第3話 影の強者の作法
五歳になった。
俺は、一つの答えにたどり着いていた。
真の強者は、影に潜むものだ。
ラノベでも、そうだった。いちばんかっこいいのは、いつも裏で全部片づけている奴だ。表では目立たない。誰にも正体を知られない。でも、本当はいちばん強い。最後の最後に、ちらっとだけ本気を見せる。
お茶わん一杯の魔力しかない俺に、派手な活躍はできない。
だったら、影だ。
影の強者になる。
これは、決して負け惜しみではない。決して。
影の強者には、作法がある。俺が決めた。
一、人助けは、夜にこっそりやる
二、名乗らない
三、でも、ちょっとだけ気づいてほしい
三つ目は、あとで消すかもしれない。
* * *
影の強者の最初の仕事は、雨漏りだった。
俺たちが寝ている廃屋は、屋根に穴がある。雨の日は、床がびしょびしょになる。いちばん小さいピアは、いつも濡れた毛布で震えていた。
ピアは四歳。誰が連れてきたのか、いつの間にかここにいた。ぼさぼさの髪で、毛布をずるずる引きずって歩く。夜はよく、俺の背中にくっついて寝る。冷たい足を押しつけてくるのは、やめてほしい。
夜。みんなが寝たあと。
俺は、こっそり屋根に登った。
手には、昼のうちに練っておいた粘土。
屋根の板は、思ったより腐っていた。一歩ふむたびに、みしっと鳴る。下で誰かが寝返りをうった。息を止める。
……大丈夫だ。起きていない。
穴のふちに、粘土を押しあてる。魔力を、ほんの少しだけ流す。
粘土が、じわじわと広がっていく。穴をふさぎ、ふちの木の割れ目にまで入りこんでいく。砂つぶ一つぶんのすき間も残さない。
最後に、粘土の表面を固くする。
よし。
「……任務完了」
小さくつぶやいて、俺は屋根から降りた。
最後の一歩で足をすべらせて、尻もちをついた。
任務は完了した。尻は痛い。
次の雨の日、廃屋の床は乾いていた。
「あれ? 雨漏り、止まってる」
ネロが、天井を見上げて首をかしげた。
「誰か直した?」
誰も手を上げない。もちろん、俺も上げない。
影の強者は、名乗らない。
ピアが、乾いた毛布にくるまって、うれしそうに丸くなった。
……それを見たら、名乗れなくても、まあいいかと思えた。
ほんとに、ちょっとだけ名乗りたかったけど。
* * *
二つ目の仕事は、井戸だった。
貧民街の井戸は、水が茶色く濁っている。みんなそれを飲む。だから、よくお腹をこわす。去年の冬は、小さい子が二人、熱を出して動けなくなった。そのうち一人は、春を待たずにいなくなった。
誰も、そのことを口にしない。
でも、みんな覚えている。
前の世界の知識が、一つだけ役に立つ。
汚れた水は、砂と小石の層を通すと、きれいになる。細かい砂が、ゴミを引っかけてくれるからだ。目の細かいざるを、何枚も重ねるようなものだ。
本当は、そのあと煮るのがいちばんだ。でも薪は高い。まずは、砂からだ。
川原から、毎日、両手いっぱいの砂を運んだ。十日かかった。
夜。俺は井戸のそばに、拾ってきたぼろの桶を置いた。
桶の底に、土魔法で小さな穴をいくつも開ける。そこに、小石の層。粗い砂の層。細かい砂の層。
砂の大きさをそろえるのは、魔力でやった。砂つぶを一つずつ選り分ける作業だ。目がしょぼしょぼする。でも、これは俺にしかできない。
最後に、桶の下に受け皿を置く。
井戸の水を、上から注ぐ。
しばらく待つ。
受け皿に、ぽた、ぽた、と水が落ちてきた。
透明だった。
茶色くない。においもしない。
俺は、思わず拳をにぎった。
「名づけて――」
声をひそめる。
「――浄化の砂時計」
要するに、砂を入れた桶だ。
でも、名前は大事だ。
そのとき。
「ティオ、なにしてるの?」
背中から、声がした。
心臓が口から出そうになった。
振り向くと、ピアが立っていた。毛布を引きずっている。
「……ピア。寝てなかったのか」
「おしっこ」
ピアは、桶と受け皿をじっと見た。それから、俺の泥だらけの手を見た。
「ティオが、つくったの?」
まずい。
影の強者、初めての危機だ。
俺はしゃがんで、ピアの目を見た。できるだけ真剣な顔をする。
「ピア。これは、秘密だ」
「ひみつ?」
「そう。この世界には、知られてはいけない力がある。俺は、その力を持つ者として――」
「あめ、くれる?」
「……え?」
「あめくれたら、ないしょにする」
四歳は、交渉が早い。
俺は、ポケットの奥に一個だけ隠していた飴を出した。市場で拾った、宝物だ。
ピアはそれを口に入れて、にっこり笑った。
「ないしょね」
「……ないしょだ」
影の強者の秘密は、飴一個で守られた。
* * *
それから、貧民街でお腹をこわす子は、だんだん減った。
誰も、理由は分からなかった。井戸のそばの変な桶を、気にする大人もいなかった。子どもたちは、桶の水が「なんかうまい」と言って、順番に並ぶようになった。
ただ一人を、のぞいて。
ある朝。
井戸のそばに、大きな影が立っていた。
守備隊の制服。腰に剣。熊みたいに大きな体。
ブラント隊長だ。
この街の守備隊のいちばん偉い人で、ときどき貧民街を見回りに来る。孤児にも、怒鳴らない。たまにパンをくれる。だから、子どもたちはみんな、隊長が好きだった。
隊長は、俺の桶の前にしゃがんでいた。
受け皿の水を、指ですくう。においをかぐ。それから、桶の中の砂を、じっと見た。
大きさのそろった、砂の層を。
大人の指でも、つまめないくらい細かい砂が、一つの乱れもなく並んでいる。
俺は、路地の角から、息を殺して見ていた。
隊長が、ゆっくり立ち上がった。
そして、あたりを見回して、低い声で言った。
「……誰が作った、これは」




