第4話 パンの借り
俺は、路地の角に体を引っこめた。
心臓が、ばくばく鳴っている。
(見つかったら、どうなる?)
怒られるのか。ほめられるのか。それとも、どこかへ連れていかれるのか。読んできたラノベの展開が、頭の中で全部まとめて騒ぎだした。
隊長は、井戸の前から動かなかった。
やがて、水をくみに来た子どもたちが集まってきた。隊長はしゃがんで、一人ずつに聞いた。
「この桶、誰が置いた」
「しらない」
「わかんない。いつの間にかあった」
みんな本当に知らないから、答えが早い。
最後に、毛布を引きずったピアの番が来た。
俺は、息を止めた。
ピアは、隊長の顔をじっと見上げた。路地の角のほうは、ちらりとも見なかった。
「ないしょ」
「……ないしょ?」
「あめのやくそく。だから、ないしょ」
隊長の太い眉が、ぴくりと動いた。
(ピア、それ、半分しゃべってる)
隊長は、しばらくピアを見ていた。それから、大きな手でピアの頭をぽんと叩いた。
「そうか。約束なら、守れ」
隊長は立ち上がり、桶をもう一度だけ見た。そして何も言わずに、見回りに戻っていった。
俺は路地の角で、壁にもたれてずるずると座りこんだ。
影の強者の秘密は、四歳の口の固さで守られた。半分くらいは。
* * *
その年の冬は、寒かった。
雪が早く降った。市場の店が、昼前に閉まるようになった。ゴミ箱に捨てられる野菜くずも、どんどん減った。
芋がない。パンの耳もない。
廃屋の真ん中の鍋は、三日前から空っぽだった。
「……ネロ、おなかすいた」
小さい子が、ネロの袖を引っぱった。
「わかってる。寝てろ。寝てりゃ腹は減らねえ」
ネロはそう言って、自分の毛布をその子にかけた。ネロだって、もう何日もまともに食べていない。頬がこけている。
俺は、廃屋のすみで手のひらを見ていた。
土なら動かせる。泥の人形も作れる。屋根の穴もふさげる。井戸の水もきれいにできる。
でも、土は食べられない。
前の世界の知識を、頭の中でひっくり返した。畑。肥料。種。どれも春にならないと役に立たない。今は全部、雪の下だ。
(チートって、腹はふくれないんだな)
それでも、何かしたかった。
俺は夜のうちに、みんなの寝床のまわりに、ひざの高さの泥の囲いを作った。すき間風の通り道を、全部ふさぐ。かまくらと同じだ。雪でできた家でも、風さえ止めれば中はあたたかい。
朝、小さい子たちは、囲いの中で丸くなって眠っていた。
「なんか、きのうより寒くない」
「ほんとだ。なんでだろ」
みんな首をかしげていた。泥の囲いは、夜の暗がりでは壁のしみにしか見えない。
でも、寒くないだけだ。腹は、やっぱり鳴っていた。
その夜。
みんなが寝静まったころ、ネロが起き上がった。ぼろ布を肩に巻いて、そっと戸口へ向かう。
俺は先回りして、戸口の前に立った。
「どこ行くんだよ」
「……起きてたのか」
「どこ行くんだよ、ネロ」
ネロは、俺を見下ろした。十歳のネロは、五歳の俺よりずっと大きい。
「市場のパン屋。裏の窓、鍵がゆるいんだ」
「盗むな」
「は?」
「盗むなよ。つかまったら、ネロがいなくなる」
ネロの目が、すっと細くなった。
「じゃあ、お前が飯を出せんのか」
答えられなかった。
「出せんのかって聞いてんだよ。ピアは昨日から水しか飲んでねえ。チビどもは、泣く力もなくなってきてる。それ見て、盗むなって言うのか」
「……言う」
「言うだけなら、誰でもできんだよ」
肩を押しのけられた。強い力ではなかった。それでも、俺の足は勝手に一歩下がった。
言い返す言葉が、一つも出てこなかった。
戸が、がたりと開いた。
冷たい風と雪が、どっと吹きこんできた。
そして、戸口に立った背中が、そのまま動かなくなった。
「……なんだ、これ」
俺は、ネロの脇から外をのぞいた。
戸口の前の雪の上に、布の包みが置いてあった。
しゃがんで包みを開くと、中は黒パンだった。数えると、十二個。廃屋で寝ている全員と、ちょうど同じ数だった。
包みのまわりの雪には、足跡が残っていた。大人の、大きな靴の跡だ。それが一列、東門のほうへ続いている。
「……隊長だ」
「わかるの?」
「こんなでかい足、この街に一人しかいねえよ」
パンを抱えたネロが、廃屋の中に戻った。小さい子たちを一人ずつ揺すって起こし、一個ずつ手に持たせる。ピアは寝ぼけたまま、パンにかじりついた。
最後の一個を、ネロは俺に放ってよこした。
「ほら。お前の分」
黒パンは固くて、すっぱくて、まだほんのり温かかった。
自分の分をかじりながら、ネロがぼそっと言った。
「隊長んち、お前くらいのガキがいるんだってよ」
「俺くらい?」
「五つか六つか、それくらいの息子。だからチビを見ると、ほっとけねえんだろ」
それからネロは、戸口のほうをにらんだ。
「言っとくけどな。次もパンが落ちてるとは限らねえぞ」
「……わかってる」
「わかってんなら、いい」
それきり、ネロは黙った。俺も、何も言えなかった。
みんなが寝たあとも、俺は起きていた。
ネロは、間違っていなかった。俺は、盗むなと言っただけだ。腹をすかせたみんなを救ったのは、隊長の十二個の黒パンだった。俺の土魔法は、何もしていない。
俺は、廃屋の壁の前にしゃがんだ。
爪を立てて、古い板にがりがりと字を刻む。
『借り パン十二こ』
影の強者は、名乗らない。
でも、借りは返す。
何年かかっても、必ずだ。




