっていく。
それから、しゃがんで、砂をひとつまみ指でつまんだ。
指のあいだから、さらさらと落とす。
細かい砂だ。俺が、三晩かけてほぐした砂だ。
「……ふーん」
先生は、それだけ言った。
立ち上がって、手の砂をはらう。酒瓶をぶらさげて、ふらふらと本館のほうへ帰っていった。
俺は、しばらく木のかげから動けなかった。
* * *
月末の休みが来た。
月の最後の闇の日をふくむ、三日間の休みだ。
闇の日の朝、俺とリルは、まだ暗いうちに寮を出た。
王都の北の門をくぐる。街道を、北へ歩く。
財布の中には、銀貨が二枚と、銅貨が少し。入学までのふた月は、市場の荷運びでどうにか食いつないだ。増えはしなかった。
「おかね、たりない?」
リルが聞いた。
「たりない。リルの部屋のお金、来月のぶんがまだない。それに」
リストのことを考えた。義手とか義足とか。ドワーフと剣を打つ。隠れ里。
どれも、お金がかかる。
「だから、稼ぐ」
「うん」
昼すぎに、丘が見えてきた。
草の生えた丘の中腹に、ぽっかりと黒い穴が開いている。穴の前には、小さな町があった。宿屋と、食堂と、素材の買い取り所。迷宮町だ。
アルデン七層迷宮。
王都の冒険者たちが、ここで稼いでいる。七つの層が、地の底まで続いている。
入口から、大きな袋をかついだ冒険者たちが出てきた。泥だらけで、笑っている。
俺は、入口から離れた草地に立った。
靴を脱ぐ。はだしの足の裏を、地面につける。
つま先で、二回。とん、とん。
大地の囁き。
揺れが、足から伝わってきた。
足音。何かが這う音。水の落ちる音。もっと下に、もっとたくさん。
そのずっと下は、深すぎて届かなかった。
底が、ない。
足の裏に、そう言われた気がした。
「……いろんなにおい。たくさん」
リルが、入口のほうへ鼻を向けていた。耳が、ぴんと立っている。
「今日は、見るだけだ。中には入らない」
「うん」
「ギルドの登録も、まだだしな」
俺は、靴をはき直した。
背中の荷物の底には、布にくるんだ黒い仮面が入っている。
来月の闇の日。
仮面をつけた小柄な男が、獣人の娘を連れて、ここに来る。
王都の誰も、まだその男の名前を知らない。




